Log. 02 ――データベースに、正義は載らない。

 自動ドアがスライドし、喧騒を離れた特捜本部へと足を踏み入れる。


「おつかれさまです」


 穏やかな声で迎えたのは、厚労省から派遣されている精神科医、辻宮真琴つじみやまことだった。


「おお、真琴ちゃん」

「すみません、辻宮先生。出払っている間にいらしていたとは」


 伊勢が顔をほころばせ、渡峯が律儀に頭を下げる。


「大丈夫ですよ。一昨日の事件の件で、一課の方に呼ばれて抜けてきたんです」

「真琴ちゃん悪いねぇ、厚労省とここを行き来するのは大変じゃない? もうさ、うちに来ちゃいなよ。真琴ちゃんなら大歓迎だよなぁ、夜宵!」

「ええええ!? ぼ、僕は! べべべつに!!」


 伊勢に振られ、夜宵シルマが目に見えて狼狽する。

 そんな彼を微笑ましく見つめ、考えておきます。とかわいらしく答ると、すぐに辻宮は仕事モードに戻り手元の端末を操作した。


「ちょうど比与森くんから連絡が入って、今回の犯人のデータを解析していたところなんです」

「さすがぴよ坊、仕事が早い」

「ぴよ坊?」

「比与森のあだ名ですよ」


 辻宮が不思議そうに繰り返すと、デスクの奥から比与森がひょっこり顔を出した。


「伊勢さん! 先生の前で余計なこと言わないでください!」

「ふふっ、いいあだ名ですね、ぴよ坊」

「えっ、あ、あの……そ、そうですね……」


 絶世の美女と呼ばれる女性に呼ばれ、比与森は一瞬で毒気を抜かれたように頬を染めた。


「それで、辻宮先生。解析結果はどうでしたか?」


 渡峯が話を戻し、室内の空気も引き締まる。


「はい。カウンセリング前ですが、彼自身も電子ドラッグ『D.D』の使用者の可能性が高いです。中重度の依存者と似た兆候が見られます」


 辻宮も仕事モードに切り替わり、淡々と診断結果を報告する。


「またか……」


 思わず声が漏れたような、伊勢の苦い呟きに、花谷が沈痛な面持ちで続く。


「まだ高校生くらいだったのに……」

「今時珍しくもないでしょ、そんなこと」


 そんな二人とは対照的に、軽薄なトーンで言い放った比与森に、花谷が色めき立つのを見て夜宵が慌てて割って入った。


「そ、それよりも、今までと違う点がありましたよね?」


 険悪な空気を断ち切るように、伊勢が押収したリュックを指差す。


「端末を運んでいた。これが今までと違う」

「そうだ」


 渡峯が頷き、分析を続ける。


「今まではジャミングしにくい場所で近距離無線通信を使っていた。だが、今回は端末ごと渡す方法を選んでいる」


 その言葉を聞いた比与森はすぐにタイピング音を響かせた。


「渡峯さん、それ当たりです。ちょうど今、二課が同じような男を捕まえたみたいですよ」

「比与森さん、なんでそんなことが分かるんですか? 二課に知り合いが?」

「いえ? クラッキングですけど」


 花谷の問いに、比与森はケロっと答える。


「あの性悪ゴリラがトップの二課が、僕たちに情報提供してくれるわけないでしょ」

「お前……一応警察のサーバーだぞ。大事になったらどうするんだよ……」


 伊勢は呆れながら比与森の方を振り返った。


「比与森くんの技術は警察内でもトップクラスですから。二課の人間程度では、痕跡すら見つけられませんよ」


 夜宵の静かな声に被るように、渡峯の端末から通知音が鳴った。

 素早く確認した渡峯は、隣にいた辻宮に声をかける。


「容疑者が到着したようです。辻宮先生、行きましょう。……皆はもう上がって構わない。お疲れ様」


 足早に二人が部屋を出ていく。

 自動ドアの向こうに二人が消えていった瞬間、伊勢が大きく伸びをした。


「んーっと。なぁ、飲み行かねぇか? おごるぞ!」

「僕は結構でーす」

「すみません、遠慮しておきます」


 比与森と夜宵に即答で断られ、伊勢は最後に花谷へと向き直る。


「ハナはどうだ? 行くだろ?」

「えっと……」


 強面による無言の圧力に、花谷は苦笑いして折れた。


「……はい、行きます」

「おし、決まりだ! 正面玄関で待ってるぞ」


 伊勢が先に部屋を出ていくと、夜宵も「お先に」と足早に立ち去った。

 花谷が支度を始めようとした時、比与森が声を潜めて呼び止める。


「あ、そうだ。花谷くん、ちょっと聞きたいことがあるんだよね」

「俺に?」

「うん」


 二人きりになった室内で、比与森のトーンが一段低くなった。


「花谷くん、この部署に来る前は機捜にいたんだよね?」

「そうだよ」

「じゃあ、その前は?」

「え?」

「機捜にいたのはたった二ヶ月でしょ。その前は?」


 畳みかけるような問いに、花谷の眉がわずかに動く。


「……交番勤務だったけど。それがどうしたの?」

「交番勤務から機捜なんて、異例の配属だよね。警視庁のデータベースを暇つぶしに漁ってたんだけど……君のデータだけ、一部閲覧制限がかかってたんだ」


 花谷の表情から温度が消える。


「一年前より以前のデータは、すべて厳重なロックがかかってる。僕が解除するにしても一日がかりだ。……何か心当たりは?」

「特には……」

「ないの? おかしいな。一年前の表彰内容も非公開。その働きが評価されて異例の抜擢をされたんだと思ってたんだけど……違うのかな?」


 比与森の鋭い眼差しを、花谷は静かに受け止めた。


「その表彰内容については他言無用と言われていて……これ以上は話せないんだ。話はそれだけ? そろそろ行かないと僕、伊勢さんに遅いって怒られそう……」

「ああ、そうだね。引き止めてごめん。飲み会、楽しんで」


 花谷が背を向けて去っていく。その足音を、比与森は冷めた瞳で見送る。


「……あーあ。本人から聞ければ楽だと思ったんだけどなぁ」


 誰もいなくなった部屋の中で、比与森の声だけが響いた。



 - - - - -



 一方、正面玄関にて。


「遅い!」


 待ちくたびれた伊勢が、合流した花谷の頭を軽く小突いた。


「いてっ!」

「何の話してたんだよ、あんなところで」

「ただの世間話ですよ」


 すかさず花谷にヘッドロックをかける伊勢。


「世間話? お前、俺をなめてるのか?」

「なめてません! 痛い、痛いですよ、伊勢さん!」


 花谷は伊勢の腕を叩いて小さな抵抗を見せる。


「大事な話だな? よし、酔わせて吐かせてやる!」

「パワハラですよ、それ!」


 伊勢にヘッドロックをされたまま、花谷が情けない声を上げる。


 陽も陰りはじめ、ネオンが光り輝く飲み屋街へと消えていく二人。

 それは、新たな波乱が特捜を飲み込む前の、束の間の平穏だった。

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