Log. 04 ――地獄の入り口にて。

「っ……!!!」


 浅い呼吸と共に、伊勢蒼史は跳ね起きた。

 肌にまとわりつく汗を衣擦れの音と共に拭い、枕元の卓上カレンダーに目をやる。


「……もう、一年か。……リク……」


 独り言のように息子の名を零し、彼は手癖になっているジッポライターを取り出した。

 カチッ、カチッ、と金属音が静かな部屋に空虚に響く。


 何度も、何度も。


 火を灯すわけでもなく、彼はただその音と感触を心の拠り所にしていた。



 - - - - -



「伊勢さん……寝不足ですか? クマが……」


 夜宵が心配そうに覗き込むが、伊勢は「あ、ああ、まぁ」と生返事で視線を逸らした。


「朝から招集なんて……なんだろう」

「なんか、人が増えるらしいよ。ふわあああ……」


 花谷の疑問に、比与森が大きなあくびをしながら答えた。


「こんな時期に異動ですか?」

「いいや、ずっと警察病院に入院してた人」

「どんな理由で?」


 花谷が問うと、比与森はいたずらっぽく目を細めた。


「あれ? 花谷くん興味津々って感じ?」

「あ、いや……」


 花谷はバツが悪そうな顔をして目を逸らした。

 それを気にせず比与森は続ける。


「一年前、交番勤務だった花谷くんは知らないかもだけど、すっごく大きな事件があったんだ。資料で見たでしょ? 二百名以上の警官が乗り込んで、ほぼ殉職。生き残ったのはたった二人! 生存者が百分の一だなんて、ゲームみたいな話だよね~」


 比与森は軽薄な笑みを浮かべ、淡々と「地獄」を語る。


「生存者一号は今君の隣にいる伊勢さん! そして二号は……今から来る人だよ」

「……!」


 比与森の言葉に伊勢の眉間が険しく寄る。

 その時、自動ドアが開く無機質な音が響き、聞き慣れた足音が近づいてきた。


「紹介する。今日からこの班に配属された葛城警部だ」


 渡峯に伴われて現れたのは、凛とした、だがどこか脆さを孕んだ瞳を持つ女性――葛城空だった。


「葛城です。よろしくお願いします」



 - - - - -



 葛城の挨拶も早々に、特捜チームへの出動要請が届き現場へと向かう。


「配属初日から現場なんてついてないですね、葛城さん」


 助手席から比与森が話しかけるが、後部座席の葛城は窓の外を見つめたまま応じない。


「あ、葛城警部って呼ぶべき? 若いのに伊勢さんと同じ階級ってすごいよね。年長者の伊勢さん的にはどうなんですかぁ?」


 比与森の軽口にいつもなら乗ってきそうな伊勢が今日は何も言わない。


「あの、伊勢さん……?」


 普段と様子の違う伊勢に夜宵も呼びかけるがやはり反応がない。


「伊勢さん?」

「あ、ああ、なんだ?」


 花谷の問いかけに、やっと応じた伊勢の返事はやはり歯切れが悪いものだった。


「心ここにあらずって感じ? 珍しー」

「あ、ああ、悪い」


 いつになく素直に謝る伊勢に、車内の空気が固くなる。比与森は構わず言葉を続けた。


「ほんとに珍しー。あ! ねぇねぇ、葛城さん。僕、一年前のあの事件のことで聞きたいことがあるんだけど――」

「比与森! ……よせ」


 伊勢の声が比与森を鋭く制した。


「ええー、なんで?」


 比与森が駄々をこねるように伊勢に噛みつくと、車内に大きなため息が響いた。葛城のものだった。


「ほんと、過保護。子供扱いしないでもらえます?」


 冷ややかな視線を伊勢に向ける。その様子に皆が呆気にとられ車内の空気が凍り付く。


「俺からしたらお前はまだガキだ……」

「は?」


 二人の決して穏やかとは言えない空気に、さすがの比与森も委縮してしまう。

 しばし二人の睨みあいが続き、伊勢が口を開こうとした瞬間だった。


「ちょ、伊勢さん! どうしたんですか、らしくないですよ」


 花谷が慌てて割って入る。


「葛城さんも、伊勢さんなんか本調子じゃないみたいなので……その……」


 花谷は葛城にも声をかけたが、声をかけた後に、対面初日だったこと、さらに階級的には上司に当たる人間だったことを思い出し、言葉が尻すぼみになる。

 気まずい空気が消えない中、車は目的地へと滑り込んだ。


 黙ったまま皆が車を降りる。


 目の前に口を開けていたのは、今にも崩れそうな地下鉄跡地だった。


「うわ……なんか出そう」


 夜宵が気味悪そうに呟く。


 葛城はその暗い入り口を見つめ、自身の記憶の奥底にある光景と重ね合わせていた。



 - - - - -



 機捜メンバーからの引継ぎを受け、各自、武装を整える。


「犯人は二人組。武器を所持している可能性がある。慎重に捜索しろ」


 渡峯の指示が地下道に低く反響する。


「比与森、夜宵は車内でマップスキャンと指示を。許可のない発砲は始末書だ。いいな」

「へーい」


 伊勢の返事は、いつもの軽薄さを取り戻していた。


「俺と花谷は西側。伊勢警部と葛城は東側を捜索。些細なことも全て報告しろ。スキャナーに犯人が引っかかったら突入前に報告すること」

「了解」


 葛城は小さく深呼吸を繰り返す。

 震える指先を隠すように強く握り締め、彼女は暗闇の先へと足を踏み出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る