第8話 黄金のランタン

 揺蕩う花の海を割る航跡のように、無造作に引かれた一本道が地平線まで続いている。西の空から溢れ出した茜色が、土の一粒一粒を琥珀のように輝かせていた。


 瞬きをすると、誰もいないはずだった路上をトタン君が駆けていた。剥き出しの猪肉を抱えるトタン君の背後から、突然3匹の狼の魔物が現れる。


「アグネス、来たぞ」


 足元からユーマの声が届く。


 レンガで作られた防塁の上に陣取る私は、混乱して足が止まった狼に向かって魔法を放つ。氷の槍が先頭を貫き、断末魔とともに血しぶきが舞う。


 思考が停止していた2匹の狼が、仲間の死に鼻先をピクリと動かした。銀色の毛並みが針のように逆立ち、敵意に膨れ上がった体躯がユーマに向かって突進する。


 その瞳は狂気を孕んでいるのに、無意識のうちに連携が取れている。


 体の小さい狼が一息でユーマとの距離を縮める。たまらずユーマが剣を振るが空を切っただけだ。


 振り終わりの隙ができたユーマに対し、体格に恵まれた狼が一気呵成に飛び込んできた。狼の口が大きく開き、鋭い牙が晒される。




 しかし、その牙がユーマに届くことはなかった。地を蹴った瞬間、左右の花畑で待ち伏せをしていたトタン君たちが飛び出し、狼の体に抱き着いたのだ。


 放物線を描くはずだった狼の軌道は、頂点に達する前に急降下した。狼の脳天に氷の槍が突き刺さる。上手くいってよかった。


「ちっこい狼は俺が相手する。手伝わなくていいからな」


 ユーマの言葉に了承の意を示す。それでも心配なものは心配で、トタン君たちに目配せをする。


 それに気付いたトタン君が、私に向かって敬礼をする。土を固めた関節のない腕なのに、どうして曲げることができるのだろうか。


 私はベルトポーチからポーションを取り出す。魔物をダンジョンの糧とすると決めてから、大急ぎで作ったものだ。中途半端に温かい。


 ガラス瓶を強く握りしめて、息を押し殺してユーマを見つめる。ユーマがもっと強ければいいのだが。私は自分の戦闘能力の低さを棚に上げてユーマを責める。




「……来い」


 ユーマが低い声で呟くと、狼が地面に胸が付くほど身を低くする。上目遣いにユーマを睨みつけ、歯茎を剥き出しにして唸り声を出す。一瞬だけユーマの目が揺れる。その刹那、稲妻のように狼が飛び出す。


 ユーマは剣を上段に構えたまま、静かに左足を斜め後ろへと引いた。狼がユーマに肉薄したまさにその瞬間、ユーマは引いた左足を軸にして、重たい扉を開け放つように右へ半回転した。


 狼は寸前までユーマの腹があった空虚な空間を通り抜け、無防備な背中を晒す。そこへ回転の遠心力を乗せたユーマの剣が勢いよく叩きつけられた。


「ギャンッ!」


 短い叫び声とともに、狼の崩れ落ちる音が聞こえてくる。強烈な蜜の匂いに麻痺していた鼻に、風に乗った金属臭が流れ込んでくる。


 私は眉間に皺を寄せて、数秒目を閉じる。心臓の音がやけにうるさい。まぶたを開くと、ユーマが満足げに息を吐いていた。


「足さばきに関しては、唯一無二の師匠がいるからな」


 トタン君を見つめながら、ユーマが剣を鞘に納める。トタン君たちはパチパチと拍手をしている。なぜ土の腕からパチパチという音が鳴るのだろう。




「だいぶ集まったんじゃないか?」

「うん。ダンジョンコアが満たされていってるのを感じる。これなら罠を複数配置することができるかな」


 私は地下深くに埋まるダンジョンコアと意識を同期させる。


 その神秘的な球体は、狼から吸い上げた魔力を、星屑を砕いて撒いたような金砂の霧へと変えていく。低く唸るような、あるいは聖歌のような残響が私の鼓膜を震わせる。


 美しいという言葉ではあまりにも軽すぎる。


 どんな賛辞を並べ立てても、目の前の光景を削ぎ落としてしまう。息をするのも忘れて立ち尽くす私を、名前のない懐かしい匂いが包み込む。母親に抱かれているような安心感だ。




「……アグネス?」




 ユーマが私を呼んでいる。後ろ髪を引かれながらも、私はコアとの接続を切った。


「ごめん。ちょっとボーっとしてた」

「大丈夫か?これから本番が始まるっていうのに」

「大丈夫だって。……それよりも、もう本番が始まるみたいだよ」


 陽が沈み、あれほど鮮やかだった花畑が青紫色で染められていく。色彩から切り離された道に、巨大な肉球が音もなく着地する。噂をすればなんとやら。


 暗闇の深淵に、ふたつ、黄金のランタンが灯った。瞳の奥で、どす黒いマグマが煮えたぎっているのが見える。理性のタガが外れたような、危険な輝きだ。




「まぁ、当然の怒りだよな」

「……何匹も殺したからね」


 凍てつくような白い月が、復讐に燃える巨狼を照らす。銀色の毛並みは一本一本が光を宿しているかのように輝き、鋼鉄の繊維のように見えた。




 私は熱が引いたポーションをベルトポーチにしまい、シャツに手のひら擦りつけてから『災禍の種』を取り出す。ダンジョンマスターは意外と暇なのだ。魔道具を作る時間なんていくらでもある。


 喉元に冷たい刃物を突きつけられたような緊張感とともに、狼が歩を進める。


「アグネス。手筈通りに頼むぞ。……戦闘のたびに転んだり、自爆したりしないでくれよ?」

「わ、分かってるよ!私だってわざとやっている訳じゃないし、そこまでドジじゃないもん!」


 ユーマの軽口に、私は顔を赤らめながら抗議する。ユーマと出会って日が浅いが、多くの恥を見られてきた。


 この前なんて、コートの裾にルディが乗っているのに気づかず、立ち上がろうとして尻もちをついた。果たして、私に抗議をする資格があるのだろうか。


 私の心は今、3割の緊張と7割の羞恥心で満たされている。そのせいで、強張っていた肩から力が抜けてしまった。


「ふふっ」


 私は笑い声を漏らしてから、怒れる狼をまっすぐに見つめた。体を低く沈め、いつでも飛びかかれる姿勢をとっている。私の太ももほどはある牙を、カチカチと打ち鳴らしている。




 風が止み、花のざわめきが潮が引くように消えた。月が雲に顔を隠し、世界が闇に沈んだその瞬間、トン、と土を蹴る音が響いた。

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