Log. 03 ――その傷跡は、今もなお。

 提灯の明かりが揺れる店内で、伊勢は豪快にジョッキを空けた。

 対照的に、花谷は真っ赤な顔をして机に突っ伏しかけている。


「なーにが、『それなりに飲む』だよ。滅茶苦茶弱いじゃねーか」

「いしぇしゃんが、つよいやつばっか、のませるからぁ……」


 ろれつの回らない花谷を、伊勢が酔った勢いで覗き込む。


「でぇ? おまえ、ぴよ坊と何の話してたんだよ」

「なんれもないれすってばぁ……」

「おお? 俺は嘘を見破れるんだぞ。俺の目をまっすぐ見て言えるのか、ああん?」

「ああ、はいはい、もうわらりまひたよぉ」


 観念したように、花谷が顔を上げた。

 その瞳が、酔いの中にも一瞬だけ真面目な色を宿す。


「一年前、何してたかって聞かれたんれす。でも、俺……この件は他言無用って、上から釘刺されててぇ……」


 カラン、と伊勢のグラスの中で氷が鳴った。


「一年前……か」


 急に静かになった伊勢の横顔に、花谷が首を傾げる。


「……? 伊勢しゃん?」



 - - - - -



 深夜のオフィスには、まだ数台のモニターが青白い光を放っていた。


「あれ、比与森くん、まだ残ってたの?」


 戻ってきた辻宮が、デスクにかじりつく比与森に声をかける。


「調べたいことがあったので。先生もカウンセリング終わったんですか?」

「ええ。渡峯さんは、カウンセリング映像を見直すって。仕事熱心だよね」

「そういう人ですからね」


 比与森は手を止めずに答えた。そんな彼の背中に、辻宮がふと問いを投げかける。


「比与森くんって、渡峯さんとの仕事は長いの?」

「いえ、一年前の事件の時に一緒に仕事をしてからなので。期間としてはそれほどかと」

「一年前か……」


 辻宮の呟きを、比与森は聞き逃さなかった。


「先生もあの事件、捜査本部にいらしたんですよね。厚労省の人なのに大変ですね」

「比与森くんも、いたのよね?」

「ええ、まぁ……」


 含みのある沈黙が流れる。

 それを払拭するように、辻宮が茶目っ気たっぷりに微笑んだ。


「あ、そうだ。今度、管理パスを教えてほしいサーバーがあるんだけど……」

「ええー! 僕が怒られるやつですよね、それ。……何くれるんですか?」

「ふふっ」


 辻宮がカバンから何かを取り出し、比与森の鼻先に近づける。


「はっ!!! このいい匂い……チョコレートぉ!!!!!!!」



 - - - - -



 無機質な病室の空気を、渡峯の冷徹な声が切り裂いた。


「これに目を通しておいてくれ」


 差し出されたタブレットを、ベッドの上の女性――葛城空かつらぎそらが受け取る。


「……これは?」

「ここ最近で起きたD.D関連事件の資料だ」

「確認しておきます」

「体調は?」

「問題ありません」


 短く事務的なやり取り。

 葛城は資料をスクロールし、その膨大な量に眉を寄せた。


「……ずいぶん多いですね」

「ああ。直近三ヶ月でこの件数だ」

「たった三ヶ月で、この量ですか」

「一年前よりずいぶん増えたと思わないか?」


 渡峯の問いに、葛城は言葉を失う。

 沈黙を肯定と受け取ったのか、渡峯はさらに踏み込んだ言葉を紡いだ。


「一年前、電子ドラッグを体験して生き残った君ならば、今の特捜でも活躍してくれると信じているよ」


 葛城の肩が、微かに震える。

 渡峯はそれ以上何も言わず、背を向けた。


「今日はこれで失礼する。また一週間後に」


 足音が遠ざかり、重いドアが閉まる。

 その瞬間、葛城は胸を押さえて激しく咳き込んだ。


「……っ!」


 未だにフラッシュバックする、『D.D』の残滓。

 それが彼女の身体をベッドの上に縛り付ける要因となっていた。



 - - - - -



 ――夜の静寂。


 佐倉間尋さくらまひろは、暗闇の中で通話に応じていた。


「はい、お疲れ様です。佐倉間です。……葛城さんを監視下に置く件はどうなりましたか?」


 丁寧な口調は変わらないが、その内容は警察への背信だった。


「そうですか、よかったです。教祖様にご報告します」


 佐倉間は端末の画面を操作し、別のデータを呼び出す。


「それと、一年前の事件直後から三日後まで、現場周辺の監視映像にスキャンをかけましたが、伊勢陸翔と思しき人物は検出されませんでした。……いったいどこに消えたんですかね、伊勢陸翔は」


 『――さあな』。短く返ってきた答えに、佐倉間はわずかに目を細めた。

 数言のやり取りの後、通話は静かに切られた。


 佐倉間は真っ暗な部屋の中で「教祖様」と登録されている連絡先のコールボタンを押した。

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