第5章 生徒会という名の再開

 春は、何事もなかったかのようにやって来た。

 三年生になった後者は、どこか落ち着いて見えた。親友性のざわめきも、二年生の浮ついた空気も、広斗にとっては背景の音にすぎない。自分はもう、残り一年しかここにいない。その事実だけが、静かに胸の奥に沈んでいた。


 始業式の後、担任が配布したプリントの束の中に一枚だけ目を引く紙があった。

「生徒会役員選挙について」

 その文字を見た瞬間、理由もなく心臓は跳ねた。


 昼休み。教室のざわめきの中で、広斗はそのプリントをもう一度読み返していた。

 立候補帰還、推薦条件、演説日程。どれも、これまでなら興味を持たなかったはずの内容だ。

「長野、生徒会でるの?」

 隣の席の男子が、軽い調子で聞いてくる。

「いや、出ない」

 即答だった。

自分が人前に立つ姿は想像できない。面倒事も増える。

ー-それでいい。

 そうおもったはずなのに、胸の奥のざわつきは消えなかった。

 視線をあげると、廊下の向こうに長浜美結の姿があった。

 三年になっても、彼女は相変わらず人に囲まれている。侵入寧に声をかけ、二年生に相談され、自然と輪の中心にいる。

 

 放課後。校内放送で、生徒会選挙の告知が流れた。

『立候補お呼び推薦を希望する生徒は所定の用紙をー-」

 その声を聴きながら、広斗は昇降口で靴を履き替えていた。

「長野くん」

 呼び止められて振り返る。

 そこにいたのは美結だった。

 久しぶりに、はっきりと名前を呼ばれた気がする。

「なに?」

 短く返すと、美結は少し間をおいてから口を開いた。


「生徒会、どうする?」

「どうもしないけど」

 正直な答えだった。

 美結はい瞬だけ視線を伏せ、それから小さく笑う。

「そっか」

 それだけ。

 以前なら、なにか続いたはずの会話がそこで終わった。

 広斗は気づかない、その「そっか」に、どれだけの覚悟が込められていたのかを。


 数日後、行内の掲示板に選挙ポスターが張り出されていた。

 名前を見た瞬間、広斗は足を止めた。

「長浜美結」

 しゃしんのなかの彼女はまっすぐ前を見ている。

ー-やっぱり。

 なっとくと同時に胸の奥に小さな痛みが走った。

 なぜ痛むのかは、分からない。


 演説当日。体育館に集められた全校生徒の前で、美結は堂々と話していた。

「私は、生徒会を’話しやすい”場所”にしたいと思っています。」

 その声は、広斗の耳にもはっきり届いた。 視線が、一瞬だけこちらに向く。

 気のせいかもしれない。

 だが、その一瞬で、広斗は目をそらした。

 

 結果は圧勝だった。

 放課後、生徒会室の前に集まった新役員たちの中に、広斗の姿はあった。

ー-推薦。

 理由は分からない。断ることもできたはずなのに、なぜか引き受けてしまった。

 扉を開ける。

「失礼します」

 室内で、真っ先にこちらを見たのは美結だった。

 その表情が一瞬だけ揺れる。

 そして、いつもの落ち着いた笑顔。

「よろしくね、長野くん」

 再開は静かに始まった。


 生徒会室で過ごす時間が増えるにつれて、広斗の中での美結の存在は、確実に重さを増していった。


 放課後、教室を出て生徒会室へ向かう廊下。夕方の光が窓から斜めに差し込み、床に長い影を落とす。その陰の中を歩きながら、人とは字運でも不思議に思っていた。

ー-どうして、あんなに気になるんだろう。

 特別なことをされたわけじゃない。ただ、同じ空間にいて、同じ仕事をして、時々言葉を交わすだけ。それなのに、美結が視界に入らない時間のほうが、落ち着かなくなっている。

 生徒会室の扉を開けるとすでに密が机に向かっていた。資料を広げペンを走らせている横顔。その真剣な表情に、広斗は一瞬だけ足を止めてしまう。

「...おはよう」

「もう夕方だよ委員長」

 顔を上げずに帰って来たその声が、やけに近く感じられた。

 最近、美結は「委員長」と呼ぶことが増えた。名前で呼ばれるよりも距離があるはずなのに、不思議とその呼び方が胸に残る。


 書類整理、行事の確認、予算の見直し、淡々とした作業の合間に、短い会話が挟まる。

「次の文化祭、展示系より体験型がいいとおもうんだけど」

「...人で、足りるかな」

「広斗くんがちゃんとまとめれば大丈夫」

サラッと言われたその一言に、胸の奥が少しだけ熱くなった。

「信頼しているから」

美結はそう付け足して、再び資料に目を落とした、

ー-信頼。

 

 その言葉が広斗の中で何度の反芻はんすうされる。

 家に帰ってからも、頭の中に浮かぶのは生徒会室の風景ばかりだった。ゲームを起動しても、画面の中のキャラクターに集中できない。

 ふと、ゲーム内に流れたセリフが耳に残った。

『現実から逃げてるだけじゃ、何も変わらないよ』

 コントローラーを握る手が止まる。

「....うるさいな」

 独り言のはずなのに、なぜか美結の声に似ている気がして、広斗は電源を落とした。


 数日後、生徒会での作業帰り、美結が突然言った。

「ねえ、今週末空いてる?」

「え?」

「夏祭り。駅前でやるでしょ」

 あまりにも自然な誘いに、広斗は一瞬言葉を失った。

「別に、用事があるならいいんだけど」

「....ない、けど」

「じゃあ決まり」

 そういって笑った美結の顔を見て、広斗は理由もなく胸が高鳴るのを感じた。

 夏祭り当日。人混みのなかで並んで歩く二人。堤灯に光が降れ、どこか懐かしいにおいが漂う。

「こういうの、久しぶり?」

「まあ...ゲームのイベントなら毎年だけど」

「それと一緒にしないでよ」

 あきれたように笑う美結。その横顔を見つめながら広斗は思った。

ー-楽しい。

 ただそれだけの事実が、胸の奥で静かに広がっていく。

 金魚すくい、射的、屋台の焼きそば。ありふれた夏の一夜。それなのに、記憶に強く刻まれていく。

 帰り道、美結がぽつりと言った。

「...昔も、こういうの一緒に来た気がするんだよね」

「昔?」

「ううん、気のせいかも」

 その言葉が、なぜか引っかかった。

 幼いころの記憶。ぼんやりとした風景。誰かの笑顔。何かを約束したような気がするのに、肝心な部分が思い出せない。

 それでも、美結と一緒にいると、その欠けた記憶の輪郭が、少しずつ浮かび上がってくるきがした。

 

 生徒会室で二人きりになることも増えた。夕暮れの静かな空間で、ふと視線が合う。

「....なに?」

「いや」

 言葉にできない感情を、広斗は飲み込む。

ー-気づき始めている。


 それだけは、はっきりとわかっていた。

 この感情が何なのか。誰に向けているのか。

 まだ名前はつけれない。でも、確実に彼の世界は、少しずつ変わり始めていた。

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