第13話 忘れられた棚

 太陽は頭上高くまで昇り、石畳を覆っていた早朝の霜は行き交う人々のブーツによってすっかり踏み砕かれていた。


 街の大通りは昼食の支度を始める刻限を迎え、活気に満ちている。鍛冶屋が槌を振るう甲高い音と、荷馬車が軋む音が冷たく澄んだ空気に反響し、どこまでも遠くへ響いていく。


「まだ10月なのに、もう冬になるんだね」


 私は白い息を吐きながら、厚手の羊毛のマントを羽織った主婦たちを見つめる。本格的な雪の季節が来る前に、少しでも良質な保存食を蓄えようとするのは、魔族も人間も変わらないらしい。


「ああ、そっか。アグネスは温暖な場所に住んでたんだよな」


 ユーマは寒さに慣れているのか、ポケットに手を入れず、自然に腕を振って歩いている。私の生まれ故郷はサテラから南に700kmは離れている。しかも、ここと違って海岸地域だ。


 転んだら自分でも起き上がれないくらい着膨れしてるのに、私の南国仕様の貧弱な体温を守るには力不足だったみたいだ。


「湯たんぽを持ってくるべきだった……」


「忘れられた棚だったけ?さっさとその店に行こう。屋内に入れば寒さもましになる」


 目当ての店まではまだ距離がある。二足歩行する布団と化した私は、服の重さに息を切らしながら歩く。明日から筋トレを始めようと思う。




 石畳を踏みしめるブーツの音が、路地の静寂に吸い込まれていく。市場の熱気が届かない薄暗い一角に、その雑貨屋は息を潜めていた。


 軒先に吊るされた木製の看板は、長年の風雨に晒され、かつて何が描かれていたのか判別もつかないほど白く乾いている。


 知らなければ、あるいは目的がなければ、ただの廃屋と勘違いして通り過ぎていただろう。


 うっかりすれば見落としてしまいそうなその控えめな扉の奥から、微かに乾燥ハーブの香りが漂ってきた。


「ここだよ」


「ここがアグネスが扉を開けるのに5分もかかったっていう店か」


「んぐっ」


 思わず口から変な声が漏れる。しっかりと店の看板が立てられているのならともかく、店かどうか判別がつかない建物の扉を開けるのはハードルが高いのだ。


「ノックして確認すればいいじゃん」


「……それができないのが私なんだよ」


 ユーマが理解できないといった表情で私を見ている。きっと一生理解できないだろう。


 ユーマを尻目に廃材同然の扉に手を掛けると、ギィ、と乾いた木が悲鳴のような音を立てて開いた。




 外観は廃屋同然だというのに、一歩足を踏み入れれば、そこは埃の粒子さえ見当たらない清浄な空間だった。カーテンによって外界と隔絶された室内は、深海のように静まり返っている。


 手前の棚に並ぶ一般的な文房具やアクセサリーには目もくれず、私は迷いなく店の奥へと進んだ。


 闇に溶け込みそうなほど薄暗い黒塗りの棚。


 そこに、永遠に溶けることのない氷の欠片や、断末魔を閉じ込めた鉱石、音を吸収するキノコの粉末といった希少な素材が、磨き抜かれた硝子瓶の中で息を潜めるように丁寧に並べられている。


「いらっしゃい。また来てくれたんだね」


 鈴を転がしたような、しかし芯のある涼やかな声が聞こえてくる。


 振り返ると、女神が舞い降りたのかと錯覚してしまう、性別の概念さえ陳腐に思わせるほど完成された美貌があった。


「こ、こんにちは」


 私の人見知りが発動し、声が上擦る。オーリウェルさんは首を僅かに傾けて、柔らかい笑みを浮かべる。


 金髪がさらさらと音を立てそうなほど滑らかに揺れ、私の精神が削られていく。どうして男性であるオーリウェルさんの髪が、私よりもサラサラなのだろう。


「……エルフ」


「そうだよ。見るのは初めてかな?私はオーリウェル。趣味で雑貨屋を営んでいる」


「ユーマです。冒険者をやってます」


 2人が挨拶をしているのをよそに、私は宝の山を食い入るように見つめる。良かった、値上げはされていない。聖戦のために商人に臨時税が課されたらしいから不安だったのだ。




「今度はどんな魔道具を作るのか、聞いていいかな?」


 ユーマとの挨拶もそこそこに、オーリウェルさんが私に話しける。丁度、金額を計算していたところで、数式が遥か彼方へと吹き飛んでしまった。


「怠惰の鎖っていう魔道具を作ろうと思っています。触れるとやる気が出なくなる鎖です」


「なるほど。本当に面白い発想をするね。……必要な材料は、鉛の鎖、午睡の樹液、無気力草の繊維、停滞の魔石粉かな?」


 すごい。魔道具のコンセプトを話しただけなのに。これが年季の差なのだろうか。オーリウェルさんは一瞬で総額を弾き出し、またもや私の精神を削ってくる。


 支払いを済ませると、オーリウェルさんが特製の袋に材料を詰めていく。洗練された所作に見惚れていると、ユーマが忘れ物をしているぞと教えてくれた。


「魔力を含んだ果実は買わなくていいのか?」


「あ……。忘れてた」


 魔道具の材料を買うことしか頭になかった。私がオーリウェルさんを見ると、彼はゆっくりと首を振っていた。


「残念だけど、在庫切れなんだ。ギルドが大量に購入したみたいでね。仕入れることができなかった」


「そうですか。……残念です」


 ユーマと顔を見合わせる。もしかすると、私の計画が上手くいったのかもしれない。ユーマは「マジか」って顔をしている。成功すると思っていなかったな。





「魔道具を作る工程で魔力をたくさん使うからね。マナポーションだと美味しくないから、果実を求める気持ちはよく分かるけど……ごめんね」


「い、いえ。大人しくマナポーションを飲みます」


 どうやら、私が果実を求めた理由を魔道具を作るためと勘違いしているらしい。


 ダンジョンの育成に使うつもりだったなんて言える訳もないので、オーリウェルさんに話を合わせる。胸がチクりと痛む。


 ……私の魔力量に関しても、嘘をついている。父上から頂いた神代の指輪が、私の莫大な魔力を隠蔽している。


 オーリウェルさんはエルフだが、それでも偽装を見抜けないようだ。


「怠惰の鎖が完成したら、よければ私にも見せて欲しい」


「もちろんです!……また来ます」


 自分が作った魔道具を見せびらかせると聞いて、思わずテンションが上がってしまう。


 ユーマは話半分でしか聞いてくれないが、オーリウェルさんはしっかりと聞いてくれる気がする。


 微笑みを浮かべるオーリウェルさんに別れを告げて、古びた扉に向かって歩を進める。


 軋む音を鳴らしてユーマが扉を開けると、鼻の奥がツンとする透明な冷気が足元から這い上がってきた。


 ユーマが後ろを振り向いて、ガタガタと寒さに震える私を見ると、小さく苦笑を浮かべた。




「それじゃあ、あったかい飯を食べにいくぞ」

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魔王の娘、敵国で商売を始める ~欠陥兵器の少女が綴る、優しき支配の物語~ 【旧題:勇者の修行場】 琴坂伊織 @iori_k20

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