魔王の娘、敵国で商売を始める ~欠陥兵器の少女が綴る、優しき支配の物語~ 【旧題:勇者の修行場】
琴坂伊織
第一章 共犯者たちの契約
第1話 お茶でもどうですか?
人と魔が殺し合い、幾千年が過ぎた。
憎悪は劫火となって大地を焼き、亡骸の山を築く。喧騒が消えた空に残るものは、嘲笑うような鴉の声のみ。
なぜ戦争は終わらないのか。歩み寄ることはできないのか。その問いは幾度も繰り返され……やがて、絶望の中に消えていった。
ここはアストラル王国。魔族の侵攻から人類を守護する最後の砦として、常に戦火に晒される国。そんな、明日すら保証されない敵地のただ中で。
魔王の娘が、布団から出られずに震えていた。
「帰りたい。……
人質として捕まった……わけではない。それには、ちょっとした事情がある。事の発端は、少女の父である魔王アズルから与えられた重要任務だった。
『聖戦』などというふざけた名目で侵略を繰り返すアストラル王国に楔を打ち込む。そのために、私たちダンジョンマスターが各地へと送り込まれた。
私もまた、父上に造られた戦略兵器の1人として、アストラル王国に乗り込んだのだ。
そこまでは良かった。……本当に。
私は目的地に到着すると、そこで連日調査を行っていた。森や洞窟、廃墟など、ダンジョンを作るのに相応しい場所を探すためだ。
道中出会った人たちとは、ほとんど会話をしなかった。
任務のために人目を避けていた、というわけではなく、単純に私が人見知りなだけだ。街で買い物をするときだって、店の扉を開けるのに5分もかかっていた。
「どうしよう。もうお金がない」
挙句の果てには、魔道具を衝動買いして全ての資金を使い果たし、残暑の夜を路上で過ごす羽目になった。私の辞書には、計画性という文字がないのだろうか。
「でも、人間の国の魔道具を知れて良かった」
蒸し風呂のような路地の隅で身を縮ませながら、ひとりごちる。知的好奇心を満たされ、新たな知見を得られたのだから、人目に怯えながら夜を過ごすことも納得ができた。
「まさか私のことが噂になってるなんてなぁ」
冒険者の間では、ふわふわのパンケーキを食べていそうな少女が危険な場所を徘徊しているという噂が流れているらしい。
「私はそんなに幼い見た目じゃない。そもそも、甘いものは苦手なんだけどな」
そんな不名誉な噂に憤りを抱えながら、私は翌日も探索を続けた。
その日は、どうすれば知的な女性として認識されるのか、その難問に没頭しながら歩いていた。そのせいで、私を追う影に気づくことができなかった。
偶然ふさわしい場所を見つけ、目撃者がいる状況でダンジョンを作ってしまったのだ。それだけであれば、百歩譲っていいだろう。
だが、私の失態はまだ続くことになる。
ようやく路上生活が終わる。その事実に高揚し、嬉しさのあまりわざと音程を外した歌を口ずさんでしまったのだ。……それも、意味の分からないヘンテコダンスを添えて。
さらに最悪なことに、私は高らかにポエムまで詠唱してしまったのだ。
「ふっ……ここは私が創りし
なにがサンクチュアリだ。穴があったら埋まりたい!深夜でもない限り許されないだろう!
背後に人の気配を感じて振り返った瞬間、私の顔は茹でたタコなど比較にならないほど赤くなっていたはずだ。背筋が溶けるかと思った。
私と目が合った侵入者は、見てはいけないものを見てしまったような顔をしていた。その表情は、森の中で踊り狂う魔族を偶然見てしまった哀れな少年そのものだった。
そんな地獄のような回想が終わり、さすがにもう立ち去ってくれたのではないかと、一縷の望みをかけてゆっくりと顔を上げる。
しかし無情にも、私の視界には気まずそうな顔をした少年が立ち尽くしたままだった。開け放たれた扉の前で、眩い光を背負って佇んでいる。
「えっと……」
少年のひどく困ったような声が、風に乗ってふわりと届く。
私はそっと瞳を閉じると、一呼吸でなんとか胸のざわめきを押し殺す。そして、錆びついた人形のようにぎこちなく立ち上がった。
毛布が諦めたかのように床に落ちる。私は必死に澄ました声を取り繕って、言葉を押し出した。
「お、お茶でもどうですか?」
堂々と発したはずの声は、古い弦楽器のように調子を外して震えていた。少年は呆れたのか小さく肩をすくめ、苦笑を浮かべる。
「お前は……ダンジョンマスターか?」
ダンジョンを作る場面を目撃されている以上、もはや誤魔化すことはできないと諦める。せめて威厳だけでも取り戻そうと、胸を張り、毅然とした態度で自己紹介をする。
「私はアグネス・モルデント。あなたの言う通り、ダンジョンマスターだ」
『迷宮の主』という伝説を前に、少年は最高級の桐箱に入った、ただの石ころを見たような顔をしている。……無理もないと思う。
それでも、少年は私の醜態に触れることなく、静かに私を観察している。
本気で殴り合えば村の子供にも負ける程度の実力しかないのだから、私を恐れる必要などないのだが。
密閉された箱庭のような部屋に、扉から殺気めいた冷たい風が吹き込んでくる。少年は剣の柄を握りしめると、射るような視線で私を捉える。
「俺は、誰かの影のままじゃ終わりたくない。勇者になりたい」
その言葉を合図に、少年は腰の剣をゆっくりと引き抜く。刃が放つ光が、少年の決意をなぞるように輝いた。
つまり、勇者になるための実績になれと。確かに私は肩書だけは立派だ。でも、死にたくはない。生き残るために、自らの魔力を呼び起こす。
「俺はユーマ。お前を倒して、勇者への第一歩を踏み出す」
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