第18話

 眠りに落ちた青年を見つめていたルドヴィカは、そこでふと気がついた。


 ベッドサイドに括りつけられた縄が見えて、それが毛布の中まで続いている。

 そう言えば、青年はアーチーに蹴り倒されて背中に乗り上げられ、その上、ウォルターによって後ろ手に縛られていた。


 だとすれば、この縄は手首を拘束しているのか。


 ルドヴィカは、横たわる青年の右側に座っていたのだが、そこから見える縄を確かめて、向こう側へ目をやった。


 やはりベッドサイドに結びつけられた縄が見えて、青年が左右の手首をそれぞれ縄で固定されているのだとわかった。


 得体の知れない人物である。介抱はすれど信用はできない。しかも彼は、熊の毛皮を纏っており、それは熊に擬態していたと考えられる。

 整っているのは顔立ちだけで、彼は怪しさ満載の危険人物なのだ。


 だが、これでは流石に苦しいだろう。


「この拘束は外せないものかしら」

「何を仰っておられるのです」


 背後にいたアーチーから、冷ややかな声を掛けられた。アーチーは呆れているし憤慨している。ルドヴィカが、考えなしな同情から危機管理ができずにいると憤っている。


 彼はルドヴィカを見張らねばならず、それは結果的に警護という名目となり、この雪に閉ざされた山腹に彼をも閉じ込めてしまった。


 異国の不審者ばかりに同情していたが、アーチーこそ同情対象である。


「どのみち今夜は目覚めないでしょう。ウォルターが麓から人を呼びますので、ルドヴィカ様は屋敷にお戻りください」


 実のところ、ルドヴィカは迷っていた。

 老司祭一人にこの青年の看護を任せて帰ってよいのか。ルドヴィカにしてみたら、おじいちゃん、老司祭こそ介護対象である。


「麓から人を、とはどんな人なの?」

「あらゆる対処ができる者です。ご心配には及びません」


 それは多分、医師ではなくて騎士だろう。青年の容体をみながら、妙な動きをしたなら相応の処分ができる。下手をしたら、明日には新たな墓石が一基増えているなんてこともあり得るだろう。


「私が残っては」「駄目です」


 アーチーは、決して高圧的な人物ではない。寧ろ、心根は優しく思いやりがある。教養高く、国内外の情勢を読むことにも長けている。大変有能な人物なのである。


 今日のルドヴィカの行いは、そんなアーチーをキレ散らかしているだろう。今日だけで、彼の毛細血管は何本もブチブチ切れているはずだ。



 アーチーの言ったことは本当で、間もなく麓から看護要員が連れてこられた。意外なことに、教会には馬がおり、麓までの道も整えられているのだという。だから、こんな雪に覆われていても、業者が馬車で通うことができるのだろう。


 馬の世話も、この小柄な老司祭がしているのだろうか。

 ふと、そんな疑問が浮かんだが、それよりもウォルターが連れてきた助っ人に、ルドヴィカは意識を持っていかれた。


 アーチーは体躯が大きい。ウォルターは更に大きい。そして助っ人は、二人を凌ぐ大男だった。

 思わずルドヴィカは、ぽかんと口を開けて見上げてしまった。


 彼が座れるような椅子はあるだろうか。座った途端、潰れてしまうのでは?


 そんなルドヴィカの心配をよそに、大男はベッドの横に来ると、ルドヴィカに黙礼した。それから青年を一瞥すると、それだけで状況を把握したのか、立位のままベッド脇に就いた。


 帯剣しているわ。


 平服を纏っているが、彼が騎士であることは一目瞭然だった。一目もしなくても、これだけの大男であるから、彼が手練れの戦士であるのは丸わかりだった。


「帰りましょう」


 動く気配のないルドヴィカに、アーチーはそう言ってルドヴィカの手を握り、そっと引き寄せた。そうでもしなければ、この頑固で我儘な幽閉妃を屋敷に連れ戻せないとでも思ったのだろう。


 そろそろ日が暮れる。冬至を過ぎて日ごとに日は長くなっても夏の夕暮れには及ばない。暗くなってから戻っては、ブレンダが心配するだろう。


 地下通路はどのみち真っ暗闇なのだが、屋敷で待つ侍女はきっと、窓から見える空の暗さに主の身を案じるだろうと思った。


 帰りの通路では、誰も何も言わなかった。慣れたとはいえ、足元は暗く歩くのに注意を要する。黙々と歩みを進めながら、考えるのは異国の不審な青年のことだった。


 ルドヴィカが教会を去るときには、熱は更に高くなっていた。顔は真っ赤に染まり、青年は熱にうなされ小さな呻き声を漏らしていた。


 大丈夫なのだろうか。


「ご心配なさいますな。ゲンズブールに任せておけば安心です」


 背後をランプで照らしながら歩いていたウォルターが、そう言った。ゲンズブールとは、あの大きな体躯の騎士の名である。

 意外なことに、彼は憲兵隊の救護班から助っ人として駆り出されていた。戦える救護人なのである。


「拘束は解きました。どうしたってあの様子では、ゲンズブールには太刀打ちできませんからな」


 ルドヴィカの内心を察したように、ウォルターは青年を拘束していた縄を解いてくれた。


 前を歩くアーチーは、何も言わなかった。ランプを掲げて黙々と歩みを進める。漆黒の闇が覆う地下通路で、ランプを持つ彼の背中は薄暗く見えた。自分の立場を弁えられないルドヴィカの軽率さを、腹立たしく思っているように感じられた。


 だが、ルドヴィカは明日も教会へ行こうと決めていた。屋敷から教会までがルドヴィカが生きることを許された世界なのだとしたら、その世界でだけは自由でいたいと思った。


 何より、あの青年が夜を越せるのか気がかりだった。

 熱に浮かされ、たどたどしく語った彼の帝国語は、とても綺麗な発音だった。

 彼は一体、何者なのか。熱が下がったなら、もう少し会話ができるだろう。


 もしかしたらその前に、関所に移送されてしまうのか。できればその前に、ひと言だけでも話をしたいと思うのだった。






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