第三章 綻ぶ薔薇 忍び寄る棘
第12話 白磁の戦場 Side リリアナ
灰色の空の下、無骨な城塞の稜線が黒々と続いている。分厚い石積みの城壁の上にそびえる司令塔は、吹き荒れる風が最も強く当たる場所だ。
本来ならば、鎧に身を包んだ兵士たちが怒号を交わすはずのその場所に、あまりに場違いな「白」があった。
煤ひとつついていない純白のテーブルクロス。華奢な猫脚の椅子。飛来する矢や魔法の余波が時折頬を撫でるが、彼女は眉一つ動かさずに優雅に紅茶の湯気を揺らしている。
その光景は、戦場にはあまりに似合わない、残酷なほどに完成された一枚の絵画のようだった。
「まぁた聖戦をするつもりなんだ……めんどくさいなぁ」
神様が色を塗り忘れたかのような、透き通るような純白の髪をいじりながら、リリアナがいつもと変わらない軽い口調で声を出す。
「先王が最後の最後に大きな戦果を上げちゃったのがなぁ。超えるために必死だ」
「即位したての王が積極的に軍事行動をとることはよくあります。継承権が弱ければ、なおさらでございます」
震えることのないアレクの指先が、美しい弧を描いて紅茶を注ぎ終える。その所作は、長年繰り返されてきた儀式のように淀みがない。
「私、新王と会ったことがないんだけど、どんな人なの?」
アレクはゆっくりとポットを置くと、重々しく口を開く。
「玉座に座った幼子、でしょうか」
「もう成人しているのに?」
「はい。大人が与える菓子の裏にある意図を疑う術を知らず、信愛する者の言葉をただ無垢に飲み込んでしまわれる。そして、何かを望む時も、それが民にどれほどの負担を強いるか想像できないのです」
アレクは荒野に打ち捨てられた死体をじっと見つめながら、言葉を続ける。
「目の前で誰かが傷つけば共に心を痛める優しい方ですが、見えぬ場所で広がる民の痛みには、悲しいほどに鈍感であられます」
「……そっかぁ」
アレクの視線を追うように、戦火で荒れ果てた不毛の大地を見やる。
小競り合いが長く続き、戦場には腐敗の進んだ遺体が散乱している。埋葬してあげたいが、戦場を完全に支配できない以上放置するしかない。
「まぁ仕方ないよね。世の中には賢い人と、普通の人と、どうしようもない人がいて、賢い人は少ないからね」
リリアナは一度言葉を切ると、深く息を吐いた。
「とはいえ、うちも長い歴史のある国だ。王が平凡でも国が回り続ける仕組みは作られている。私たちの想像を超えるほどのおバカさんでなければ問題はないはずだよ。……私は前線から離れられないし、新王様の側近に賄賂でも贈っておこうかなぁ」
苦笑いを浮かべているアレクを横目に入れながら、カップに口をつける。
紅茶の渋みとシロップの甘さ、そして後から追いかけてくるレモンの皮特有のほろ苦さが、リリアナの喉を潤していった。
アレクが何か言おうとした瞬間、遠くから地響きのような轟音が聞こえてきた。その余韻は長く、2人の会話の腰を折るには十分すぎた。
リリアナは何事もなかったかのようにカップを持ち上げ、レモンの香りを楽しんでいる。
「もう1つ報告が」
騒がしい世界が息を潜めると、訪れた沈黙を埋めるようにアレクが報告を始める。
「……領内にダンジョンができたのはいいけど、魔晶石まで採れるの?」
「左様でございます」
報告を聞き終えたリリアナが、カップを顎の高さでピタリと止めていた。隕石が落ちても眉一つ動かさない自信があるが、今回ばかりは驚いてしまった。
「ぽっと出のダンジョンで魔晶石が採れるなんて、随分と運がいいね。……まぁ、サテラで必要な分を補えるのであれば願ったり叶ったりだね」
リリアナは磁器のカップを傾けながら、眼下に広がるその光景を一瞥する。
陶磁器の冷ややかな感触と、温かい紅茶、そして冷え切った亡骸たちの対比だけが、妙に鮮明だった。
「この戦争の資金は、魔晶石の通行税から捻出されているんだよね」
軽さの消えた口調で、リリアナが呟く。
「ええ。エステル聖王国が他国に魔晶石を輸出する際、必ずアストラル王国を通らなければなりませんから」
「聖戦のためだって言えば、高い通行税を課されても誰も文句を言えない。よくできた商売だよ。聖戦の名のもとに領土を拡張できるんだから」
「……他の国々に届くころには魔晶石の価格は高騰しているそうですが」
アレクが紅茶を保温する魔道具を見つめながら、どこか沈んだ声を出す。紅茶の保温程度なら些細なことだが、冬を越すための暖房器具や冷蔵庫などになると話が変わる。
「国民は、他国の窮状を知らない……知らされていないからね。他の国々も、高い軍事力を持っていて、魔国の侵攻を防いでいるアストラル王国の機嫌を損なうわけにはいかないし」
魔晶石の9割がエステル聖王国で産出される。唯一の輸送路を抑えていることは、アストラル王国の政治家としては嬉しいが、1人の人間としては頭を抱えたくなる。
「話を戻しますが、ジーク殿がダンジョンを育てる許可を求めています。魔晶石の供給量を増やすためでしょう」
「まぁ、多い方が嬉しいもんね。……うん、いいよ」
時間を要することなく、あっさりと承認する。リリアナの口元には、いつの間にかヘラヘラとした笑みが戻っていた。
「どうせ上の方からそういった命令が来るよ。先にやっといた方が印象が良くなるからさ」
「承知いたしました。では、そのようにお伝えします」
リリアナの返事を伝えるために、アレクが城壁の急な階段を下りていく。冷たい風に乗って届く乾いた靴音が、やがて風鳴りに消されていく。
後に残された静寂の中で、新しく口を開けたというダンジョンのことを考えていた。
「都合が良すぎると思うんだよなぁ」
こぼれ落ちた言葉は、貴族特有の悪い癖だ。甘い菓子を前にすると、本能的に猜疑心が鎌首をもたげる。
ダンジョンの発生など偶然でしかないと、頭では分かっているのだが。
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