第4話
「うわぁ! 美味しそう!」
並べた夕食を前に、手当てを済ませたマナは瞳を輝かせた。
マナはここに来る途中、車に撥ねられかけた。
ぶつかる事はなかったが、転んでしまい膝を擦りむいたのだ。
本人は平気そうにしているが、右ポケットに入れたネノコ様が嫌でも頭に浮かぶ。
不吉な事を願ってしまったせいで罪悪感が胸を焼いた。
もし車がマナに激突していたら?
私は一生の後悔をしていただろう。
向かい側に座ったマナは、頂きますと手を合わせると、早速メインの煮物に箸を伸ばす。
「美味しい。雫の旦那さん羨ましいな」
「ただの煮物だよ。マナ、ちゃんと栄養のあるもの食べてるの?」
「無理無理。一応気をつけてはいるけど」
予想通りの答えにため息を吐く。
話題を変えたいのか、マナはリビングに視線を走らせた。
「雫、写真とか飾ってないの? 旦那さん見たことないや」
「結婚式は挙げなかったからね。当分帰ってこないよ」
「私が居て平気?」
「うん、大丈夫。電話しといた」
むしろ他人がいる事を喜ぶんじゃないかな。
2人でいると、どうしても不妊治療に協力してくれない事を私が責めてしまうから。
「二階に布団をひいておいた。そこ使ってくれる?」
「ありがとうね雫。妊娠してる事誰にも言えなくてここ数ヶ月は引きこもってたから、安心する」
「沢山友達いたじゃない」
SNSで見た数々の写真を思い浮かべながらそう投げかけると、マナは笑顔のまま首を振った。
「重たい話を言えるような関係じゃないから」
私がマナにとって『特別』だと言われた気がした。
マナの何気ない一言が、誰かの『特別』を求めた私の欲を仄かに満たしていく。
「何かあったら呼んでよね。隣の部屋が私の寝室だから」
「うん」
――気持ちを切り替えなきゃ。
友達の不幸を願う自分になんてなりたくない。
それに醜い事ばかりを考えていると、ますます自分の妊娠が遠退く気がする。
マナはマナ。
私は私だ。
怨望の気持ちを全て押し込め、心に蓋をした。
マナと始まった奇妙な共同生活はゆっくりと過ぎていった。
仕事をしている私に代わって、マナは意外にも出来る事を見つけては家事を手伝ってくれる。
エプロンに入れたネノコ様の存在は、少しずつ私の中で薄れていった。
――帰宅した途端鼻をついたタバコの匂いに気づくまでは。
「ちょっと! 何やってるの!!」
キッチンの換気扇の下でタバコを吸っていたマナは慌てて火を消す。
「あっ……雫。おかえりなさい」
気まずそうに苦笑いを浮かべる彼女に怒りの感情が噴き出した。
「マナ! タバコ辞めてなかったの?! 赤ちゃんにどれだけ悪いか分かってる?!」
「分かってるよ! ちゃんと辞めてた! でも、マチアプで彼のアカウントを見つけちゃったの! 彼、マチアプ辞めてなかった! 私を捨てて別の女の子に声をかけてる!」
マナの手に握られたスマホには、マッチングアプリのプロフィールが表示されていた。
逃げた男を探すためにアプリを入れ直した?
彼女の執着が、私には理解できない。
「そんな事、赤ちゃんには関係ないでしょ!」
「関係あるよ!」
マナは涙を浮かべながら逆上する。
貴女には赤ちゃんがいるじゃない。
誰かの『特別』になれるじゃない。
マナは――母親失格だ。
「……出ていって」
「雫……どうして」
「煩い! もう私の視界から消えてよ!」
私が鞄を投げつけると、何かを言おうとしたマナは唇を結んで部屋を出た。
玄関から階段を駆け上がる音が聞こえる。
残されたのはタバコの匂いだけ。
蓋をしたはずの暗く濁った感情が噴き出し、心を染めた。
キッチンに掛けられたエプロンのポケットから、ネノコ様を掴み出す。
誰かがずっと握りしめていたかのように、ネノコ様は不思議な熱を持っていた。
ドクンドクンと強く感じる鼓動。
自分のものか、ネノコ様の物か分からない。
ただ「早く言葉を頂戴」と掌の中で急かされている気がした。
「マナも、お腹の子も……二人とも死んじゃえ」
その言葉を口にした瞬間――
玄関の方から何かが転がり落ちる大きな音と、マナの短い悲鳴が聞こえた。
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