かわいいだけでした』」
餡団子
かわいいだけでした』」
波立つ海が見える道路沿いに、寂しげに佇む錆びた標識と、屋根のついた二人掛けのベンチがあったんだ。時刻表は色褪せて、遠くから見ると文字のほとんどはもう読めなかったな。
海は綺麗だった。本当はよくないんだけど、自転車を漕ぎながら、うっとり見惚れちゃうくらいね。
田園と老人だらけの田舎に、あんな郷愁的な風景があるなんて思いもしなかった。十三歳の、まだ子供の僕が感動するには十分すぎるほどの景色だったよ。
ふと前方のバス停に目をやるとさ、ベンチに髪の長い女の子が座っているんだ。無地の半袖に、丈の長いスカートを履いた、僕と同じくらいの子。
彼女は目の前の海を眺めているようにも見えたんだけど、自転車で走る僕を視線の端に留めようとしているようにも見えた。
普段の僕だったら、彼女を横目に、バス停を通り過ぎていただろう。でも、あの時の僕は当てもなく自転車を漕いでいただけで退屈だったし、何より、綺麗な景色を見て高揚していたんだ。
「こんにちは、ここで何してるの?」
自転車をバス停の近くに停めてさ、女の子の隣に座って、精一杯の笑顔で話しかけた。でも、彼女は無愛想な顔をするだけで、何も言ってくれない。
「海、凄く綺麗だね。君は海が好きなの?」
「……」
場の空気を表すかのように、涼しい潮風が吹いた。彼女があまりに何も言わないもんだから、僕は手当たり次第話せそうな話題を振ったよ。そして「この辺、バスって通るの?」って聞いた時、
「……昔にバスは来なくなりました。ここには人も車も、ほとんど通りません」
彼女は静かな声で、目の前に広がる海を指差した。
「昔、あの海で少女が溺死したそうです。それ以来、少女の霊が独りの寂しさから、この道を通る人を海に連れて行くという噂が広まりました。それで、この道には車も人も、ほとんど寄り付かなくなったのです」
彼女が突然話し始めた重い内容に、言葉が出なかった。当時の僕は『死』みたいな、恐ろしかったり暗かったりする話題が苦手で、そういう話からはよく逃げていたんだ。
だからね、僕は話を変えるように口を開いた。
「君、この辺の子?」
「どうでしょうね」
「ここが危ない場所なら、何で君はいるの?」
「分かりません」
彼女の曖昧な返事に、僕は打つ手が何もなかった。二人の間で長い沈黙が続いたよ。
僕がもうこの場を去ろうと思った頃、彼女は気まずい雰囲気を切り裂くように「なら、クイズをしましょうか」と、僕の手を取ったんだ。
「あなたには一日三回、このバス停で私は何なのかを推理するための質問権を与えます。その質問に対して、私はイエスかノーで答えましょう。まあ、少しばかり余計なことを話すかもしれませんがね。……期限は、十日後。その日までに、私の正体を当ててください」
彼女の態度はよく分からなかった。のらりくらりと曖昧な返事をした後なのに、今度は急に馴れ馴れしくなる。しかもクイズなんて……初対面なのにおかしいよね。でもまあ、変な子なのかなとは思ったけど、それ以上は何も思わなかったね。
「……それに参加すると、僕に何かメリットがあるの?」
「イエス。今日の質問権は、あと二つです」
勝手にクイズに参加させられたようで、少し腹が立った。でもね、それよりも気になることがあったんだ。
「イエスって……僕にはそのクイズに参加したところで、大したメリットもないとしか思えないけど、本当?」
彼女はゆっくりと頷き、「イエス。質問権はあと一回です」と言って続ける。
「あなた、この田舎にしばらく滞在するでしょう。多分、あと三週間くらいは」
いやあ、僕は驚いたね。あのときは目を丸くして、とても間抜けな顔をしていたと思う。
だってさ、彼女の言っていることは、完全に合っていたんだよ。僕は、祖母の葬式と夏休みの帰省を兼ねてこの田舎にやってきたからさ、数週間は滞在する予定だったんだ。
僕は「何でそれを君が知ってるの」って訊きたくてたまらなかった。だけど、それより彼女との会話の続きを優先した。
「それで結局、僕がここに長く滞在すると、どうして君のクイズに参加するメリットがあるの?」
彼女はニヤリと笑って、「イエスかノーで答えられません。はい、三回質問をしたので、今日は終わりです」と言って、白く細いその手で僕の背中を叩いたんだ。その勢いで僕は立ち上がったけど、全然痛くなかったね。
「それはひどいだろ」
終始彼女のペースで進み、苛立った僕は不機嫌さを隠すことなくそう言ったよ。
すると彼女は「まあ、メリットくらいは教えてあげましょう」って、いたずらっぽく笑ってね。
「どうせ、こんな田舎では暇でしょう?」って言ったんだ。
二日前に祖母の葬式は終わり、時間は余っていたし、目の前の少女の正体も気になっていた。多分、僕は彼女の思う壺だったろうね。僕は『彼女を知りたい』という気持ちを隠すように、彼女から目を逸らして、
「明日の朝も来るから」って、ぶっきらぼうに言い放ったよ。
それから、朝八時には自転車をかっ飛ばして、バスの来ないバス停に向かう日々が始まった。母や親戚は祖母の手続きがあって色々と忙しかったみたいでね、僕を止める人は誰もいなかった。
彼女と出会って二日目。髪がベタつくような潮風を浴びながらバス停に向かうと、彼女は前日と同じようにベンチに腰掛け、海を眺めていた。
「まだ朝早いのに、もう居るんだね。この辺に住んでるの?」
同級生の男子に話しかけるみたいにさ、空っぽの脳みそで、僕はそう訊いちゃったんだ。
「答えはイエス。今日の質問権はあと二回です」
案の定、彼女はそう言ったよ。その後、苦笑しながら「学びませんね」とも言ってたっけ。
僕は腕を引っ張られて、彼女の隣に座った。
「力、弱いんだね。早くからここに居るし……ちゃんと朝ごはんは食べたの?」
もう分かると思うけど、あの頃の僕は馬鹿なんだ。さっきの会話を碌に反省していない。
彼女は僕の質問に「ノー」って答えてさ。この後に続く言葉は、もう言うまでもないね。今の君みたいに、彼女はすっかり呆れてたよ。
事前に彼女への質問とかは考えてなかったんだ。前日は夜通しゲームをしていたからね。だから、このままじゃ彼女の正体が分からない、って困ってさ。
「宿題が難しい」とか「友達が面白い」とか、適当な雑談で間を繋ぎながら質問を考えていたんだけど、
「答えはノー。今日は終わりですね」
会話の中で気づかず彼女に質問をしちゃったみたいでね。やらかした。
彼女は黒く、艶やかな長髪を潮風に
僕は顔を赤くして「もう来ないから!」って、逃げるように自転車を漕いで、その場を去ったさ。
……違うよ。僕は悔しかったんだ、まるで彼女に負けたみたいで。いや本当、そんなんじゃないから。
三日目。
人に教えてもらうと、宿題は意外と簡単だったな。前日は祖母の居ない祖母の家に帰ってから、ずっと彼女への質問を考えていたんだけどね、二人で宿題を解くのに夢中で、考えたことは何も訊けなかった。
「ここ、どう解くの?」
「これはXを代入して……なに笑ってるんですか」
「いや、前みたいに『今日の質問権は』って言わないのかなって」
彼女は林檎みたいに耳を赤くして、「あっ……今日の質問権はあと二回!」って。
焦ってそう言ってくれると思ったけど、言わなかったんだなぁ、これが。
「それだと、あなたの為になりませんからね」
耳を林檎にしたのは、彼女じゃなかったね。その後に暑いんですか、って訊かれて耳を引っ張られて。ああ、確かに熱かった。
「じゃあさ、君の為にはなるの?」
話を逸らすように、僕は訊いた。
「答えはイエス」と彼女は答えると、彼女はまた質問権を数えた。
嵌められた! って喚いたら、頭をポカンって叩かれた。「集中しろ」ってさ。でも痛くはなかったな。
その日は、日が暮れるまで一緒だった。
四日目。
宿題は全部終わったから、彼女に質問することにした。勿論、彼女が何者なのか知る為にね。
「何で君は、僕にクイズを出すの?」
「……だから、イエスかノーで答えられないですって。あと二回ですよ」
初日と同じ間違いをしてしまった。僕は心の中で自分を責めた。もうちょっと頭を使えよ、って。
もう、彼女は呆れを通り越して笑ってたね。それで肩を震わせながら、僕の肩を何度か手のひらで叩いた。
僕の失敗にクールな彼女があんなに笑ってくれるのが嬉しくて、馬鹿な自分が受け入れられた気がして、僕はその後も二回、無意味な質問をしたよ。
ツボに入ったのか、彼女はどっちの質問にも笑ってくれたな。
「今日は……ふふ。ありがとうございました。また明日会いましょうね」
三回質問をしたから、僕はすぐに帰らされた。昨日とは違って太陽は高くて、まあ暑かった。
五日目。
少し前に考えた質問は、よく考えると、彼女の正体に迫るには力不足だった。だから、四日目は家に帰ってから寝るまで、新しい質問を考えたんだ。イエス、ノーで答えられる質問を作るのは、結構大変だったよ。
「君は、暇だから僕にクイズ出してるの?」
彼女が、ミステリー小説っぽく言うならば、犯人が目の前にいるのだから動機から調べてみようと思って、そんな質問をした。
「答えはノー。……というかあなた、私が暇だからこんなことをしていると思っていたんですか? 心外ですね」
彼女はツンとした顔でそう言うと、僕の足を軽く踏んだ。僕はそれに驚いたよ。だってさ、彼女は文字通り、尋常じゃないくらい軽かったんだ。まるで、そこに彼女の足は存在しないんじゃないかってくらい、本当に軽かった。
女子の体重に触れてはいけないことは知っていたから、特に言及はしなかったけどね、それが正しかったのか、今となっては分からない。
質問の回答に話を戻すと、彼女は暇だからクイズをしているわけではないと言ったね。暇でもないのにこんなクイズをするってことは、クイズをすることで彼女に何かメリットがあるはず、当時の僕はそんな風に考えたよ。
でも、彼女がどんな得をするかなんて考えても推理できないと思ったね。
しばらく雑談を交わしながら、会話の折をみて、僕は次の質問をしたよ。
「君は、家族と一緒にいなくていいの?」
毎日僕が先に帰っていたから、彼女が家に帰るのを見たことがなかった。服が変わっているから、家に帰ってはいると思うんだけどね。彼女は出会ったときからいつもバス停にいるからさ、夏休みという時期的に家族で旅行や観光に行かなくていいのかな、って思ったんだ。
「イエス。残る質問権はあと一回です」
彼女はそう言うとね、目の前の海をじっと見つめたよ。すると、独り言みたいな、でもそうとも言い切れないくらいの小さな声で「家族といれたら、よかった」と呟いた。ただならぬ事情があるんだなって、僕は察したよ。
そこから、僕たちはどこか噛み合わない会話を続けた。僕は変に気を遣って当たり障りのないことを喋ったし、彼女は相槌に専念するようになった。
今日はもうダメだな、って思った僕は最後の質問をすることにした。今となっては思い出せないけれど、前日から訊こうとしていたそれは、彼女の正体を探る上でベストな質問だった。
口を開いて、訊こうとして、でも、訊けなかった。
何故なのか、その時には全く分からなかったね。でも、今なら分かる。当時の僕の頭の中では、彼女の正体を探らなければって考えていたのに、心のどこかでは、そんなことはどうでもいいって思っていたんだ。
僕は開いた口はそのままで、おずおずと「じゃあ最後の質問をする」と告げて、心からの問いを彼女に投げかける。
「君は、寂しいの?」
彼女は少し間を空けて、淡々と答えた。
「……答えは、イエス。さあ、さっさと帰ってください」
この日、彼女はこれ以上何も話さなかった。
六日目。
朝目が覚めて、僕は気がついたよ。自分がもう、彼女の正体を推理しようなんて思っていないことに。それは昨日の最後の質問を考えれば明らかで、その理由は考えるまでもなかった。彼女と時間を過ごすだけで、忙しい両親や親戚が構ってくれないことも、全然寂しく感じなくなっていたからだ。
質問を三回すれば、僕は彼女に帰らされるだろう? そうしたら僕は、祖母の家で独りぼっちなんだ。実際には両親も親戚も家に居るんだけど、みんな祖母のことで忙しくて、僕に構わないからね。僕の気持ち的には、周りに誰も居なかった。
僕はね、少しでも長く、彼女のいるあのバス停にいたかった。二人ぼっちになりたかった。だからさ。
残りの四日間は、彼女の正体なんて面倒なことは考えずに、質問なんてせずに、『ただ、彼女と一緒にいよう』って。それが僕の冴えたやり方なんだって。自分勝手にそう思ったんだな。
朝八時。涙も流さず線香をあげる母を横目に、玄関の扉を開けた。
……もう行かなきゃいけないのかい? 仕方ない、要点だけに絞ろう。
「……あっ。そういえば君、名前は?」
やっぱり僕は馬鹿だ。これまで彼女の名前を訊いていなかったし、自分の名前を伝えていなかった。忘れていたんだよ。
彼女は「今更ですか」と苦笑して、僕のつま先を彼女のつま先で、コツンとつついた。
「イエス、ノーでは答えられ……まあ、もういいでしょう。私はミエです。あなたは?」
彼女は……ミエは、もう僕が彼女の正体を推理する気がないことに、気づいていたのかもしれないね。
この日から、ミエは残りの質問権を数えなくなった。僕は会話がしやすくなって嬉しかった。凄く、愚かだ。
七日目。
この日は駄菓子屋にアイスを買いに行こうって、ミエに言ったんだ。でも彼女はベンチから動きたくない、って。肌が白い子だから、日焼けが嫌なんだろうなって思ったよ。
僕は一人で駄菓子屋に行って、これでもかってくらいアイスを買った。ミエは事前に「何でもいいです」って言ってたけど、一番好きなものを食べたほうがいいに決まってるんだ。
ミエにアイスが沢山入った袋を見せたら、「困りましたね」ってひどく戸惑ってた。
八日目。
ミエが困ってる姿をもう一度見たくて、家の冷蔵庫からこっそりジュースをたくさん持ち出して、バス停に持ってきた。彼女は「いりません」って拒否し続けたけれど、最後には折れて遠慮がちにジュースの缶を一つ受け取ってくれた。サイダーだったかな。
その後は、他愛もないことを、夜になるまで二人で話し続けたよ。楽しかった。
九日目。
バス停に向かうと、彼女はベンチに座ってこっちを見つめていた。いつもは何も言わず海を眺めているのに、この日は「待ってましたよ」って僕に笑みを向けてね。
ミエは自分からは何も語らない子だけど、この日だけは違った。
僕が遠くの積乱雲を掴もうと手を伸ばしていたら、彼女は突然語り出した。
「……私には、この田舎が少し寂しく見えるんです。人が死んでも、誰も悲しまない。きっとみんな、老人ばかりで死に慣れてしまったんでしょうね」
急にどうした、と思いつつも、彼女の話を否定できなかった。僕は彼女と出会う前に祖母の葬式に行ったけど、そこでは僕以外誰も泣いてなかったんだ。みんな真面目な顔で、流れ作業のように線香なんかあげちゃって。涙も流さないなんて変だと思った。
でも肯定するのも寂しかった。九日間、僕たちはこのベンチで二人ぼっちだったんだから、僕たちはお互いを分かり合っているんだから、もっと気の利いたことが出来るだろうって気がしたんだ。
右手のひらをミエの頭に乗せて、僕は何かを言った。その『何か』は覚えてないけど、彼女が「ありがとう」って言ってくれたことと、そのまま何時間も動かなかったことだけは、今でもはっきり覚えている。
当時の僕は気づいていなかった。ミエとの日々が、終わろうとしていることに。
十日目。
ミエのバス停に行ったらすぐにさ、「解答の時間です。私は誰ですか?」って言われてね。彼女が何者なのか、当てなきゃいけなくなった。
僕は彼女の正体なんて碌に考えてなかったから、答えに困ったわけだ。でもすぐに、答えは重要じゃないと思った。ミエと過ごした時間は紛れもなく本物だったし、ここまで仲良くなったんだから、何と答えたところで、明日もまた会えるって気がしたんだ。
いつかミエが話してくれた、溺死した少女の霊を思い出した。ミエの正体は、はっきり言って全く予想がつかない。なら、それでいいと。僕はいつもみたいに馬鹿になって、彼女に笑ってもらおうと思った。
それで、「君は幽霊だ」って、間の抜けたジョークを言ったよ。
そうしたら、彼女は「全然違います」って、「今まで何を見てきたんですか」って、ため息混じりに笑って、明日も僕と一緒にいてくれるかなってさ、本当に、そう思っていたんだよ。
でも、現実は甘くなかった。
ミエは俯いてね、その長い髪で顔が見えなくなった。焦った僕は顔を覗き込んで「今のは冗談」って言おうとしたけど、遅かった。完全に手遅れだった。
彼女は僕の言葉を聞くことなく、僕が何かを言い直す暇すら与えず、最後の言葉だけをこのバス停に置いて、この場を去ってしまった。
ミエから帰るのは初めてで、彼女の歩く速度があんなにも遅いことを、僕は初めて知った。何十秒経っても彼女はまだバス停から見える場所にいて、本気で追いかければ、すぐにでも追いつけた。
それでも僕は全く動けなかった。冗談のつもりだったのに怒らせた、って、バツが悪かった。混乱していた。どうしていいか分からなかった。
ミエが地平線から姿を消したとき、僕は「明日謝ればいいか」って思った。最後の言葉も聞いたはずなのに、彼女との十日間は、もう終わってしまったのに。
僕は、全ての思考から背を向けた。最低だよ。
次の日、ミエはバス停に来なかった。その次の日も、そのまた次の日も、ずっと来なかった。
※※※
「君は、彼女は何者だったと思う?」
ミエと過ごしたこのバス停で、僕は隣に座る髪の長い男の子に話しかけた。男の子は困った顔をして「うーん」と小さく唸る。
「……やっぱり、幽霊かなぁ。今はこの海や道路に少女の霊の噂はないけど、当時は霊が出るって話だったんでしょ? だったら、ミエさんは幽霊だとしか思えないな」
……みんなと、同じ答えか。
「僕もあの後、そう考えたな。……でも、それは変なんだ。噂と違って、彼女は僕を海の中に連れて行くことなんて無かったし、彼女が僕に正体を推理させる理由も、突然いなくなる理由も説明できない」
男の子は険しい顔をして、また唸り始めた。彼は先ほど「門限が近い」と言っていたから、僕は話を止めない。
「……僕はね、ミエは幽霊の類ではなかったんだと思う。彼女は、普通の女の子だったのかもしれないんだ」
僕は首を傾げる男の子を横目に、自分なりの見解を話す。
「ここは老人ばかりの田舎だったからね、ミエには同じ年頃の友達はいなかったはずだ。そんな中、彼女は不運にも重い病気を患う。……無理をしなければ日常生活は送れるけれど、彼女はいずれ致死率の高い手術をしなければいけない」
それなら、あの力の弱さにも納得がいく。
腕を引っ張られたとき、足を踏まれたとき、背中を叩かれたとき。確かに彼女に触れたはずなのに、そこには重さや痛み、ましてや力さえ感じられなかった。
あの時点で、彼女の傍には『死』がちらついていたのだ。
「この田舎は、人の死に慣れていた。だからミエは、自分が手術で死んでしまっても、誰も悲しまないのだと悟ってしまったんだ。そうして彼女は、人通りのないあのバス停で、皆から少しずつ距離を取るようになる」
男の子は「それで、若い頃のお爺さんに会ったのか」と、頷いた。
「この田舎は狭いからね、ミエは僕の顔を見ただけで、僕がここの人間ではないことに気づいた。……あのときの彼女は、きっと嬉しかったと思う。だって、唯一自分の死を悲しんでくれるかもしれない人間が初めて現れたのだからね」
この辺りの説明はどうしても回りくどくなるから、僕の語彙力では中々伝えづらい。だが、以前よりはだいぶマシになったはずだ。
男の子の視線は僕の指の方に向かっているが、幸い、きちんと話は聞いているようだ。
「ミエがどう声をかけようか迷っているうちに、僕が近づいてきた。まず、彼女は僕の気を引いて、仲良くなろうとしたんだろう。でも初対面ということもあり、ついそっけない態度になった。そこで彼女は、僕の気を引くために、あのありもしない幽霊の話を持ち出す」
「……ありも、しない?」
強い潮風が、僕と男の子に吹いた。彼の長めの髪が大きく揺れるが、僕の髪が昔のように揺れることはない。
「だって、よく考えてみて」と言って、僕は続ける。
「僕は当時、ここを自転車で通っただろう? それは、このバス停前に現れる幽霊のことを、お母さんや親戚の人に知らされていなかったからなんだよ。誰もが恐れている道なら、まだ子供の僕にそのことを教えてくれないとおかしい」
彼女がいなくなってから、少女が海で溺死した事件を調べたが、そんなものはこの田舎になかった。
あれは彼女が僕の気を引くためについた適当な嘘で、この道路はただ人通りが少ないだけの道路。事故や迷信なんて何もなかったのだ。
「ミエは、さらに僕の関心を引くため、自分のことを知ってもらうため、自分の正体を推理してもらうことにした。——期限は十日後、手術の日」
その後、ミエは僕と関わりながら、着実に僕と仲を深めていく。時に笑い、時にボディタッチも交える。それは打算的な行動で、僕に興味があるわけではない。ただ、目標を達成するため、目の前の馬鹿な少年を利用する。
ただ、彼女には一つ、誤算があった。
僕が、途中で思考を放棄してしまったのだ。
本来なら、ミエは最後に自分の手術を話すつもりだったのかもしれない。僕が彼女の正体を推理し、一人の少女として。一人の友達として。そして、一人の想い人として。僕がそう認識した瞬間に。
そうやって、確かに生きている誰かとして見つめられた上で、彼女は自分の死を語り、この田舎の人の代わりに僕に悲しんでほしかったのではないか。
それなのに、僕はミエの正体なんて考えず、「君は、幽霊だ」なんて言って、ミエをもう死んでいることにした。彼女にとって唯一自分を見てくれるはずだった僕は、正真正銘、自分の口で、
ミエという存在を、殺してしまったのだ。
彼女の胸に刃を突き立てたわけでも、首を絞めて窒息させたわけでもない。それよりもずっと酷い、彼女の魂の否定を、僕はしてしまった。
「……でもさ、正体を、ミエさんの口から聞いたわけじゃないんでしょ? 危険な手術の話も、彼女の打算的な行動原理も、お爺さんのただの妄想だと思うよ」
男の子は僕を気遣うような、こちらの調子を窺うような、そんな優しい声色で言った。
「ああ、そうだよ。今語ったのはただの妄想さ。僕はミエが生きている間に、彼女の正体を推理しなかった。バス停から去っていく彼女を引き止めなかった。……だからもう、答え合わせはできない」
あれから時は流れ、大人になって、人生の大半が終わり、髪が白くなっても時間を見つけてはここに来ている。それでも、彼女が現れることはない。
「昔の、たった十日間出会っただけの女の子のために、よく頑張れるね」
男の子は海の方を眺めながら立ち上がり、身体を大きく上に伸ばした。
彼はもう、家族の元に帰るのだろう。
「確かに、たった十日間だったよ。けれどね、僕の胸には彼女への後悔が残っているんだ。だからこうして、何度もこのバス停のベンチに座り、通りかかる人に、ミエという一人の少女の話を語っている。彼女は一体何者だったのかを推理するため、彼女の死を、誰かに悲しんでもらうため。……これは、彼女の最後の言葉への贖罪なんだ」
男の子は目を丸くすると「そういえば、ミエさんの最後の言葉って……?」と、僕の顔を見返した。
「……あまり、言いたくないからぼかしていたんだけどね」
結局、この子も納得のいく彼女の正体を推理することはできなかった。何が正しくて、何が正しくないのか、僕には何も分からない。
でも、諦めない。人生はやり直せなくても、まだ続いている。この命が尽きない限り、彼女を想い続ける限り、彼女への推理と贖罪は終わらない。
何度繰り返すことになっても、僕はミエという少女が確かに存在したことを、僕が犯してしまった大罪を、ずっと語り継いでいく。
——だからさ、いつか君が許してくれる日がきたなら……また、僕に会って、あの日の続きをさせてくれないか。
「最後の……彼女の言葉は、『あなたが大嫌いです。結局、あなたは誰のことも思いやれない最低な人間で、自分の身が
かわいいだけでした』」 餡団子 @Andango4
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