第六話 孤独な森
リィナの姿が見えなくなると、森の静けさが重くのしかかってきた。
さっきまでの戦闘で荒れた地面には、黒い靄の残滓がまだ漂っている。
土と血の匂いが混じった空気が、肺の奥にじっとりと絡みつく。
「……やっぱり、俺は普通の人間じゃないんだな」
呟きながら、翔太は右手を見つめた。
刻まれた紋章が、まるで生き物のように脈打ち、冷たさと熱を同時に伝えてくる。
それは力の証であると同時に、逃れられない呪いの印だった。
何度も深呼吸し、歩き出そうとする。
だが心の奥には、ぽっかりと穴が空いたままだ。
優希のこと。
悪魔との契約。
意味も分からぬまま与えられた力。
そして――たった今出会った少女、リィナですら、自分を恐れ、離れていった現実。
「……俺は、ひとりか」
吐き出した声は、森に吸い込まれ、何の返事も返さない。
その時、不意に枝を踏む小さな音がした。
翔太は反射的に身構える。
だが現れたのは、魔物ではなく、小さなリスだった。
黒い瞳でこちらの様子をうかがい、素早く茂みの奥へ消えていく。
「……びっくりさせるなよ」
思わず苦笑が漏れる。
しかし安堵は長く続かなかった。
空気が再び冷たく揺らぎ、遠くから低く、不気味な咆哮ほうこうが響く。
――黒の魔物は、仲間を呼ぶ。
背筋に冷たいものが走った。
翔太は思わず、先ほどのリィナの言葉を思い出す。
(リィナの住む村に行きたかったなぁ……
……嘆いてもしょうがないか)
周囲を見渡しても、レーベル村以外の集落らしきものは見当たらない。
この深い森で、助けを期待することはできない。
「魔物に出会う前に……少し、弓に慣れておくか」
翔太は背中の弓を外し、近くの木を的に定めた。
矢をつがえ、弓を引く。
――放つ。
矢は虚しく地面に落ち、木には届きもしなかった。
「……当たらない」
もう一度。
腕に力を込めるが、矢は今度も外れ、木の根元に刺さるだけだった。
「難しいな……」
何度も引き、何度も外す。
それでも繰り返すうちに、不思議と孤独感と恐怖が薄れていくのを感じた。
無心で弓を引く時間だけが、今の自分を支えてくれていた。
――その時だった。
視界の端、木々の影がわずかに揺れた。
翔太は気づかない。
黒い影が、静かに森を進んでいることに。
弓を引き、放つ。
その瞬間、風に乗って、低い唸り声が聞こえた。
(……え?)
胸が跳ねる。
翔太は咄嗟とっさに木陰へ身を滑り込ませ、息を殺した。
数歩先に、黒の魔物がいた。
野獣の様な形に近いが、歪み、影のように揺らめいている。
こちらには、まだ気づいていない。
(……見つかったら、終わりだ)
手が震える。
逃げたい衝動を必死で抑え、翔太は弓を構えた。
――当てろ。
一撃で。
狙いを定め、矢を放つ。
矢は魔物の肩に突き刺さり、黒い靄が弾けるように散った。
「ギィ……!」
魔物はもがき、倒れ込む。
数秒、もがいた後、森の奥へ消えていった。
「……や、やった……?」
足が震え、腰が抜けそうになる。
気付かれることなく魔物は去る。だが、それは偶然に近かった。
その安堵を嘲笑うように――
別方向から、さらに低い咆哮が響いた。
(……もう一体!?)
翔太は振り返らず、弓を抱えたまま走り出した。
木々の間を縫うように、音を立てないよう必死に逃げる。
背後で、何かが動く気配。
だが振り向かない。
(今は……戦えない。とにかく怖い……)
息を殺し、茂みに身を潜める。
しばらくして、気配は遠ざかっていった。
翔太はその場に座り込み、大きく息を吐いた。
「……生きてる……」
弓を握りしめながら、心の奥で誓う。
(……!?
……俺は何を怖がってる?
一度死んでるんだ。進むしかない。
この世界で生きていくには、戦わないと前に進めない。
優希を取り戻すためにも)
翔太は立ち上がり、深い森の奥へと歩みを進めた。
孤独と恐怖を抱えながら――
それでも、確かに一歩ずつ。
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