第一部

Log. 01 ――狂気は、電子音に紛れて。

 重低音のビートが、腹の底まで響く。

 警視庁・特捜のメンバーは、ネオンと電子音にまみれたクラブの喧騒の中にいた。


「うっわぁ……俺、こういう場所苦手なんですよ。なんか、ギラついてるっていうか……」


 機動捜査隊から異動して三ヶ月の花谷薫はなやかおるが、耳を塞ぎたくなるような大音量の中で顔をしかめる。

 常に丁寧な物腰の彼は、この場違いな空間に辟易しているようだ。


「まだ若いのに何言ってんだ。俺の方が場違いだろ」


 隣で周囲を睨みつけているのは、特捜最年長の伊勢蒼史いせそうしだ。

 その屈強な体躯と凄みのある強面は、楽しげに踊る若者たちを無意識に威圧している。


「伊勢さん、そんなに歳いってないじゃないですか。見た目も若いし」

「おお!? そうか? ほぉ~そうかそうか。……なぁ、ハナ。お前、酒は飲めるのか?」


 露骨に機嫌を良くした伊勢が、ニカッと笑って花谷の肩を叩く。


「なんですか急に。まぁ、それなりに飲みますけど……」

「おぉ! じゃあなんか飲むか! 俺のおごりだ!」

「何言ってるんですか、仕事中ですよ」

「硬いこと言うなよ。一杯くらい、いいだろう?」


 平和なやり取りを切り裂くように、二人の通信端末から冷ややかな声が響いた。


『いいわけないだろう』


 管理官・渡峯崇仁わたみねたかひとの声だ。


「あぁ……はい、そうっすよね。……じゃあ、渡峯管理官も一緒にどうです?」

『結構だ』

「ですよねぇ」


 伊勢が肩をすくめると、通信に別の、少し気弱そうな声が混ざる。


『あ、あの……内部の様子は、どうですか?』


 サイ犯から派遣されている夜宵やよいシルマだ。


「今のところ不審な点は見当たりません」


 花谷が冷静に答え、夜宵がさらに問いを重ねる。


『不審な人……も、いませんか?』

「いないな」


 伊勢が短く答える。続けて通信機に話しかける。


「なぁ、ぴよ坊の腕を疑ってるわけじゃねぇんだが……」

『あの。その、“ぴよ坊”って、もしかして僕のことですか?』


 割り込んできたのは、サイ犯のエース・比与森武虎ひよもりたけとらだ。


「あぁ、かわいいだろ?」

『僕に変なあだ名をつけるのはやめてくださいって何度言ったら……!』

「いいじゃねぇか! ぴよ坊。何が不満なんだよ」

『全部ですよ! しかも僕の情報に信ぴょう性がないとか言いかけましたよね?』


 比与森が無線越しに捲し立てる。

 一昨日捕まった通り魔の端末から割り出した、ここが取引現場だという根拠のある情報。

 それを軽くあしらう伊勢とのやり取りが続くなか、花谷の瞳が鋭く細められた。


「伊勢さん。あの人、怪しくないですか?」

「ん? どこだ」

「あの柱の近く。ニット帽の男です」


 視線の先には、青いニット帽を被り、周囲を執拗に気にしている男がいる。

 何より不自然なのは、フロアには似つかわしくない巨大なリュックサックを背負ったままだということだ。


「踊る場所ですよ、クラブって。普通、ロッカールームに置いてくるでしょう」

「そう……なのか?」


 伊勢は花谷の鋭い推理に感心しながら首をかしげる。


「……なぁ、お前、こういうところよく来るのか?」

「いや、はじめてですけど……また急に、なんですか?」

「苦手って言ってる割に、詳しいなぁと思って……」


 一瞬の沈黙。花谷の表情は読めない。


「あ、いや、別にいいんだぞ!? 隠さなくたって」

「はじめてだって言ってるじゃないすか!」


 伊勢の軽口に反論しながら、花谷が男の方へと歩き出した。


「あの男に話しかけます」


 だが、花谷が声をかけるより早く、伊勢がずいっと横に並んだ。


「よぉ、にいちゃん。俺、こういうもんなんだけど……ちょっとそのカバンの中身、見せてくれな――」


 伊勢が警察手帳端末を提示した瞬間、男の表情が凍りついた。

 直後、男はリュックサックを盾にするように振り回し、伊勢の顔面を狙って叩きつける。


「うおっ!!!」


 間一髪で避ける伊勢。

 ニット帽の男はそのまま、人混みを縫って出口へと走り出した。


「男、逃走! 後を追います!」

『相手は武装している可能性がある。深追いするな』


 渡峯の制止を聞かず、花谷は走り出した。

 伊勢が無線へ怒鳴る。


「ぴよ坊、男の逃走経路は!?」

『だから、そのあだ名は――!』

「早く!」


 比与森のタイピング音が通信越しに激しく鳴り響く。


『……出た。ロッカールーム奥の掃除用具ルーム。そこから非常階段に繋がってます。今、ロックが解除された!』

「ビンゴだな。ハナ、お前はこのまま追え! 夜宵はハナのフォローに回れ!」

『は、はい!』

「いいかハナ、無茶だけはするなよ!」


 軽く手を挙げることで返事をした花谷の背中を見送り、伊勢は逆方向――出口へと全力で駆け出した。



 - - - - -



「待て!」


 花谷が非常階段のドアを勢いよく開ける。

 そこには、先回りしていた伊勢が待ち構えていた。


「はいストーップ!」


 両手を広げて伊勢が男の行く手を阻む。


 そして――。


「よっと」


 逃げ場を失った男の腹部に、鋭い打撃を叩き込んだ。


「うっ……!」


 男が悶絶し、その場に崩れ落ちる。

 伊勢は慣れた手つきで男のリュックを奪うと、後から追いついた花谷に放り投げた。


「ほら。中確認してくれ」


 任務完了~! と楽しそうにつぶやく伊勢の元に通信が届く。


『伊勢警部、今何を?』


 通信越しの、渡峯の冷徹な声が刺さる。


「ボディに……一発?」


 なんかまずかったすかねぇ?とでも言いたげな伊勢の声色に、渡峯の声のトーンはさらに下がる。


『……もし、無関係な一般人だったらどうするつもりだ?』

「警察手帳端末見て顔色変えて逃げ出すんだ。何かしら後ろめたいことがあるんでしょうよ」

『確証のない時に、手を出すな。俺たち特捜の仕事はあくまでD.Dの取締だ』


 渡峯の至極まっとうな説教を「へいへい」と軽く受け流し、伊勢は花谷に視線を向けた。


「で、ハナ、なにかあったか?」

「なんだろう……端末が……二十台くらい。タブレット、ですかね?」

「なんだ? 見せてみろ」


 花谷の持っているリュックの中から、端末を一台取り出す。


「ああ? 電子書籍タブレットじゃねぇか! レトロだなぁ」


 なんでこんなものが?と首を傾げる二人。

 その時、夜宵の声が割って入った。


『花谷さん、えっと……そのうちの一台を、警察手帳端末に繋げられますか?』

「やってみます」


 花谷が手際よくケーブルを接続する。

 数秒後、比与森の歓声が上がった。


『伊勢さん、お手柄ー!』

「ん?」

『その端末の中に、電子ドラッグ――『D.D』のデータが入ってるよ』

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