第5話


 慌ててリビングから飛び出すと、階段下でマナがうずくまっていた。

 その股下から広がる鮮血が、蛇のように這い寄ってくる。


「……マ……ナ?」


 まともな声が出ない。

 どうしよう。どうすればいい?

 

 先ほど自分が吐き出した「死んじゃえ」という言葉が、鋭利な刃物となって心を突き破る。


「マナ! お願い、しっかりして!」


 駆け寄りマナに触れると、血液がべったりと付着した。

 その温かな熱が、現実であることを容赦なく突きつけてくる。マナの顔は白く、薄く開いた唇から唸り声が漏れた。


「痛い……お腹……」


 マナが抱えたお腹。

 触ってみると岩のように硬い。

 どう考えても普通じゃなかった。


「マナ、ごめんなさい。私、こんなつもりじゃ! そうだ……救急車!」


 リビングに戻り、地面に転がっているカバンから急いでスマートフォンを取り出した。

 震える指で救急車を呼び、すぐにマナの所へと戻る。


 死人のように真っ白な顔。

 固くなった大きなお腹。


 手の中に握ったままだったネノコ様が狂ったように熱い。

 いや、熱いだけじゃない。

 その柔らかな身体の中で心臓のような鼓動を刻んでいた。

 

 視線を落とすと、胎児のような大きな頭に黒いシミができている。

 目のようにも見えるソレが「お望み通りでしょう?」と私を嘲笑っている気がした。

 

 違う。


 私はただ「お母さん」になりたかっただけ。

 惨めな自分の気持ちを聞いて欲しかっただけ。

 

 奪いたかったわけじゃない。

 壊したかったわけじゃない。


 こんな人形、すぐに投げ捨ててやりたい。

 そう思っているのに、私の掌は縋り付くようにネノコ様を握り締めたままだ。


「患者さんはどちらですか!」


 西陽と共に救急隊が踏み込んできた。

 手早い動きで運び込まれた担架。

 慎重にマナをその上に乗せた救急隊は、救急車に同乗するよう私を促した。

 階下に転がるマナの荷物を掴み、救急車に飛び込む。


 到着したのは近くにある大きな総合病院。

 大至急で行われた検査の後、マナは担架に乗せられたまま運ばれていく。


 『常位胎盤早期剥離』


 母子ともに危険な状態だと医師からは説明された。

 マナの家族と連絡を取ることもできないまま、緊急手術が開始される。


「こちらでお待ちください」


 看護師に案内されたのは待合室。

 ただの友人である私は、待つことしかできなかった。


 気が動転していて、スマートフォンは家に置いてきてしまった。

 持っているのは、手に握りしめたままのネノコ様の人形とマナの荷物だけ。


 連絡先を探そうと、人形を隣に置いて、マナのボストンバックに手を伸ばした。

 ファスナーを開けると、数枚の服が綺麗に敷き詰められている。

 

 マナの服。

 そして産まれてくる赤ん坊の服。

 赤ん坊用のガーゼやおくるみもあった。


 上から順番に確認していくと、服の下に固いものがある。

 掴んで引き出してみると、一冊の本だった。


『初めての育児』


 ページには沢山の付箋。

 至る所にマナの丸い字で沢山の書き込みがあった。


「勉強……苦手だったのに」


 マナは怖かったんだ――

 相手に逃げられ、頼る人が居なくなった中、それでも必死に『お母さん』になろうとしていた。

 

 それなのに私は……


『祝福と呪いは表裏一体。どちらも貴女のすぐ側にある』


 ふと、あの時の女性の言葉が脳裏をよぎった。

 

 ネノコ様――

 この人形は呪いを形にしてくれるだけじゃない。

 誰かの幸せを願う……祝福の気持ちも形にしてくれるはずだ。

 

 隣に置いた人形を手に取った。

 それを両手で強く握り締め、身を屈める。


「お願い、ネノコ様……あの言葉は取り消します。マナを、赤ちゃんを助けて!」


 握りしめたネノコ様の表面から、じわりと熱が伝わってきた。


 私の中に残されたわずかな「善意」を全て吸い上げるようにして、人形から感じる鼓動が激しく速くなっていく。


「マナ、友達でいてくれてありがとう。お願いだから助かって」


 指の骨が軋む。

 骨の間では、焼けるように熱くなった人形が確かな鼓動を刻んでいる。


「赤ちゃん、マナの所に来てくれてありがとう。お願いだから、無事に産まれてきて」


 私はその熱と鼓動を全て受け止めるように、ただ手を握り続けた――

 


 

 

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