第2話 花畑の決闘

 切っ先を天に向け、ユーマが鋭く踏み込んでくる。その動きは素人の私でも分かるほど大振りだった。


 逃げろ、と頭は叫んでいるのに、足は『嫌です』とストライキを起こしている。


「っ……!」


 私は反射的に、横へと身を投げ出した。空気を叩き潰すような音が響き、狭い部屋の壁を震わせる。


 さっきまで、私の頭があった場所に剣が叩きつけられる。


「い、ったぁ……」


 足首の奥で何かが軋み、その痛みが電流のように走った。肌が粟立つ感覚が、生きていることを実感させる。


 ユーマは目を丸くして私を見つめている。きっと、私の華麗な回避が転倒だったと気づいたのだ。倒れる角度だけは、なぜか完璧だった。


 視界がにじみ、まゆげが濡れているのを感じながら、ダンジョンマスターとしての力を使う。




「で、出ろ……っ!」




 幻想的な燐光が渦を巻き、世界を書き換えるような閃光が奔る。……やがて光が淡く消え去ると、部屋の真ん中には、ぽつんと青い塊が鎮座していた。






 ぷるぷる。






 威嚇するように震えるそれは、どこからどう見てもスライムだった。


 父上助けて!と願ったのに、出てきたのはスライム。……どうして。蒼龍を召喚できるとは思っていなかったが、スライムって。


 ユーマはぽかんと固まっていた。その顔は明らかに『え、マジで?』と言っている。言葉にしなくても分かる。私、今すごく哀れな目で見られている。




 そんな私を慰めるように、スライムがぽよっと膨らんでみせた。


 まるで『大丈夫』と言うようで、つい笑ってしまいそうになる。いや、笑ってる場合じゃない。でも、なんか……かわいい。


 肩の力がゆるみ、張り詰めていた何かがふわりと解けていく。頼りにならない存在ではあるけれど、どこか安心する。


 スライムの小さな励ましに背を押され、私はそっと立ち上がり、まっすぐにユーマを見据えた。横でスライムが誇らしげにぷるんと揺れている。






 ふいに、冗談めいた気配が霧散した。ユーマの瞳がすうっと細められる。そこにはもう、スライムに対する呆れなど欠片もない。あるのは冷ややかな“覚悟”だけだ。








 せっかく落ち着いた心臓が、再び激しく脈打ち始める。私は何も気づかずに揺れているスライムをかばい、ユーマの前に立ちはだかった。


 彼を見据えたまま、背後で白光を放つ球体へと意識を割く。緩やかに回転して部屋を淡く染め上げている。


 ここで戦うわけにはいかない。ダンジョンコアが巻き込まれてしまう。




 私は指を鳴らし、空間を作り変える。スカッという音が響くと同時に、景色が塗り替わった。


 荒野でも玉座の間でも、なんでもよかった。なのに、恐怖と緊張で魔力がまるで言うことを聞かない。




 現れたのは、女子力が暴走してできたような、目が痛くなるほど色鮮やかなお花畑だった。花の香が砂糖菓子のように甘い。


 私の思考回路は、舞い散る花びらと一緒にどこかへ飛んで行った。


「ぶっ」


 ユーマが吹きだす声が聞こえてくる。


 今日だけで、私の尊厳ポイントは何回マイナスになったのだろう。けれどその笑いで、彼の警戒が一瞬だけゆるんだ。




 私はポケットから筒状の魔道具を取り出す。その名も『瓶詰めの星』だ。


 必要以上に重たいそれを、勢いよくユーマの目に向ける。腕が情けなく小刻みに震え、高速で否定のジェスチャーをしているみたいだ。


 先端から放たれる青白い光が、ユーマの顔の上を不規則に暴れまわる。案外、目を照らし続けるよりも効果的かもしれない。


 私の腕が震えて狙いが逸れるたび、ユーマは私の動きを確認しようとまぶたを開くのだ。



 視界を潰されて半ばパニックになったユーマは、「来るな!」と叫びながら、でたらめに剣を振り回している。


 花びらが舞い散り、美しい景色が無残に切り刻まれていく。


 私はゆっくりと息を吐きながら、ユーマの背後に魔法を構築していく。もちろん、殺すつもりはない。


 命の瀬戸際で、私は気づいた。誰かを殺すことも、殺されることも。


 どちらも私には重すぎる。




「ウォーターボール!!」




 腹の底から声を出すと、圧縮された水の塊がユーマの背中へ吸い込まれる。前のめりに弾き飛ばされたユーマが、地面とキスをする。


 命中した……と思ったのも束の間。


 ユーマを押し倒した水球が、「じゃあ次はオマエな」と言わんばかりの勢いで、私の顔面に向かって一直線に迫ってきた。


「ぶべらっ!?」




 数秒後。




 泥と花びらにまみれたユーマを、水揚げされたワカメのように濡れそぼった私が見下ろす。どちらも惨めだ。


 今日という日は、どこまで私を笑いものにすれば気が済むのだろう。


 張り付いた服が体温を奪い続け、私はぷるぷると震えていた。視界の端で、スライムも同じように震えている。


 そんな私を、ユーマはあどけなさの残る目で覗き込んでいた。笑っているような、安堵しているような、複雑な表情で。


 ユーマは土で汚れた顔を拭って立ち上がると、「魔族も、人間とたいして変わらないんだな」と呟いた。




「ダンジョンマスターって、もっと恐ろしいと思っていた」

「恐ろしいよ。ダンジョンの中なら、魔物だって創造できるんだから」


 私は精一杯の虚勢を張る。


「今は……開店前で準備不足だっただけだよ。営業時間内なら、お前なんてイチコロだ」

「なんだそれ」


 ユーマが笑い、私もつられて口元を緩める。だが、その和やかな空気は、吹き抜ける風と共に彼方へと消え去ってしまった。


 揺れる草花の中、ユーマがゆっくりと剣を持ち上げる。その表情は決意に満ちているようでいて、どこか迷子のように揺れている。




 やがて世界からすべての音が消え去り、互いの心臓の音だけが痛いほどに響き渡った。


 スライムは青みを濃くしてぷにっと身を縮ませ、息を潜めるように私たちを見つめていた。心なしか、「頑張れ!」と言っている気がする。




 土を蹴る音が鳴り、ユーマの姿が視界いっぱいに迫ってくる。


 速い。


 距離が半分になった瞬間、私は水に濡れて壊れた『瓶詰めの星』を突き付ける。ユーマは顔を引きつらせ、慌てて横へと跳ぶ。


 どうやらハッタリが通じたらしい。


 隙を逃すまいと、私はひたすらに同じ詠唱を叫び続けた。喉が詰まり、声が裏返りながらも、水球が絶え間なく降り注いだ。


 当たらなくてもいい。距離を作ることが目的だ。


 重く濡れた黒衣を引きずるユーマに、今度は渦巻く突風を叩きつける。




 無駄に高い魔力を活かして、ユーマの体力を削り切る。そんな私の思惑に気づいたのか、ユーマが「身体強化ブースト」と呟く。


 大気が震えるほどの爆音とともに、黒い影が真一文字に襲来する。


 迫りくるユーマに、私は本能だけで反応していた。眼前を埋め尽くすほどの魔力を練り上げ、彼我の間に小屋サイズの氷塊を生み出した。


 これで止まってくれ。


 そんな願いも虚しく、頼みの盾は一撃で粉砕された。


 舞い散る氷片など置き去りにして、ユーマが白煙を食い破るように飛び出してきた。減速など微塵もない。


 風切り音すら置き去りにする鋭利な刃が、私の喉笛へと死を運ぶ。






 終わった。あっけなく。


 私は父上の顔を思い浮かべながら、ゆっくりと目を閉じた。






 身構えた私を襲ったのは、痛みではなく鼓膜をつんざくような轟音だった。


 薄く目を開くと、扉程の透明な壁が立ちはだかっている。ダイヤモンドを薄く引き伸ばしたかのように、硬質な輝きを放っていた。




 氷の壁、ではない。




 目の前の壁がしゅるしゅると縮んでいく。現れたのは、ひしゃげた小さな塊だった。


 スライムだ。あの小さな、頼りないと思っていた。


 痛みに震えながら、それでも私を見上げ、ぽん、と小さく弾んで見せた。胸が、ぎゅっと締めつけられた。


 ユーマは「一騎打ちじゃなかったのかよ」と言いながらも、どこか安心した表情だ。


「……ありがとう」


 つい零れた声と同時に、私は握っていた『瓶詰めの星』をユーマに向けて投擲する。


 だが、瓶は重すぎた。


 放物線を描くことなく地面に落ちると、ユーマの靴先に向かってコロコロと転がっていく。


 貧弱な体を恨みながら、とりあえず距離をとろうとバックステップを踏むも、ぬかるんだ土に足を取られる。




 視界が傾き、背中から地面に倒れ込んだ。






 こうして私は、本日二度目となる華麗な転倒を披露することになった。

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