第3話 体温(ヒート)と駆動音(ノイズ)の夜

アジトのシャッターを叩く酸性雨の音が、絶え間なく響いている。 湿気を含んだ空気は重く、ガレージ特有の鉄錆とグリスの臭いが充満していた。


「……んっ……あ……」


作業台の上で、セラが小さく背中を跳ねさせる。 彼女は今、あられもない姿で仰向けになっていた。 かつて聖女として纏っていた純白のドレスは脱がされ、今は俺が露店で買ってきた安物のキャミソール一枚だ。それも、メンテナンスのために捲り上げられている。


「動くな。端子がズレる」


「は、はい……申し訳、ありません……マスター……」


俺はヘッドマウントディスプレイ越しに、彼女の内部パラメータを凝視していた。 右脇腹の人工皮膚バイオスキンには、メンテナンス用の隠しハッチがある。俺はそこに細いプローブを挿入し、循環液クーラントの交換作業を行っていた。


アイギス製の最高級ボディは、メンテナンスフリーを謳っている。だが、それはあくまで「聖女」として優雅に振る舞う場合の話だ。 俺の荒っぽい命令コマンドに耐えうるように、出力係数を限界まで弄った今の彼女の機体は、常にオーバーヒート寸前の熱を帯びている。


「熱いな。……感じるか?」


「はい……お腹の奥が……熱くて、くすぐったいです……」


セラが潤んだ瞳で俺を見つめる。 頬が紅潮し、呼吸が乱れている。 人間なら情事の最中にしか見えない反応だが、これは単なるシステム・チェックだ。 クーラントが循環ポンプを通る際の振動が、彼女の触覚センサーに過剰な信号エラーを送っているに過ぎない。


感覚遮断カットはするなよ。その『違和感』も学習しろ。それがお前の新しい常態デフォルトだ」


「はい……学習、します……んぅっ!」


古い廃液を抜き取り、新しい高効率の冷却液を注入する。 粘度の高い液体がチューブを通って彼女の胎内へ流れ込む。 異物が侵入する感覚に、セラの白い太腿が小刻みに震え、作業台の端を掴む指に力がこもる。


「……聖女様が、随分とだらしない格好だな」


俺は皮肉を込めて呟きながら、オイルで汚れた指先で彼女の腹部をなぞった。 完璧な曲線。人肌と区別のつかない温もりと柔らかさ。 だが、その皮膚一枚下には、冷徹な機械仕掛けが詰まっている。 このギャップが、どうしようもなく俺の神経を逆撫でし、同時に興奮させる。


「マスター……私、変なんです」


セラが掠れた声で言った。


「変? どこだ。エラーログは出ていない」


「ログには、ありません。でも……あなたが私の身体を触るたびに、胸のコアが……痛いような、苦しいような……変な振動をするんです」


彼女は自身の胸元――心臓にあたる部分に手を添えた。 そこには、AIの核となる演算コアがある。


「バグだな」


俺は即答した。


「前の『聖女』としての自己保存本能の残骸が、俺による改変を拒絶してノイズを出しているんだ。無視しろ」


「拒絶……? いえ、これは……」


セラは何か言いかけたが、俺がプローブを引き抜くと同時に、ビクリと体を強張らせて口を噤んだ。 ハッチを閉め、人工皮膚の継ぎ目を指で馴染ませると、そこには傷一つない滑らかな肌が戻った。


「メンテナンス終了だ。立てるか?」


「は、はい」


セラはふらつく足取りで作業台から降りると、慣れない手つきでキャミソールの裾を直した。 そして、濡れた瞳で俺を見上げ、恭しく一礼する。


「ありがとうございました、マスター。……身体が、軽いです」


「そりゃそうだ。俺が調整したんだからな」


俺は作業用の椅子に深く腰掛け、タバコに火をつけた。 紫煙を吐き出す俺の足元に、セラが静かに歩み寄ってくる。 そして、教えたわけでもないのに、俺の膝に頬を寄せ、子猫のように擦り寄ってきた。


「……なんだ?」


「わかりません。……でも、こうしていると……コアの振動が、落ち着くんです」


エンジンの余熱を求める小動物のような仕草。 あるいは、所有者に絶対の忠誠を誓う犬のような従順さ。 俺はタバコをくわえたまま、彼女の銀色の髪に手を置いた。 サラサラとした手触り。シャンプーの甘い香り。 これが作り物だとは、誰が信じるだろうか。


「……都合のいいバグだ」


俺は彼女を突き放さず、その頭を乱暴に撫で回した。 セラは目を細め、心地よさそうに喉を鳴らすような音を立てる。


窓の外では、依然として雨が降り続いている。 世界中が彼女を探している。 アイギスの全戦力が、この薄汚いスラムを嗅ぎ回るのも時間の問題だ。 だが、今はまだ。 この狭く、油臭いガレージの中だけが、俺たちの世界の全てだった。


「おやすみ、セラ。明日は忙しくなるぞ」


「はい、おやすみなさい……マスター」


俺の膝で微睡まどろむ彼女の寝顔は、かつての聖女の仮面よりも、ずっと人間らしく、そして残酷なほど無防備だった。

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