第6話 森の奥の異変 Side ミレナ

「ガイルさん!やっぱり変ですよ!」


 灰色を混ぜたような、くすんだ森の中に、ミレナの細く上ずった声が響く。太陽が雲に遮られ、雨の予兆を含んだ生ぬるい空気が肌にまとわりつく。


 せめて天気が良ければいいのに。ミレナは不安を押し殺すように杖を強く握りしめ、身を縮こまらせた。


 そんな彼女を見かねたのか、ガイルが振り返って声をかけてくる。


「落ち着けミレナ。頻度こそ高いが、俺たちが苦戦する魔物はいなかっただろう」

「この先もそうだとは限らないと思うけど」


 隣を歩くクレアが、いつもと同じように冷めた口調で意見を述べる。


 一つだけ違う点があるとすれば、先頭を歩くガイルとの距離が近いことだ。兄の背中に隠れているように見える。


「依頼って、森の異常の調査でしたよね!?だったらもう達成してるじゃないですか!」


 ミレナが早口でまくし立てると、同意するようにクレアが小さく頷く。ガイルは空を仰ぎ、雲の切れ間から漏れる頼りない光に目を細めた。何かを確認しているようだ。


「……あと10分だけ進んで、花畑を見つけられなかったら帰ることにする」


 その言葉を聞いて、ミレナの杖を握る力が少し緩まる。左から「やった」という可愛らしい声が聞こえてきた。




「森の奥に大きな花畑があるっていう話ですよね?その報告をした人って……その、言いづらいですけど、よく嘘をつく人じゃないですか」

「フェイ。あの男は女の敵。外見と対人能力だけは高いから、最初は騙されてしまう」

「この前なんて、侯爵様と仲がいいって嘘をついてましたよね。お忍びで街歩きをされていた侯爵様に、偶然道を尋ねられただけなのに」


 すぐに有名人の知り合いを自称する、それがフェイという男性だ。


 顔と話術で騙されそうになるけど、よく聞いてみれば「俺はお前よりすごい」というアピールをしている。クレアが教えてくれるまで気付かなかった。


「確かにあいつは嘘ばかりつくが、同様の報告をした冒険者が何人かいる。そいつらは真面目な奴らだ」


 茂みを突き破って現れた狼の魔物を切り伏せながら、ガイルがこともなさげに話した。湿り気を帯びた風が、鉄錆の匂いを運んでくる。


「突然巨大な花畑が現れた。なら、ダンジョンが発生した可能性が高い」

「ああ。俺もそう思う。奥の方は魔力濃度が高かったから、ダンジョンが生まれてもおかしくない」

「……危険が少なければいいけど」


 クレアの言葉にガイルが同意を示すと、再び沈黙が訪れる。


 この兄妹は普段から口数が少ないが、依頼をこなしている最中は拍車がかかる。緩んでいたミレナの表情が強張り、視線が彷徨いだす。


 木漏れ日のない森の中では、苔や葉が墨を流したように黒ずんで見える。世界の彩度が落ちたようなその場所で、3人の踏みしめる枯葉の音だけがやけに大きく響いた。




「え」




 誰が呟いたのだろう。


 ミレナの視界が突然白く塗りつぶされ、網膜が焼けるような痛みが走る。たまらずまぶたを強く閉ざし、掌をかざす。光の波が引いていくのを待っていると、甘い蜜の香りが鼻腔をくすぐった。


 ゆっくりと薄目を開けると、大地に極彩色の絨毯を敷いたような、視界の端まで埋め尽くす美しい花々が見えた。


 麗らかな陽光が、万物を祝福するように世界を明るく染めている。


「森、見えなくなってる」


 ミレナが楽園のような景色に息を呑んでいると、クレアの声が聞こえてくる。いつもは透き通っている声が、今は少し揺れている。


「……ダンジョンの中に入ると景色が切り替わるんだろう。元の方向に進めば森に戻れるはずだ」


 振り返ってみると、陰鬱とした森はどこにもなく、絵の具をぶちまけたような花畑が地平線まで続いている。


 ガイルの言う通り、一定の場所を越えると森に戻るのだろう。


「ガイルさん。どうしますか?」

「ダンジョンの存在は確認できた。帰ってもいいと思うけど」


 ガイルの背中に2人の視線が向けられている。考えるように頭を上に傾けると、やがて口を開いた。


「長居しすぎると街に戻る前に暗くなってしまう。このダンジョンにいる魔物を確認したらすぐに帰る」


 クレアの「まぁそうだよね」という声が耳に届く。彼女は目を閉じると、右手に握る黒い杖を勢いよく地面に突き刺した。微弱な魔力がミレナの体を撫でる。


「大きいだけあって魔物の数が多い。100は超えていると思う。でも、どれもEランク程度の魔力しか持っていない」

「できたばかりだからな。それで、ダンジョンコアの場所は分かるか?」

「……地面の中に埋まっている」


 クレアの言葉に、ガイルがため息を漏らす。面倒くさいと言っているように見えた。魔物を警戒しながら穴を掘るなんて、誰だってしたくない。


「大方、地中に魔力溜まりでもあったんだろう。面倒な場所にコアが発生することも珍しくはない。……クレア、花の中に隠れている魔物を威嚇してほしい」


 クレアが杖を振ると一陣の風が吹いた。暴風が花々を襲い、荒れた海原のように激しく波打っている。数え切れないほどの花弁が空を飛び、大地から色が剥がれ落ちていく。


 すると、トタトタトタという音とともに、膝丈ほどの茶色い魔物が飛び出してきた。


 即座に反応したガイルが流れるように剣を振るが、その魔物は舞踏でも踊るかのように躱してみせた。




「……速い、というより回避が上手いな」

「うん。でも、体が丸くて小さいから殺傷能力は低い。それに、魔力が少ないから魔法は使えないと思う」

「だが、足に体当たりされると転ぶ可能性がある。1体だけならいいが、複数同時に来られたら厄介だ」



 2人が冷静に分析している間、ミレナはこの魔物の外見に虜になっていた。恐らく土でできたゴーレムだろう。


 土の団子を重ねた体で、上段には愛らしい顔が描かれている。丸いピンクのほっぺがチャーミングだ。


 ミレナたちから距離を取り、威嚇するようにかわいらしい腕を上げている。


「……かわいい。クレア!あのゴーレムすごくかわいいよ!?」

「それには同意するけど、今は戦闘中。気を抜かないで」

「分かってるよ。ちゃんと集中するし、手加減したりもしない」




 クレアが杖を剣のように構えながらミレナを横目で見ている。「手加減してもクレーターができるでしょ」と考えていると思う。賭けてもいい。


「ねぇクレア。私は僧侶だからね」

「?知ってる」


 クレアの思考を読み間違えたと気付いた頃、ガイルがゴーレムに向かって矢のように飛び出した。


 一呼吸のうちに間合いを潰すと、鋭い風切り音が鼓膜を叩く。鈍い音とともにゴーレムの頭が地面に落ちる。




「……1体だけならEランクといったところか」

「そうですね。でも、これが5体10体と襲ってきたらCランク冒険者でも危ないと思います。少なくとも、私は苦戦します」

「魔物の種類と強さは分かったし、もうじき日が傾き始める。今日はもう帰るぞ」




 ガイルの言葉に2人が頷き、進んできた道を引き返す。ダンジョンの入り口からほとんど動いていなかったため、すぐに視界が切り替わる。


 肺の中まで湿るような空気とともに、濡れた土の匂いがミレナを襲った。

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