ネノコ様の揺り籠

白波さめち

第1話


 始まりは、友人であるマナからの突然の連絡だった。


 『相談したいことがあるの。会えない?』


 これまでの空白期間など全く感じさせない、相変わらずの唐突さ。

 スマートフォンの画面を見ながら、私は思わず苦笑いした。


 友人であるマナと最後に連絡を取ったのは三年前。


 特に仲が悪くなったわけじゃない。

 結婚をしたから、独身の友人であるマナと話題が合わなくなったというわけでもなかった。

  

 私には叶えたい『目標』がある。


 それを叶えるためには資金も時間も必要で、友人と会う頻度を減らすしかなかった。それだけの話。

 

 誘いを断り続けていれば、声が掛からなくなるのは当然だった。

 時々覗いていたSNSでは、マナが新しい派手な友人と楽しげに遊んでいるのが目に入る。

 それを少し寂しく感じながら、私は自分で選んだ孤独に耐えてきた。


 だからこそ、久しぶりにきた連絡に心が踊った。離れていた糸がまた繋がった気がして、すぐに返信する。


 なるべく早く会いたいという彼女の希望を優先し、次の休みにランチをしようと約束した。

 

 久しぶりのお出掛けだ。

 マナの雰囲気に馴染むように服を選んで家を出た。

 

 ワクワクしていたのは本当だった。

 待ち合わせのカフェに現れた、彼女の姿を見るまでは――。


「もう……どうしたらいいのか分からなくて」


 昔のマナからは想像もつかない地味な服に身を包んだ彼女は、大きく膨らんだお腹に手を当てながら視線を落とした。

 

 ――その大きなお腹は、私が望みに望んだ姿だった。


 頬の筋肉を無理やり押し上げ、明るい声を絞り出す。


「おめでとう……いつ結婚したの?」


「結婚はしてない。するって話だったのに……逃げられたの」


 瞳を揺らしながら、マナは大きなお腹の事情を説明した。


 簡単な話だ。


 アプリで出会った男性と、付き合う云々の前に身体の関係を持ってしまった。

 責任を取ると言っていた相手は、中絶が不可能な時期を見計らったように姿をくらましたという。


「親には……?」


「言えるわけないじゃん、絶対怒られるもん!」


「そんなこと言ってられないでしょ?」


「だってぇ……」


 マナは上目遣いで、潤んだ瞳を私に向けた。

 仕事も社交性もある彼女だが、肝心なところで幼い精神が顔を出す。


 昔は、そんな不安定さに憧れていた時期もあったが今は違う。

 マナから見えないテーブルの下で、苛立ちを隠すように手を強く握りしめた。


 『何故』という言葉で埋め尽くされる脳内。

 

 笑顔なんて必要ない。

 でも『心配している』と言う表情を顔に貼り付けることすら、今の私には辛過ぎた。


「仕事はどうしたの?」


「辞めた」


「……っ! どうして?!」


「だってお腹も大きくなっちゃったし続けられないじゃん。結婚すると思ってたんだもん」


 あまりにも考えなしな彼女の行動に言葉が紡げない。そんな私をよそに、マナは自分の現状を語り続けた。


「貯金も無くなったから実家には帰るよ。子供を連れていけば流石に両親も許してくれると思うんだ。でも、一人で産むのはどうしても不安で……しずくに、そばにいて欲しくて」


 はち切れそうなお腹を見下ろしながら「いつ産まれてもおかしくないんだって」とマナは他人事のように呟いた。


 指先の熱と感覚が消えていく。

 唇の震えを抑えるために、きつく結んだ。


 何故マナに子供ができて、私にはできないの?


 醜い心の叫びを必死に押さえつける。


 三年も連絡を取っていなかったもの。

 先の見えない不妊治療に心身を削っている私の現状なんて、マナは知る由もない。

 

 人工授精もやった。

 体外受精も試した。


 注射や施術を何度も何度も受け「授かる」ためだけに何百万円も投資した。


 それでも授かることはできなかったのに――


「それは……家にしばらく泊めて欲しいってこと?」


「うん……旦那さんもいるし、迷惑なのは分かってる。でも、しずく以外に頼る人がいなくて」


 ふざけないで。

 どうして私が?


 その身勝手な『お願い』が私にとってどれほど残酷か、自覚はあるの?


 そう言えばいい。

 すでに私の心はぐちゃぐちゃだ。


「いいよ……ちょうど今、旦那は単身赴任中でいないから」


 でも、口から出たのは正反対の言葉だった。

 マナと積み上げてきた友情が、喉元まで出かかった拒絶の言葉を強引に押し退けた。


「本当?! 嬉しい。雫と友達でよかった」


 マナは口元を両手で覆い、頬を赤らめて喜んだ。

 テーブルの上に残っていた紅茶を飲み干して、弾むように席を立つ。


「荷物まとめたらすぐに行くね」


「一緒に行こうか?」


「大丈夫。そんなに荷物はないんだ。これまでの服、全部入らなくなっちゃったしね。雫は家で待ってて? タクシー使うから」


 憂いがなくなった明るい表情で、マナは伝票を持ちレジに向かう。

 私の分の支払いまで済ませた彼女は、無邪気に手を振り店を出た。


 その後ろ姿を見送る私の心は、汚く黒く濁りきっていた。

 

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