第10話
「ルドヴィカ様、まあ……」
ブレンダは、図書室から出てきたルドヴィカの顔を見るなり眉を下げた。
ルドヴィカは目元を赤く腫らし、瞳はまだ涙で潤んでいた。
それをブレンダは、ルドヴィカが自身の置かれた現状に傷つき悲観して、誰もいない図書室で一人泣き濡れていたと思ったのだろう。
実際は、恋愛脳のサンドラが残した王道の悲恋小説に没頭しすぎていただけである。
図書室には、ルドヴィカが一人でいた。
室内はそれほど冷えてはおらず、快適な読書時間を得られていた。
窓際にローテーブルと一人掛けのソファがあって、そこに座ると足元が暖気で暖められる感覚があった。
テーブルの下を確かめれば、足元の床には約30~40センチ四方の通気孔があった。
通気孔には鉄製の格子状の蓋が嵌められており、そこから階下の暖気がここまで上がってくる仕組みになっていた。
三階に位置する図書室の真下は、どうやらルドヴィカの私室のようだった。
ルドヴィカの部屋は、一日中暖炉の火を落とさない。通気孔は私室の天井から図書室に暖かな空気を運んで、それが火気のない図書室の暖となっているようだった。
図書室にこもるルドヴィカにお茶を淹れ、席を外したブレンダは、そろそろ晩餐という頃になっても出てこないルドヴィカを心配していたのだろう。
だから、目を赤く泣き腫らしたルドヴィカを見て、彼女にしては珍しく憤慨したのである。
「大切なお妃様をこれほど悩ませるなんて。ルドヴィカ様、お辛いことも嫌なことも、何もお考えにならずともよろしいのです。不甲斐ない殿下など、ルドヴィカ様からお捨てになって差し上げればよろしいのです」
ブレンダは、マクシミリアンを不甲斐ない、捨ててしまえと言った。その言葉にどこか可笑しみを感じて、ルドヴィカはつい笑ってしまった。
「心配しないで、ブレンダ。なかなか面白い小説を見つけたの。読んでいるうちに感情移入してしまって、それでつい涙が出ちゃって。お陰で本来の目的をすっかり失念してしまったわ」
そう言えば、ブレンダは誤解を解いてやっといつもの柔和な顔に戻ってくれた。
それから、急ぎルドヴィカは食堂室へと向かった。すっかり皆を待たせてしまったと、謝りながら扉を開けたルドヴィカに、すでに部屋で待っていた一同はぎょっとしたような顔をした。
両目の瞼を赤く泣き腫らしたルドヴィカに、どうやらブレンダと同じことを思ったらしい。
寡黙なヘレーネまでが「ルドヴィカ様……」と言ったまま固まってしまった。
アーチーに至っては、ガタンと音を立てて椅子から立ち上がった。目を見開きルドヴィカを凝視して、「なんてことだ」と呟くと、両の拳を握り締め俯いてしまった。
どうやら、ウォルターもアーチーもヘレーネも、三人が三人とも、ルドヴィカが幽閉の身を憂いて一人密かに涙していたと誤解したようだった。
全て思い違いである。ルドヴィカは、悲恋の恋物語に感極まって泣きすぎただけである。
だがルドヴィカは、そんな彼らの様子に気づかなかった。まだ頭の中では先ほどまでの小説のことを考えていた。
悲恋ではあるが、ちらっと先回りして読んだ終わりのほうは、なんだか幸福なエンディングの匂いがしていた。
ルドヴィカには悪癖があり、小説を読むときに、必ずと言ってよいほど結末を先回りして読んでしまう。
そんなことは面白さが半減するだけなのに、意外とせっかちなところのあるルドヴィカは、まるで生き急ぐように、終わりを知ってから安心して本編を読むのである。
ウォルターが注いでくれたスープを啜りながら、パンをちぎりながら、メインディッシュにナイフを入れながら、結末から察する本編のアレやコレやを一人思い描いていた。
その空想に没頭する姿が、余計に誤解を生んでしまった。どこからどう見ても、思い悩み気もそぞろになっている姿であった。
「……ルドヴィカ様」
アーチーに名を呼ばれて、ルドヴィカは思考の腐海から這い上がった。
「どうしたの?アーチー」
アーチーは、先に自分から名を呼んだのに、痛々しいものを見るような眼差しを向けてきた。
「え?どうかしたの?」
苦しげに眉を寄せるアーチーに、ルドヴィカは心配になってしまった。
「ごめんなさい。明日から晩餐に遅刻しないように気をつけます」
てっきり、待たせてしまったことで怒らせてしまったのだろうと思った。よくよく考えれば、主に待たされて怒る護衛なんている筈もない。
だが、日常生活の常識こそ当てにならないことだと最近考えはじめていたルドヴィカは、そこに思い至らずにいた。
「私は、必ずルドヴィカ様を教会まで安全にお連れいたします」
ルドヴィカが枯れ井戸から教会へ抜けることを警戒していたアーチーは、そこで態度を改めた。
「それは本当?」
「私は嘘など申しません。ルドヴィカ様の御心が慰められるのであれば、私にできうる限りの全てをさせていただきます」
「アーチー……」
ルドヴィカを監視しているとばかり思っていたアーチーが、ここにきて方針転換を図ってルドヴィカを助けようとしてくれている。
感無量とはこういう気持ちなのだろうか。
感極まるあまり、ルドヴィカは「うっ」と小さく声を漏らした。
ただそれだけのことであったが、アーチーは再び慌てふためいた。
「ルドヴィカ様のためなら、なんでもいたします」
終いには、そんなことまで言い出して、ルドヴィカのほうが「?」となった。
これ以降、アーチーはルドヴィカに最も協力的な姿勢を示すようになった。
ルドヴィカにしてみれば、自由度が増すのであれは何でもよかったので、彼の誤解は解かないままでいた。
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