第9話

「アーチー殿。いずれこうなることはわかっていたことです」


 動揺を見せたアーチーに言ったのは、ウォルターだった。


「ありがとう。ウォルター」


 そんなウォルターに、心からの礼を述べたルドヴィカに、アーチーはなにも言えなくなってしまった。


「ですがルドヴィカ様。今日はどうか我慢いただけませんか。後日、日を改めて、午前の早いうちに行かれるほうが良いでしょう」


 確かに、すでに昼時に差し掛かる時間であった。今から行って、教会までどのくらい時間がかかるのかもわからない。黙って出かけてしまっては、きっとブレンダも心配するだろう。


 それで結局、ウォルターの言うとおり探索は後日に延びた。

 ルドヴィカはウォルターに尋ねてみた。


「ウォルターは、ここを通ったことがあるの?」

「ええ、ございます」

「では、道案内を頼んでもよいかしら」

「勿論でございます。むしろ、私をお連れいただきますようお願いしたいと思っておりました」


 流石は話せばわかるウォルターである。彼が一緒であれば安心だ。なにせ、井戸の中に続く螺旋階段は、その先は闇の中に溶け込んでここからは何も見えない。

 自分で望んで降りるというのに、怖気づいてしまうような不気味さを感じてしまう。


 ウォルターと二人で話を決めてしまった傍らで、アーチーは渋面をしたままだった。

 彼の気持ちはわからなくもなかった。


 アーチーはただの護衛騎士ではない。ルドヴィカが勝手をしないように、見張り番であるのは間違いないことだった。


 王家がこのままルドヴィカをどうするかなんてわからなかった。

 何の説明もされぬまま、まるで罪人のように移送された。だが真実の罪人ではないから、この屋敷の中だけなら拘束もされず不自由もなく、隠棲めいた暮らしを送っているだけのことだった。


 これからどうなるかなんて、ルドヴィカにわかるはずもない。明日がどうなるかなんて、誰も教えてはくれないのである。


 だから、ウォルターが今日より後の予定を認めたことは、ルドヴィカに「明日の予定」を作ってくれたという意味を持つ。それはとても心強いことだった。


 もう一つは、アーチーの言葉通り、ルドヴィカは単純に興味をそそられていた。サンドラが通った道を確かめてみたくなった。

 こんな通路を造ってまで、彼女の心を捉えた英霊とは、何者であったのか。


 辺境騎士と伯爵家当主。なんのつながりもない二人の間に、一体何があったのか。


「ウォルター、ここには書庫はあるのかしら。図書室とか」

「ええ、ございます」

「私はそこに立ち入りはできて?」

「勿論でございます。ルドヴィカ様がこの屋敷の主様でいらっしゃるのですから」


 ルドヴィカは、頬が緩むのが見ずともわかった。数日ぶりに心が動く。 


 ここに来てから何日経っていたのか、実のところよくわからずにいた。暦ならあるし、尋ねればウォルターもブレンダも教えてくれるだろう。

 だがルドヴィカ自身が時や日付への興味をすっかり失って、ただ一日を窓の外を眺めて過ごしていた。


 ルドヴィカはまだ若い。ここに生涯幽閉されるとしたら、これからの時間は膨大である。気の遠くなるような日々の連続に、今日が何日であるかを知る必要を感じられずにいたのである。


 マクシミリアンは、なぜルドヴィカに自由を認めてくれなかったのだろう。

 南の大国の姫君を正妃として迎え入れることが、国家が取り決めたことだとしたら、ルドヴィカは王国の一員としてそれを受け入れねばならない。


 ルドヴィカは王太子妃でありマクシミリアンの妃である前に、この国の民である。そして、貴族の務めとして王家の駒となる。

 国の取り決めに抗うことはできない。


 王国がルドヴィカを妃と決めてマクシミリアンに嫁いだことと同じく、王国が正妃をほかに認めたならそれに従う定めにある。


 せめて離縁してくれたなら、哀しみも虚しさも呑み込んで、いずれは父が次の嫁ぎ先を決めたのだろう。

 少なくとも、生涯を山腹の屋敷に囚われる未来ではなかっただろう。


「ルドヴィカ様。お身体が冷えてしまいます。そろそろ戻りましょう」


 アーチーに促されて、井戸から離れた。先ほどまでの強情がすっかり引っ込んでしまったルドヴィカに、アーチーは労わるような眼差しを向けてきた。


 彼にも迷惑をかけていることはわかっている。アーチーとブレンダだけが、ルドヴィカに王都での暮らしがあったことを思い出させてくれる。


「さあ」


 アーチーは、すっかり大人しくなってしまったルドヴィカに手を差し伸べた。まるでエスコートする紳士のような仕草である。


 ルドヴィカはその手の平にそっと手を乗せた。互いに手袋越しではあるけれど、ほんのり温もりが伝わるようだった。


「まあ」


 アーチーは、あろうことかルドヴィカの手をぎゅっと握り締めた。護衛らしからぬ悪戯に、ルドヴィカは声を漏らした。だが、彼がルドヴィカを励ましたいと思っての行為であるとわかっていたから、手を繋がれたまま屋敷まで戻ることにした。


 マクシミリアンもこんなふうに、手を繋ぐことを好んでいた。繋いだ手がわけもわからぬまま離れるなんて、思いもしなかったのである。




 ルドヴィカは、その後、早速図書室を訪れた。

 サンドラは、いつからここに住んだのだろう。いつ頃住み着き、いつまで生きていたのか。なにかわかるかもしれないと考えた。


 図書室に古い貴族名鑑があれば、彼女の没年は確かめられる。果たして、彼女が没した後に発行された年鑑がここに保管されていればの話であるが。


 だがルドヴィカは、ここに来て己の好奇心の旺盛さに呆れることとなってしまった。


 どうやらサンドラは小説好きであったらしい。

 図書室には、多くの書籍が残されていた。様々な類の書籍があったが、ひと目でわかったのは小説の多さだった。


 推察するに、サンドラは恋愛脳だったのではないか。小説はその大半が恋愛小説で、ルドヴィカも知る古典文学も多く残されていた。


 そしてルドヴィカは、それらに気軽に手を伸ばしたつもりが、すっかり夢中になってしまった。

 サンドラの晩年についての背景を知ろうと足を踏み入れた図書室で、晩餐を知らせる声がかかるまで恋愛小説を読みふけってしまった。

 涙が零れてしまうような悲恋の物語に、実際泣いてしまいながら没頭していた。


 だから目的である、教会に通ったサンドラの背景を知ることはできなかった。ただ、彼女が相当な恋愛小説好きなことだけは理解できたのだった。





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