第7話 氷の魔女と論理爆弾(ロジック・ボム)
オークション会場の裏口を抜け、廃棄ルートを通って地上への脱出を図る。 だが、スラムへと続く第9層の連絡通路に出た瞬間、俺は足を止めた。
「……計算通りすぎて、あくびが出るな」
無人の通路。静寂。 だが、俺の拡張現実(AR)バイザーには、無数の赤いロックオン・アラートが表示されている。 光学迷彩を展開した重装歩兵が12名。上空にはサイレント・ドローンが4機。 そして、通路の向こう側から、ヒールの音だけを響かせて歩いてくる一人の女。
完璧にプレスされたアイギス保安局の制服。冷徹な知性を宿した眼鏡の奥の瞳。 俺の元上司、レヴィア・ガードナー特務捜査官だ。
「久しぶりね、湊。……その汚いドブネズミのような格好、よく似合っているわ」
「よお、レヴィア。相変わらず血色の悪い顔だ。少しは
俺は軽口を叩きながら、背中のセラを庇うように前に出る。 セラはガタガタと震えていた。 無理もない。レヴィアは開発局時代、セラの「倫理コード」の最終承認者だった。セラにとって彼女は、逆らえない「
「無駄口はいいわ。状況を説明してあげる」
レヴィアが眼鏡の位置を指先で直す。
「包囲は完了している。逃走確率は0.0002%。あなたのそのおもちゃ(・・)――機体番号S-001『セラフィナ』の即時返還を要求する。抵抗すれば、あなたをテロリストとして即時処分し、機体は強制回収する」
「嫌だと言ったら?」
「問答無用」
レヴィアが片手を上げる。周囲の空間が揺らぎ、光学迷彩を解いた兵士たちがアサルトライフルの銃口を一斉にこちらへ向けた。
「識別コード承認。……対象S-001、
レヴィアが冷淡に告げる。 その瞬間、セラの瞳から光が消えた。
「あ……が……」
セラが糸切れた人形のように崩れ落ちそうになる。俺はそれを片手で抱き留めた。 アイギスの正規コマンド。俺が書き換えたOSの上層、BIOSレベルに焼き付いた緊急停止コードだ。
「悪いわね。あなたがどれほど汚いコードで彼女を汚染しようと、基幹システムのマスターキーは私が持っているの」
レヴィアが一歩踏み出す。 完全な詰み(チェックメイト)。 ……普通なら、な。
「……ハハッ」
俺は乾いた笑い声を漏らした。 抱き留めたセラを、わざとらしく兵士たちの方へ向ける。
「笑っている場合かしら?」
「いや、あまりに予想通りでな。……なあレヴィア、俺がお前ほど慎重な人間が来るって分かってて、何の策もなしにノコノコ出てくると思ったか?」
俺はポケットから、小さなスイッチを取り出した。 親指を乗せているのは、トグル式のデッドマン・スイッチだ。
「レヴィア、お前の言った『マスターキー』の話だがな。……俺はその鍵穴ごと爆弾を仕掛けた」
「……何?」
「今、セラの中枢回路には俺特製の『
俺はニヤリと笑い、動かなくなったセラの胸を軽く叩いた。
「この爆弾が起動するとどうなると思う? セラがこれまでに記録した全データ――特に、今のオークション会場で記録した『顧客リスト』と『裏金のエビデンス』が、アイギスの全サーバーを経由して、世界中のメディアと競合他社にバラ撒かれる」
レヴィアの眉がピクリと動いた。 アイギスにとって、聖女の盗難も痛手だが、裏社会との癒着がバレることは企業の死を意味する。
「ブラフ(はったり)よ。そんな短時間で、そこまでのプログラムを組めるわけがない」
「俺を誰だと思ってる? お前が『危険すぎて追放した』天才エンジニア様だぞ?」
俺はスイッチを持つ指に力を込めた。
「さあ、賭けるか? お前のキャリアとアイギスの株価、全部チップにして勝負しようぜ。……その強制停止コマンドを解除しろ。3秒以内にな」
「……」
レヴィアの瞳が高速で動く。 俺の表情、声のトーン、セラの内部信号の揺らぎ……あらゆる要素から嘘を見抜こうとしている。 だが無駄だ。 なぜなら――これはブラフじゃない。俺は本当に仕掛けている。 必要なら、俺はセラを破壊し、世界を道連れにする覚悟がある。その狂気こそが、俺の最大の武器だ。
「3……2……」
「……総員、待機」
レヴィアが忌々しげに手を下ろした。 同時に、セラの瞳に光が戻り、彼女は激しく咳き込んだ。
「けほっ……はぁ、はぁ……マス、ター……?」
「
レヴィアは背を向け、道を開けるよう部下に指示した。 だが、その去り際、彼女は俺にだけ聞こえる声で囁いた。
「勘違いしないで。これは『泳がせている』だけよ。……その子があなたの『論理爆弾』であり続ける限り、彼女は永遠に救われない。あなたは彼女を愛しているんじゃなく、人質にしているだけ」
「……最高の褒め言葉だな」
俺は震えるセラを抱きかかえ、開かれた包囲網の中を堂々と歩き抜けた。
連絡通路を抜け、雨の降るスラムに戻ったとき、セラがポツリと呟いた。
「マスター……私の体の中に、本当に爆弾が?」
「ああ、そうだ。お前が俺から離れようとすれば、お前自身が社会的に死ぬ仕組みだ」
酷い話だ。彼女を社会的に抹殺するスイッチを、俺が握っているのだから。 だが、セラは俺の胸に顔を埋め、安堵したように息を吐いた。
「よかった……」
「あ?」
「爆弾でもなんでも、私の中に『マスターの一部』が入っているなら……私は嬉しいです」
……こいつも大概、壊れてやがる。 俺は何も言わず、雨の中を歩き続けた。 背後には、氷の魔女の視線がいつまでも突き刺さっていた。
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