第4章 遠ざかる温度

 冬が近づくにつれて、校舎の空気は乾いていった。

 吐く息が白くなるほどではないが、朝の廊下は指先が冷える。長野広斗は、コートを着るほどでもない寒さの中で、いつも通りの歩幅で校内を進んでいた。

 

 高校二年の後半。時間は確実に流れているはずなのに、広斗の中では、何かが停滞しているような感覚があった。


 期末試験が近づくと、学校全体が落ち着かなくなる。昼休みの教室では、問題集を開く音と、ため息がまじりあう。広斗は自分の席で、淡々とノートを整理していた。

 成績は安定している。努力が結果に結びつくことは、広斗にとって当たり前だった。だからこそ、そこに達成感はない。

「長野くん、ここわかる?」

 声をかけてきたのは、クラスメイトの女子だった。広斗は短く説明を返し、また、のーとに目を落とす。

 そのやり取りを、教室の入り口から見ていた視線があった。

 長浜美結。

 彼女は、声をかけることなく立ち去った。


 最近、美結は以前ほど広斗に近づいてこなくなっていた。挨拶はする。会えば笑う。だがそれ以上はない。

 以前は、何かいいかけてはやめるような、あいまいな間があった。それすら、今はなくなっている。

 広斗は、その変化に気づいていない、。

 変わったのは美結の態度だけではなかった。

 放課後の廊下で、すれ違うざまに聞こえてきた会話。

「生徒会、三年が引退したら選挙あるよね」「長浜さん、出るらしいよ」

 その名前に、広斗の足が一瞬だけ止まった。

ー-生徒会。

 その言葉はなぜか胸の奥をざわつかせる。


 冬の行事といえば、球技大会だった。クラス対抗で行われるバスケットボール。運動が得意でない広斗は応援に回るつもりでいた。

 だが、当日になって急遽、人手不足で出場することになる。

「広斗、頼む!」

 コートに立つと、視界の端三美結の姿があった。

 別クラスの応援席で、彼女はこちらを見ている。

 目が合った。

 一瞬だけ。

 美結は小さく手を振った。

 胸の奥が、和砂に熱を持った。

 その感覚に、広斗は戸惑った。


 試合は惨敗だった。運動神経の差はどうしようもなく、広斗はほとんど活躍できなかった。

 それでも、美結が近づいてくる。

「お疲れ様」

「...ああ」

 それだけの会話。

 沈黙が二人の間に落ちる。

「....頑張ってたよ」

 ぽつりと美結は言った。

「そう?」

「うん。前より」

 その言葉の意味を、広斗は深く考えなかった。


 球技大会の後、学校は一気に年末へ向かっていく。

 クリスマスが近づき、行内には浮ついた空気が流れる。

 誰かが誰かを誘い、断れレ、成功し、失敗する。

 広斗は、そのすべてを外側から眺めていた。

 美結も誰かに誘われているのを見かけた。男子生徒に囲まれ、笑っている美結姿。

 なぜか、その光景が気になった。

 理由はわからない。


 冬休み最後の登校日。

 帰り際、校門で美結に呼び止められた。

「長野くん」

 久しぶりに、二人きりになる。

「なに?」

 美結は一度だけ深呼吸した。

「....来年、生徒会にでる」

「そうなんだ」

 広斗の反応は、それだけだった。

 美結の表情が、少し曇る。

「もし受かったら...一緒に、仕事することになるかもね」

「そうだな」

 それ以上、言葉は続かなかった。

 美結は微笑って、手を振る。

「じゃあよいお年を」

 その背中を見送りながら、広斗は胸の奥に残る違和感を、まだ名前にできずにいた。


 その夜、広斗はまた夢をみた。

 小さな体育館裏。夕焼け。

『忘れないで』

 誰かが泣きそうな声で言う。

 目を覚ました時、胸が締め付けられるように痛んだ。

ー-何かを失いかけている。

 そう思った。

 だが、何を失うのかは、まだわからない。

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