第8話

「お待ちください、アーチー殿」


 枯れ井戸の蓋を持ち上げようと、アーチーが手を掛けたところで、ウォルターが止めた。

 ウォルターは、それからルドヴィカを見て言った。


「ルドヴィカ様、貴女様を信頼してお見せするのだと思ってください」


 それはルドヴィカに、勝手な行動をしないように釘を刺しているのだと思った。言い換えれば、これから目にすることはルドヴィカにそんな気持ちを起こさせるということだろう。


「わかりました」


 ルドヴィカがそう答えると、アーチーはウォルターを見て、彼が頷くのを確かめた。そうして蓋をゆっくり持ち上げた。


「これって……」


 ルドヴィカは、井戸に近づき縁に手を掛けると、身を乗り出して中を覗き込んだ。


「ルドヴィカ様、危ないです。気をつけてください」


 アーチーがルドヴィカのすぐ横に並んで言った。


「これは井戸ではないわ。通路だわ」


 円形にくり抜かれた掘り井戸は、水を引くためのものではなくて地下に通じる通路だった。なぜなら、縁からは螺旋状の石段が組まれており、それは地中にもぐりこむための階段だった。


 なにより、


「暖かい……」


 石の階段を通って、暗い穴の奥から暖かな風がふわりと吹き上がってルドヴィカの頬を撫でた。


「中は暖かいの?こんなに?」


 まるで暖炉の前にいるような、春の陽光を浴びるような、この雪に覆われた地上からは考えつかない柔らかな暖かさだった。道理でここだけ雪が浅かった。この井戸自体が暖められているのだろう。


「ルドヴィカ様は、麓に温泉が湧いているのをご存知でしょうか」


 思いがけない光景に驚くルドヴィカの背後から、ウォルターが言った。

 その言葉に、ルドヴィカも思い出していた。


 この土地は、保養地として知られている。

 夏の涼しさのほかにもう一つ、良質の温泉が湧いており保養所がある。そこは季節が良ければ観光にも、冬の今なら療養に利用されている。

 山脈の向こう側にある北の辺境伯領からも、傷や病を癒す目的で騎士らが保養所を訪れるのだという。


 そう教えてくれたのもまた、マクシミリアンだった。


「この通路は、その温泉の通り道に近いのでしょう。地熱に暖められているのです」

「通路……」


 ウォルターは、はっきりと「通路」と言った。

 背後にいるウォルターから「しまった」という声が聞こえそうであった。


「通路はどこに繋がっているの?」


 ウォルターへ振り返って、ルドヴィカは問うてみた。


「……教会です」

「え?教会?なんのために?」


 ルドヴィカは、一見すれば枯れ井戸にしか見えない通路と教会が頭の中で繋がらず、思わず尋ねた。


「近道だからです」

「近道……。それって、わざわざ教会に通うためにこの通路を掘ったというの?」


 ウォルターは、ルドヴィカの言葉に頷いた。


「ここから地上の道を通って教会に行くには、一旦麓まで降りて、途中にある分かれ道から山裾を回り込んで行かねばなりません。女性の足では少しばかり距離がございます」


「女性の足って、それはもしやここの持ち主だった女伯爵のこと?」


 今は王領となったこの土地は、元は某伯爵家の領地の一つであった。今いる屋敷はその最後の領主となった女伯爵が終の棲家としたところである。


「仰るとおりでございます。かつての女伯爵、エマリー伯爵でいらっしゃったサンドラ様です」


 数十年前に存在した過去の人物が、急に目の前に姿を現した、ルドヴィカはそんな気持ちになった。


「サンドラ様……。ウォルターはエマリー伯爵のことを知っているの?」

「この土地の住人であれば、知っている者は確かにおります。ですが、そう多くはないでしょう。随分昔のことですから。長生きをした老人の中には、或いは覚えている者たちもいるかもしれません」

「そうよね。数十年前とは、私も聞いていたわ」


 誰から聞いた、とは言わなかった。

 それではマクシミリアンも、この通路の存在を知っていたのだろう。


「それで、彼女は近道の通路を掘るほど、教会に通っていたというのね?」

「左様でございます。教会には多くの英霊が眠っております」

「英霊。それは北の辺境伯領の騎士かしら」


 ウォルターは、その問いかけには頷いて答えた。


「サンドラ様は、その辺境騎士の誰かと面識があったのね。でも、なぜ騎士は辺境伯領ではなくて、この土地に眠っているの?」


 尋ねるうちにルドヴィカは、自ずと答えに辿り着いた。


「彼、保養所で療養していたのだわ」

「仰るとおりでございます」


 ウォルターは、そのことを知っているようだった。この屋敷を管理している彼には、ここにまつわる事柄のおおよそがわかっているのだろう。


「そもそもサンドラ様は、なぜここに住んでいたのかしら。景色が良くて静かだから?温泉が湧いているから?それとも……、そうだわ、彼がここにいたからだわ」


 療養する騎士がいたから、若しくは、彼がここに眠っているから。そのどちらかのために、サンドラはこの雪深く背を山肌に遮られた中腹にある屋敷に移り住んだのではないか。


「無闇に興味を抱いてはなりません」


 そこで、ルドヴィカの溢れる好奇心に待ったをかけたのはアーチーだった。


「約束しましたよね、見るだけですよ」


 アーチーは、ルドヴィカが瞳をキラキラさせて考察しているのを、苦々しいという顔をして見ていた。


「間違ってもここを降りようだなんてそんなことを」「貴方が一緒なら良いのではなくて?」


 アーチーに終いまで言わせずルドヴィカは聞き返した。


「門扉から外には一歩も出ないわ。この通路は屋敷の敷地よ。それなら」

「屁理屈を言わないでください」


 アーチーはこうなることを予想していたのだろう。面倒なことになったと思っているらしい。


「アーチー、貴方、知っていたのね。私は貴方を信頼していたというのに、貴方はその私に隠し事を?水臭いわ」

「うっ」

「ねえ、良いでしょう?教会に行くだけよ?外を通ることではないわ。人目にも触れないし、それに私、逃げたりなんてしないわ」


 ルドヴィカは、観光や保養でここに来ているのではない。自分が幽閉されている身であるのを百も承知している。


 そしてマクシミリアンの言い付け通りに、使用人以外の目に触れず大人しくしている。


「私は生涯、神に祈ることすら許してはもらえないのかしら」


 その言葉に、アーチーの青い瞳は戸惑いを浮かべて揺れた。




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