第4話


​「う……あ、ぐ……」


​一馬は震える手で、足元に生えた青白い苔と湿った土を【作業台】の領域へ放り込んだ。スキルの光がそれらを包み込み、ドロリとした粘土状の物体へと変質させる。


​『クラフト完了:止血用の草粘土。傷口に塗布してください。一時的な麻痺成分が含まれています』


​一馬は、左腕の噛み跡にその粘土を塗りたくった。

焼けるような痛みが、徐々に鈍い痺れへと変わっていく。

仰向けに転がり、アパートの天井ではなく、発光する鍾乳石を見つめながら、一馬は改めて自分という存在の脆さを痛感していた。


​「男に生まれた時点で……世界は、無理をするなと言っていたわけだ」


​身体能力の差。スキルの絶対的な出力差。

もし外の女性探索者が今の自分の姿を見れば、憐れみの笑みを浮かべながら「早く保護センターへ帰りなさい」と促すだろう。

だが、この傷の熱さこそが、自分が「生きている」という実感を与えてくれていた。

​三十分ほど休息し、痛みが引き始めた頃、一馬は目の前の凄惨な「戦果」に向き合った。

スカベンジャー・ラットの死体だ。

独特の獣臭さと、鉄錆のような血の匂いが鼻を突く。


​「……やらなきゃな。これが、俺の『資源』なんだから」


​一馬は吐き気を堪えるため、口を固く結んだ。

十徳ナイフの短い刃を、ネズミの顎の付け根に差し込む。


「グジュッ」という嫌な感触が手に伝わり、胃の底から熱いものがせり上がってくる。

えずきそうになるのを必死に堪え、ナビゲートの指示通りに刃を動かした。

​男にとって、血を流すことも、生き物の命を解体することも、今の社会では「縁のない」ことだ。


だが、一馬は丁寧に、震えながらも、その鋭い前歯を根元から抉り出した。


​【鑑定:スカベンジャー・ラットの前歯】

説明:石をも噛み砕く強度を持つ。先端は鋭く、加工次第で優れた採掘具となる。


​「はぁ、はぁ……。よし……【作業台】」

​一馬は採取した前歯と、先ほど罠に使った硬質な蔦、そして折れた十徳ナイフの持ち手を組み合わせる。


数秒後、一馬の手の中にあったのは、不恰好だが禍々しい鋭さを持った**「前歯の小型ツルハシ」**だった。


​「これがあれば……あの水晶も、少しは採取できるか」


​立ち上がり、壁面に突き出した魔晶石を叩こうとしたが、一馬の手が止まった。

全身の筋肉が悲鳴を上げている。集中力も限界だ。


ここで無理をして、もし二匹目が現れたら、次は間違いなく死ぬ。


​「今日は……ここまでだ。欲張るな」


​一馬は自分に言い聞かせると、這い出すようにして「押し入れ」の境界線を越えた。

​一歩跨げば、そこは元の六畳一間。

カビ臭い空気、華やかさなど一切ない生活感剥き出しの部屋。

先ほどまでの異界が嘘のように静まり返っている。


しかし、一馬の腕に巻かれた血に汚れた布と、手に握られた異形のツルハシが現実を突きつけていた。

​一馬は泥のように布団へ倒れ込んだ。


​「……水、飲まなきゃな」


​身体を動かすことすら億劫だった。

枕元のペットボトルを飲み干し、一馬は天井を見つめる。


​「準備が、全然足りない」


​今の装備では、一匹のネズミにすら命を削られる。

レベルが上がらないのなら、知恵と準備で差を埋めるしかない。


​「明日は、百円ショップで太い針金と、もっと丈夫な手袋を買おう。あと、止血剤。それから、活動費の為にダンジョン内の『資源』を、どうにかして金に変えないと……」


​男性保護法で支給されるわずかな生命維持費。その残金を頭の中で計算する。

ガラクタ同然の資材でも、この【作業台】と【鑑定】があれば、きっと何か価値あるものに変えられるはずだ。


​一馬は、傷だらけの手をそっと握りしめた。

恐怖はある。絶望的な格差もある。

それでも、二十四年間で初めて、「明日が来るのが楽しみだ」と、心の底から思った。

​一馬の意識は、深い眠りへと落ちていった。

その頬は、少しだけ誇らしげに緩んでいた。

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