第17話

「それなら、療養室へお運びください」


 そう言ったのは、老司祭だった。


 療養室なんて部屋が教会に?

 ルドヴィカはそんな疑問を抱いたが、考えてみれば、ここには英霊たちが眠っており、彼らの多くが騎士なのだとしたら、命を落とす間際まで過ごした部屋があったとしても、なんら不思議はないと思った。


「アーチー、その方から退いてちょうだい」


 ルドヴィカの言葉に、アーチーは厳しい顔をした。


 彼にとっては、明らかな不審者は危険人物でしかない。このまま雪の中に放ってしまえば一晩と保たず凍死するだろう。

 下手に手をかけるより、自然に死なせることができる。外傷のない凍死なら、後から責を問われることもない。


 仮に、異国から来た青年の母国が何を言ったとしても、全てはこの土地に来た彼自身の自己責任と言えるだろう。


 アーチーがそこまで考えていることは、ルドヴィカにもわかった。ルドヴィカが騎士であるなら、同じことを考えただろう。


 だが、目の前に倒れ込んだ青年がただの旅人ではないことを理解しながら、ルドヴィカには見捨てることができなかった。


 それにウォルターは「死なせてはならない」と言った。その考えもまた正しいと思えた。


「このお方を死なせてはなりません。これは、マクシミリアン様のためでもあるのよ」


 この褐色の肌と亜麻色の髪、煮詰めた蜜のような琥珀色の瞳。彼の姿は、ルドヴィカの知る一国と特徴が一致していた。




 アーチーが青年の背中から降りると、彼はようやく深く呼吸できたようで、大きく息を吸い込んで、それから深い溜め息のあとに気を失ってしまった。


 ウォルターが彼を抱き上げて、老司祭が案内する療養室に青年を運んだ。

 扉を覆い尽くすように見えたほどだから、青年は大きな体躯をしていたのだが、ウォルターはそれを軽々とお姫様抱っこした。


 その姿が可怪しな妄想を抱かせて、ふとアーチーを見れば、彼もなんとも複雑な表情を浮かべていた。


 療養室は清潔に整えられていた。

 教会には、老司祭が一人で住んでおり、時折、麓から業者が食料品や日常品を売りに来る。


 ルドヴィカは幽閉の身であるが、教会にただ一人住まい霊廟と墓地を守る老司祭こそ、隠遁めいた生活をしている。


 もしかしたら老司祭は、甘いお菓子や香りのよい紅茶よりも、かつてのサンドラの屋敷に移り住んだ、いわくありげな貴婦人の訪問を楽しんでいたのかもしれない。


 大柄な青年が寝かされると、簡素なベッドはとても小さく見えた。頬は先ほどより赤みを増して、呼吸も荒くなったように思えた。


 ルドヴィカは、生まれたその日からかしずかれてきたから、病人の看護などしたことがない。


 ただ、妃教育の一環として、怪我や急患の初歩的な対処については習っていた。

 あってほしくはないことだが、有事の際に万が一、王城で怪我人を介抱する場合に備えての知識である。


 こんな誰も来ない山腹の教会で、異国の青年の看護をするなんて。人生には、予想もつかないことがあるものだ。


 青年の額の汗を拭ってやると、ふるりと瞼が震えた。朦朧としていても、微かな意識があるのだろう。


 ルドヴィカはベッドの脇に座っており、背後にはアーチーが立っていた。

 ウォルターは、老司祭とともにどこかへ行っており、多分、薬の類を用意しているのだろう。


「アーチー、ごめんなさい。貴方の気持ちはわかるのです。だけど、見捨てることができなかったの」


 長いこと使われていなかった療養室は、暖炉に火を入れても暖まる気配がない。部屋ごと凍りついてしまったように、ルドヴィカの吐く息は白く、真っ白な手の指先は赤くなってかじかんでいる。


 その指先が見えるのだろう。アーチーは小さく溜め息をついた。


「貴女は馬鹿なお方です。彼はきっと貴女を悩ませる。災いをみすみす懐に招き入れるだなんて」


 アーチーは、ルドヴィカを馬鹿だと言ったが、彼がルドヴィカを心配していることはわかっていた。こんな北の最果てに追いやられた妃に付き添っているのである。彼こそ多くを犠牲にしている。


「麓から人を呼びます。ルドヴィカ様は明日からは、ここへ来るのはお控えください」

「どうしても駄目かしら?」

「ご自分の身分をお考えになってください」


 こんなところに閉じ込めて、なんの身分があるのだろう。

 その言葉を呑み込んだのは、言っても仕方のないことだと思ったからだ。言い始めたら切りがない。アーチーだってわかっている。


「彼が目覚めるまででよいの」


 アーチーは、その言葉には何も返してはくれなかった。


 その時である。


『……』


 青年が何かを呟いた。吐息と混じり聞こえた言葉は、大陸の公用語である帝国語だった。


 ルドヴィカは、妃教育で習っていたから帝国語には精通している。アーチーも、多分、ウォルターも話せるだろう。王家に関わりのある人間は、高等教育を受けている。


『ここは……』

『ここは教会です』


 青年が、かすれる声で尋ねたことに、ルドヴィカは答えた。


『君は……』

『この近くの住人です』


 青年が薄く瞼を開けて、ルドヴィカを見た。


『苦しいですか?』


 怪我をしていないことは、ウォルターがすでに確かめていた。彼はお姫様抱っこをした青年をベッドに下ろすと、手慣れたように衣服を脱がして、老司祭が用意した簡素な寝間着に着替えさせていた。


 青年の着ていた衣服は、入国したときに用意したのか、この国のものだった。明らかに異国の民であるのに、どこかで落としてしまったのか、身分を証明するものは、金品も、旅人が携帯するものも何も持ってはいなかった。


 どうしてここに来たのか。何を目的にして来たのか。

 アーチーが警戒して殺そうとまでしたことが責められないのは、それほど彼が得体の知れない不審人物だからである。


 ルドヴィカの問いかけに答える前に、青年は再び意識を手放した。頬はますます熱をはらんで、汗は玉のように拭っても拭っても浮かんでくる。


 長い睫毛は髪と同じ亜麻色をして、濃く太い眉もまた同じ色をしている。旅の汚れはあるが、滑らかな肌と整った顔立ち、恵まれた体躯に公用語を習得している。


 それらは全て、彼が相応の身分であることを示していた。







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