第2話


 店を出た瞬間、冷たい風が頬に当たった。

 

 休日の午後。

 街は幸せに満ちた沢山の笑顔で溢れていた。

 すれ違う人々の笑顔が、冬の風と共に私の醜い心を切り刻んでいく。


 友人の妊娠すら喜べないなんて。


 いつから私の心はここまで醜くなってしまったんだろう。

 

 後悔しても気持ちは晴れない。

 ドロドロとした汚い感情を抱えたまま、笑顔で歩く人々の隙間を縫うように歩いた。


「お嬢さん、暗い顔だね」


 周囲の雑音を割いて耳に届いた声。

 横を見ると、路肩に座る1人の女性が私に笑顔を向けていた。


 そこだけが街の喧騒から切り離されているように、空気が凪いでいる。


 ホームレスだろうか。

 いや、露天の占い師?

 

 彼女の前にある使い込まれたテーブルの向かいには、誘うように小さな椅子が置いてある。

 

「怪しくないわよ。ただ、沈んでいるように見えたから」


 否定されても、女性の異様な出で立ちは側に寄るのを躊躇わせた。


 白髪混じりの髪に、病的なほど痩せこけた頬。

 全身を覆う黒い服が不気味さを増幅させている。


「私なら、貴女の心を晴らしてあげられるよ」


 心を見透かされて、心臓が跳ね上がった。

 何かに操られるように、自然と足がその席へと向かう。

 私が席についたのを見て、彼女は幾つもの深い皺を押し上げ満足そうに笑った。

 

「何が貴女の心を病ませているの?」


 促されるまま、私は口を開いた。

 赤の他人だからこそ話せる自分の醜い心の内側。

 

 出口の見えない不妊治療の苦しみ。

 非協力的な旦那への不満。

 望まぬ妊娠に悩む、マナへのどす黒い感情。


 溢れ出した感情を呪詛みたいに吐き出した。


 話し終えた時、彼女は小さく「分かるわ」とだけ呟いて、黒い服のポケットから何かをそっと取り出した。


 私の前に置かれたのは、勾玉のような形をした薄いピンク色の人形だった。


 ソレは大きな頭に頼りない手足を胸元で折り畳み、命の原型のような形をしている。

 

 吸い寄せられるように指先がソレに触れる。

 薄い皮に固まり切っていない肉が入っているような、頼りない弾力がしっとりと肌に吸い付いてきた。

 その生々しさに思わず手を引っ込める。


「ネノコ様っていうの。人に向ける貴女の心をそのまま体現し、願いを助けてくれるわ」


「助けてくれるって……」


「お守りのようなものよ。私にはもう必要ないから、貴女にあげるわ」


 彼女は私の手を取って、もう一度人形に導いた。


『願いを助ける』という彼女の言葉は、幾つもの子宝守りを持ち歩く私にとって抗えない誘惑の言葉だった。


 その『ネノコ様』をそっと持ち上げる。

 気味が悪いと思った肌のような弾力が、私の手にスッと馴染む。


 紐も何も付いていないネノコ様を身につける方法が思い浮かばない。私は少し悩んで、ネノコ様をコートのポケットへとそっと入れた。


 入れた瞬間、自分の体温とは違う微かな熱をポケットから感じた気がした。


「お金は……」


「いらないわ。だって私、占い師じゃないもの。ただのホームレスよ」


 乾いた笑いが漏れる口の中に、歯がほとんどない。

 背筋に冷たい悪寒が走り思わず立ち上がった。

 お礼だけを伝えて、彼女に背を向ける。


「覚えておいて。祝福と呪いは表裏一体。どちらも貴女のすぐ側にある」


 街の喧騒の中で、彼女の言葉は何故か私の脳に直接届くように刻まれた。


 足早に駅に向かっていると、背後で救急車のサイレンの音が鳴り響く、

 

 振り返ると、さっきまでいた街の片隅に人だかりができているのが目に入った。


 


 

 

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