第10話|断片

椅子を動かした瞬間、

わずかな引っかかりがあった。


リアは足を止め、

床に視線を落とす。


沈んでいる。

ほんの数ミリ。


意識しなければ、

見落とす程度の歪み。


リアは膝をつき、

指先でフローリングをなぞった。


冷たい感触。

傷は浅い。


――まだ、直せる。


補修材を取りに行きながら、

思考だけが、

過去へ滑っていく。


――あの夜も、

理由はなかった。


年上の自分が、

何かに追い詰められていた。


名前も、形も、

うまく思い出せない。


ただ、

近づいてはいけないものだった。


床に手を当て、

歪みを戻す。


力をかけすぎないよう、

慎重に。


助けに入ったのは、

年下の少年だった。


武器も、

術も、

何も持たずに。


前に出て、

傷を負った。


リアは息を止め、

木目を揃える。


ずれたものを、

元の位置へ。


すぐ後ろで、

誰かが割って入った。


迷いのない動き。

言葉は、なかった。


床が、

平らに戻る。


歪みは消えた。


――夜は、

そこで終わった。


家も、

名前も、

役目も。


少年だけが、

残った。


リアは仕上げをしながら、

小さく息を吐く。


彼は、

氷室の子ではなかった。


それだけは、

覚えている。


それでも引き取られ、

名前を与えられ、

日常の中に置かれた。


怪異は、

それ以降、

近づかなかった。


近づく前に、

何かが終わっていた。


椅子を元の位置に戻す。


床は、

何事もなかったように静かだ。


リアは立ち上がり、

部屋を見回す。


修復は終わった。


今日も、

問題は表に出ていない。


彼が笑っている限り、

自分は黙っている。


それが、

選んだ役目だった。

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