第3章 縮まらない距離

 高校二年になっても、長野広斗の日常は大きく変わらなかった。

 クラス替えで周囲の顔ぶれは変わったが、それは背景が少し塗り替えられただけのことだ。授業を受け、ノートを取り、テスト前には勉強する。成績は、安定して上位を保ち、教師からの評価も可もなく不可もない。

 変化を望んでいない者にとって、これほど都合のいい環境はなかった。


 二年生最初のホームルーム。

「今年も文化祭、体育祭と行事が続くぞ」

 担任の言葉に、教室がざわめく。誰かが「今年こそは」と声を上げ、別の誰かが笑った。

 広斗は窓の外を見ていた。

 春の光に照らされて校庭。新入生たちが慣れない足取りで移動している。去年の自分も、きっとああだったはずなのに、不思議と懐かしさは湧かなかった。


 廊下で長浜美結とすれ違う回数が、明らかに増えた。

「おはよう」「...おはよう」


 それだけの会話。

 相変わらず、周囲に人が集まる存在だった。

 クラスでも学年でも、自然と中心にたつ。 文化祭の実行委員に選ばれたらしいと言ううわさも聞いた。

ー-向いているんだろうな。

 そう思うだけで、広斗は自分から近づくことはなかった。


 文化祭の準備が始まると、学校全体の空気が変わった。

 放課後の教室には、段ボールとペンキのにおいが充満する。誰かの笑い声と、誰かのため息が入り混じる。

 広斗のクラスは展示企画だった。作業は地味で、役割分担も淡々としている。騒がしさとは無縁だった。

 それが、広斗には心地よかった。

 

 ある日の放課後、私財を運んでいる途中で美結と鉢合わせた。

「あ、長野くん」

「どうも」

「準備、順調?」

「まあ、それなりに」

 短い会話。

 だが、美結はその場を離れず、少し迷うように視線を泳がせた。

「ねえ...文化祭、来てくれる?」

 その言葉にははっきりとした期待が混じっていた。

「....時間があれば」

 広斗は正直に答えた。

 嘘は言っていない。

 美結は小さく息を吐き、笑顔を作る。

「そっか、無理しなくていいよ」

 その声が、なぜか少し遠く聞こえた。


 文化祭当日。

 構内は人であふれ、あちこちから音楽や呼び込みの声が聞こえる。

 広斗は自分のクラスの当番をこなし、空いた時間は校舎の端で過ごしていた。展示を眺めるでもなく、スマートフォンを触るでもなく、ただ人の流れを見ている。

 遠くに、美結の姿が見えた。

 クラスメイトに囲まれ、笑っている。その中心に自然と立っている。

ー-ああいう場所は俺の居場所じゃない。

 そう思うことで、自分を納得させた。

 結局、美結のクラスにはいかなかった。


♦ 

 文化祭が終わった夜。

 ベットに横になりながら、広斗は昼間の光景を思い返していた。

 行かなかった理由を考えようとしてやめる。

 考えたところで答えは同じだ。

 自分は、踏み込まない人間だ。


 体育祭の日は、快晴だった。

 青空の下、校庭に歓声が響く。広斗は競技にはまじめに参加したが、必要以上に盛り上がることはなかった。

 昼休み、グラウンドの隅で一人弁当を食べていると、影が差す。

「ここ、いい?」

 美結だった。

「どうぞ」

 隣に座ると、しばらく無言の時間が流れる。

「ねえ、広斗くん」

 名前を呼ばれて、少しだけ驚いた。

「昔のこと....本当に何も覚えてないんだよね」

「まあ」

 否定しない。

「そっか」

 それだけ言って、美結は空を見上げた。

 その顔が、どこか寂しそうに見えた。


 その夜、広斗はゲームをしていた。

 イベントシーンで、ヒロインが主人公に告げる。

『待つのって、疲れるんだよ』

 胸の奥が、ちくりと痛む。

 理由はわからない。

 わからないまま、画面をすすめた。


 二年の冬。

 美結と話す機会は、目に見えて減っていた。

 挨拶を交わすことはあっても、それ以上はない。

 距離は縮まるどころは、静かに固定されていった。

 夜になると、あの夢を見る。

 オレンジ色の空。小さな手。約束の言葉。

 目を覚ます旅胸がざわついた。


 高校二年の終わり。

 広斗はまだ知らない。

 この「何も起きなかった一年」が、誰かにとっては、何度も心を折られた時間だったことを。

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