第5話
翌朝、一馬を襲ったのは、全身を万力で締め付けられるような筋肉痛と、昨日の傷の疼きだった。
「……痛(い)っ……」
這いずるようにして洗面所へ向かい、鏡を見る。そこには、蒼白な顔をしながらも、どこか憑き物が落ちたような目をした自分がいた。
銀行口座の残高は、今月あと三週間を残して八千円弱。国家から与えられた「生存の対価」だ。
一馬は、その半分以上を握りしめて外へ出た。
向かったのは、街の端にある大規模な百円ショップと、古びたホームセンターだ。
店内では、ダンジョン探索者と思わしき女性たちが、数万、数十万円もする最新の魔導アーマーや、輝くミスリル製の剣のカタログを談笑しながら眺めている。
その横を、一馬は顔を伏せて通り過ぎた。彼が向かうのは、棚の隅にある「作業用品」や「園芸コーナー」だ。
「これと、これ……。あとは、あれも使えるか」
一馬がカゴに入れたのは、女性探索者から見れば「ゴミ」に等しいものばかりだった。
太いステンレス製の針金。工事現場用の丈夫な革手袋。キャンプ用の着火剤。そして、一本の頑丈なバール。
さらに百円ショップで、大量の接着剤、カッターの替え刃、料理用の計量スプーンを買い込んだ。
部屋に戻ると、一馬はそれらを床に広げた。
「……よし。今の俺の筋力じゃ、剣を振り回してもネズミの皮は貫けない。なら、もっと『効率的』にやるしかないんだ」
一馬は集中し、右手を広げて【作業台】を展開した。
青い光の幾何学的な紋様が床に広がり、購入した品々がその領域へと浮き上がる。
「【鑑定】。これらを組み合わせて、今の俺が扱える、殺傷力の高い武器を提示してくれ」
『解析中……。個体「佐藤一馬」の筋力値、および保有資材に基づき、最適化案を表示します』
視界に設計図が浮かび上がる。一馬はそれに従い、精神を研ぎ澄ませた。
【作業台】の真骨頂は、単なる工作ではない。素材に含まれるごく微量の魔力や物理的特性を、スキルの力で「再構成」することにある。
一馬は、昨日必死の思いで作り上げたばかりの「前歯の小型ツルハシ」を、作業台の光の中に置いた。
「……悪いな。採掘も大事だけど、今の俺にはまず、生き残るための『牙』が必要なんだ」
ダンジョンで手に入れた唯一の貴重な素材、スカベンジャー・ラットの前歯。今の彼には、予備の素材などどこにもない。
一馬は【作業台】を操作し、ツルハシを構成していた魔力の結合を、慎重に「分解」していった。
パキパキと音を立てて、蔦の繊維が解け、固定されていた前歯が分離する。
一馬は、百円ショップで買ったばかりの頑丈なバールを手に取った。
「よし……これに、さっきの牙を据える」
バールの先端、釘抜きのV字部分。そこに、ネズミの鋭い前歯をはめ込む。
そのままでは固定できないが、一馬はここでホームセンターで買ったステンレス針金と、大量の接着剤を投入した。
「【作業台】、出力集中……! 針金の強度を上げろ、接着剤を魔石の粉末で硬化させて固めろ!」
スキルの光がバールの先端に収束していく。
ただの工具だったバールが、魔物の器官と融合し、おぞましくも合理的な「殺傷道具」へと変貌していく。針金は魔力で変質し、まるで血管のように牙をバールに縛り付け、接着剤は魔石の成分を吸ってコンクリート以上の硬度でそれらを一体化させた
。
『クラフト完了:対獣用・刺突バール(改)』
説明:解体したツルハシの素材を再利用した一品。バールの打撃力と、魔物の牙の貫通力を一点に集中させます。男性の筋力でも、相手の急所を突けば十分に致命傷を与えられます。
一馬は、完成した武器を重そうに持ち上げた。
ツルハシは失われた。だが、その代わりに彼は「戦うための力」を手に入れたのだ。
「これなら……昨日のように、噛みつかれる前に仕留められるはずだ」
限られた資源を使い回し、工夫で死線を越える。
その泥臭いサイクルこそが、一馬が選んだ「攻略」の形だった。
「次は……防具だ」
購入した革手袋と、家にあった厚手のデニム生地を重ねる。そこに、ダンジョンで拾った「劣化魔晶石」を細かく砕き、粉末にして計量スプーンで表面にコーティングしていく。
【作業台】の光が、安物の布を少しずつ、硬質な質感を帯びた何かに作り替えていく。
『クラフト完了:魔晶コーティングの防護手袋』
説明:ネズミの牙程度なら何度かは耐えられる強度。魔力の伝導率が低いため、防御に特化しています。
数時間の作業を終え、一馬は額の汗を拭った。
完成したのは、お世辞にも「伝説の武器」とは呼べない、歪で、どこか不気味な武装だ。
だが、今の自分にとっては、国家が支給するどの保護品よりも信頼できる相棒だった。
「レベルは……まだ上がらない。でも、道具は裏切らないはずだ」
一馬は、完成したばかりの刺突バールの感触を確かめる。
重い。だが、この重みこそが今の自分の限界であり、可能性だった。
ふと、窓の外を見た。
夕闇の中、ダンジョン省の巨大なビルが、街を支配するようにそびえ立っている。
そこには数えきれないほどの「英雄」たちがいるだろう。
しかし、このボロアパートの一室で、誰も知らない「一階層」を攻略するために、泥臭く牙を研ぐ男がいることを、世界はまだ知らない。
「……行こう」
一馬は、押し入れの襖に手をかけた。
冷たい風が吹き抜け、青い闇が彼を招き入れる。
昨日の恐怖は消えていない。足はまだ震えている。
それでも、一馬は昨日よりも一歩深く、その暗闇へと足を踏み出した。
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