第7話
明くる日は、夕べの雪が嘘のように晴天が広がっていた。
青い空から日が射して、大気には細かな
数日ぶりに出た屋外だった。
防寒用の分厚いコートを着たルドヴィカは、玄関ホールを出たところで立ち止まってしまった。
「なんて美しいのかしら」
辺り一面白銀の世界だった。晴れ渡る空から陽光が降り注ぎ、大気をキラキラと光らせている。それは時折虹色にも見えて、ルドヴィカは思わず見惚れてしまった。
なにより、降り積もった雪はあらゆるものの形をまあるくさせて、木々はもふもふと真綿を纏ったようだった。
門扉までどこを歩けばよいのかは、ビクターとティムズが雪を掻くことでようやくわかる有様だった。
「ルドヴィカ様、ゆっくりお歩きくださいませ。雪道には歩くのにコツがいるのです。うっかりするとステンと背中から転んでしまいます」
ウォルターにそう言われて、玄関ポーチの段差の低い階段を降りるにも、アーチーの手を借りてソロリソロリと降りたのだった。
「お疲れ様。ビクター、ティムズ」
雪掻きに精を出す二人に声をかければ、二人は同時に身体を起こしてこちらを向いた。その体躯の大きさに、ルドヴィカは思わず後ずさりしそうになった。
彼らとはここに来たばかりの時にも会っていたのだが、いまだに慣れずにいる。王城で屈強な近衛騎士たちを見慣れていたのに、二人は更に上背があり、防寒着越しにもその身体の厚みが相当であることが
北国の人々は、こんな深い雪に閉じ込められる暮らしをしていながら、どうしてこれほど大きいのだろう。見下ろされるルドヴィカは、まるで幼子のようである。なんならアーチーも見下ろされている。
北国のもう一つの特徴なのか、ビクターとティムズは共に寡黙である。それはヘレーネも似たようなもので、彼らは雰囲気までよく似ていた。
麓の街も寡黙な人だらけだとしたら、どれほど静かな街なのだろうとルドヴィカは想像してみた。
二人は静かに腰を折って、ルドヴィカに礼をした。
「お仕事の邪魔をしてしまいました。邪魔をしたついでに、これを」
小振りな紙袋を二つ携えていたルドヴィカは、それを左右の手に一つずつ持ちビクターとティムズに差し出した。
二人は一瞬、互いの顔を見合わせていたのだが、先にビクターが一歩前に踏み出した。
「先ほど焼き上がったばかりなの。クッキーです。ウォルターと一緒に焼いたから、味は保証します。甘いのは苦手かしら?」
「ルドヴィカ様がお手からですか?」
ビクターの問いかけにルドヴィカは頷いた。
久しぶりに厨房に入った。王城ではあり得ないことだった。だが、生家にいた頃は、料理長と一緒に焼き菓子を作ることはたびたびあった。
マクシミリアンとの婚約時代には、彼にもプレゼントしたこともある。毒味は彼の侍従がしたのだが、食べすぎるなとマクシミリアンが侍従に横から言ったりして……
なにをするにも夫を思い出す癖は、すぐには治まらないことだった。
「今日はナッツを入れたんです。今度、ヘレーネが麓からチョコレートを買ってきてくれるから、そうしたらチョコチップクッキーを焼いてみようかと。そうしたら、召し上がってくださる?」
そう言って二人の顔を見上げれば、口の重い大男たちは、どこか居心地の悪そうな顔をしながらもペコリと頭を下げた。
それからルドヴィカは、彼らの邪魔にならないように、雪掻きを終えた通路をゆっくり歩いた。
吐く息は白く、それもすぐに大気に滲んで消えていく。雪に足を取られて思うように歩けない。そのうち着膨れた身体が熱を持ち、軽く汗ばんできた。
「気持ちがいいわ」
王都の冬より寒さは厳しい筈なのに、真っ白な雪に覆われた世界は不思議と暖かく感じられた。
「ルドヴィカ様、雪の下での日射しは夏以上に強いものです。日に焼けますとすぐに黒くなってしまいます。そろそろ屋敷に戻りましょう」
後ろからついてきていたウォルターの言葉に、ルドヴィカは驚いた。日焼けとは肌が赤くなるものだと思っていた。
肌が黒くなったルドヴィカを、マクシミリアンが見たならどう言うだろう。きっと、あの眩しい笑みを見せて「黒くなったな」と笑ってくれるのだろう。
もう二度と見られない笑顔を思い出した。ウォルターに向けて微笑んだ顔が、小さく歪んでしまうようで思わず顔を逸らした。
「あら?」
そこでルドヴィカは気がついた。
「ウォルター、あれは井戸?」
屋敷の左脇に、陰になるように井戸らしきものが見えていた。井戸だとわかったのは、そこだけ雪に埋もれていなかったからだ。
「ああ、あちらは枯れ井戸です」
「枯れ井戸?」
ルドヴィカの問いかけに、ウォルターは頷いた。
「こちらで使う水は湧き水を屋敷の中に通しております。なぜなのか、湧き水は真冬にも凍結しないのです」
「まあ、それは不思議なことね。え?それでは井戸なんて元から必要なかったのでは?」
ウォルターはそこで、どう答えようかというような顔をした。ルドヴィカはその表情をよく知っている。
王城には、こんな表情を浮かべる人々が多くいた。彼らは大抵、言いづらいことや伏せておきたいことをルドヴィカが察すると、揃ってこんな顔をした。
「あれは本当に井戸なのかしら」
「ルドヴィカ様」
ルドヴィカを止めたのはアーチーだった。
「それに、どう見ても可怪しいわ。あそこだけ雪が積もらないなんて。まるでそこだけ春のように……」
ルドヴィカは、自分で言った言葉に思い留まった。
「ルドヴィカ様!」
ザクザクと雪を踏み締め、ルドヴィカは井戸へと向かった。
慌ててウォルターもアーチーもついてくる。
「ルドヴィカ様、なんでもありません。戻りましょう。ブレンダが温かいお茶の支度をしております」
横に並んでアーチーがそう言った。だが、ルドヴィカは歩みを止めなかった。途中、滑る足元にバランスを崩しながら、ルドヴィカは井戸へと歩みを進めた。
雪を掻き分けてもなんとか歩けた。なぜならそこだけほかより雪が浅かった。積もっているのは確かだが、ロングブーツを履いたルドヴィカでも前に進める深さであった。
ルドヴィカは、井戸に辿り着いた。
そこだけ春が来たように、雪の深さは周りと比べて明らかに浅かった。
ルドヴィカは、枯れ井戸に蓋がされているのを見てから、アーチーを見上げた。
「駄目です、ルドヴィカ様」
「では、私が開けるけれどよろしいわね?」
そう言えば、アーチーはちらりとウォルターを見た。ウォルターは無言のままでいたのだが、渋々というように小さく頷いた。
「ええいっ、もうっ」
アーチーがヤケを起こしたような声を上げた。
「ルドヴィカ様、見るだけですよ、可怪しなことを考えては駄目ですよ」
そう言って、井戸に被せられた木製の蓋に手をかけた。
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