第13話 嘘の書類
ちりん。
店の鈴が鳴ったのか、首の下が鳴ったのか――もう区別がつかない。
埃の匂い。古い紙の湿り。煤。インク。
棚の影で、半面の仮面が笑っている。
「銀の百合。来るよ」
無音。
真実の言い方。だから腹が冷えた。
バルドの声が低く落ちる。
「喋るな。口を閉じろ」
ノアは頷いた。
――直後、扉の向こうで小さな鈴が鳴って、それに首元が呼応した。
ちりん。
(返事する首輪……最悪だ)
どん。
扉が叩かれる。
「王都守備隊だ。中を改める」
鍵が外される気配。店主の手。
扉が開き、夜気が刺さった。
きぃん。ぼん。ざり……。
都の嘘が波のように押し寄せる。
痛いはずなのに――痛くならない。
ちりん。
首元の鈴が先に鳴って、針を丸めてしまうからだ。
(楽だ)
楽だと思った瞬間が、いちばん怖い。
銀の百合の騎士が三人、店に入ってくる。
先頭は、あの隊長格。背筋の伸びた綺麗な男。
視線がノアに刺さる。
無音の針。
「少年を捜索している。協力しろ」
バルドが回収札を見せた。
「ギルドの依頼中だ。貼り紙回収――虚言蟲の件で動いている」
隊長格は札に触れず、懐から紙を取り出した。
封蝋。紋章。折り目。
「正式な書類だ。この少年を拘束する」
書類。
文字の形が、冷たい。
ノアの目が勝手に吸い寄せられた。
そして――頭の奥で、ぎぃ……と、紙が鳴った。
インクが骨を擦る音。
(……いる)
書類の端。封蝋の下。
黒い染みが、豆粒みたいに滲んでいる。
虚言蟲。
嘘が紙に潜って、真実の顔をする。
首元が小さく鳴った。
ちりん。
(食う気か。――でも、これは餌じゃない)
嘘を食えば首が楽になる。
でも、この嘘は――母を殺す形になる。
仮面の男が、楽しそうに口を挟んだ。
「へえ。そんな大層なものまで。隊長さん、熱心だね」
ちりん。
笑いに混じる鈴。
隊長格が仮面の男を睨む。
「黙れ。店主か」
「ただの古書店の店主だよ。紙ならいくらでもある」
ちりん。
嘘。
どこが嘘か、耳では掴めない。
でも腹が冷えた。――こいつは嘘で生きている。
隊長格がノアを指差した。
「フードを取れ。顔を見せろ」
喉の奥で、「黙れ」が跳ねた。
(言えば)
書類の真実も、捜索の真実も、消せるかもしれない。
(……だめだ)
バルドの言葉が刺さる。
『言葉を削れ』
ミラがノアの袖を引いた。
「兄ちゃん。紙」
ノアは息を止めた。
バルドが隊長格に言った。
「その書類、読み上げろ」
隊長格の眉が動く。
「何?」
「確認する。ギルドは王権に従属しないが、法は無視しない。だからこそ、内容を聞く」
嘘のない理屈。
隊長格は舌打ちした。
「……いいだろう」
紙を開き、息を吸う。
――その瞬間、ノアの口が勝手に動いた。
(……やめろ)
でも止まらない。
「……嘘だけ、黙れ」
吐息みたいな声。
バルドが一瞬だけ目を細めた。叱らない。止めない。
今は、それしかないから。
次の瞬間。
紙の黒い文字が、じわりと滲んだ。
『王命』の部分が穴みたいに白く抜ける。
封蝋が、ぱき、と乾いた音を立てた。
中から黒い豆粒がぬるりと浮き、ぐにゃりと伸びようとして――
「……っ」
ノアは続けて言わなかった。
ただ、見ていた。
豆粒は、乾いたインクの塊みたいに固まり、ぽとり、と落ちた。
ぎぃ……という音が途中で折れて、消える。
――静かだ。
その静けさに、首元が不満そうに鳴った気がした。
ちりん。
(殺した。食わせなかった。だから怒ってる)
騎士たちが凍る。
隊長格の顔色が変わった。
「……何をした」
無音の警戒が刺さる。
バルドが低く言い切った。
「見れば分かる。――その書類は汚れている」
仮面の男が、初めて笑いを引っ込めた。
「……やば」
ちりん。
嘘。
(演技だ)
バルドは隊長格を見据える。
「正式な書類なら、嘘で汚れない。――これは偽物だ」
隊長格の口角が歪む。
「偽物じゃない。汚されたんだ」
ちりん。
鈴が鳴る。
(どっちだ)
耳では分からない。だが、虫が出た。
それが答えだった。
ミラが短刀の柄を指で弾いた。
「虫、出たよ。都の守備隊って、虫も飼ってんの?」
隊長格が言い返そうとして――言葉が引っかかった。
舌が絡む。
バルドの足元、白い粉が薄く舞っている。
誓約の雪。
嘘が喉で死ぬ。
隊長格は言い換えた。
「……今日は引く」
無音。
真実。
そして、続ける。
「明日、正式な書類を持って来る」
無音。
真実が、二本目の針になって刺さった。
(明日)
落日までに返せなければ、首輪だけじゃない。
「書類」が、ギルドごと追う。
隊長格はノアを見た。
「逃げるな。逃げても、書類は追う」
無音。
真実は反論しない。だから刺さる。
騎士たちは踵を返し、夜気の向こうへ下がった。
扉が閉まる。
外の嘘が遠のく。
――それでも。
ちりん。
首元の鈴だけが残った。
仮面の男が、ゆっくり笑いを戻す。
「いいね。紙も黙らせられるんだ」
ちりん。
嘘の鈴。
「でもさ。嘘を殺すと、返す嘘が減るよ。――落日までに足りる?」
ノアの喉が鳴る。
(こいつ、追い詰める気しかない)
バルドが男に近づいた。
「帳簿を出せ」
「帳簿?」
男は肩をすくめた。
「俺は紙しか――」
ちりん。
嘘。
棚の影から、ミラが薄い冊子を取り出した。
表紙に小さく『納入』。
「これ?」
男の目が一瞬だけ鋭くなる。
無音。
真実。
(当たりだ)
バルドが冊子を奪い、ページを捲る。
瓶の数。紙束。符号。納入先。
最後の頁に、銀の百合の印。
バルドの声が低くなる。
「……繋がってる」
仮面の男の笑いが戻った。
ちりん。
「繋がってるよ。都は噂で回る。書類も噂で汚れる」
嘘と真実の混線。
――なのに、今のノアには区別がつかない。
首元がちりん、と鳴った。
楽になる。
気持ち悪い。
棚の奥の暗がりが、ひとつ揺れた気がした。
ぎぃ……。
壊れたオルガンの残響。
ノアの背筋が凍る。
(リュシアン)
でも、首元が鳴る。
ちりん。
嘘が鈴に化けて、耳では掴めない。
バルドがノアの襟を掴んだ。
「行くぞ。――落日までに返す。明日の書類が来る前に」
嘘のない命令。
ノアの足が動いた。
歩き出した瞬間、首元がもう一度鳴った。
ちりん。
まるで「急げ」と言うみたいに。
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