第2話 曇天―彼女が死んだ日
その日は、最初から空が低かった。
雲が、街の上に置き忘れられた重たい蓋みたいに広がっていた。
ライデンはバイクを停め、ガードレールに腰を預けた。エンジンを切ると、音が急に少なくなる。世界から一段、距離ができる。
「遅い」
背後から声がした。
マリーダは、いつものように腕を組んで立っている。黒いジャケット。短く切った髪。目だけが、やけに落ち着いていた。
「三分だ」
「三分は遅い」
彼女はそう言って、歩き出す。
レストエリアの照明は、どれも少し暗い。新品のはずなのに、最初からくたびれている。
自販機で缶を二本買い、一つを放ってよこす。
ライデンは受け取った。
「今日は走るなって言ったよね」
「仕事だ」
「その仕事、名前ついてる?」
答えない。
マリーダは、それ以上聞かなかった。
缶を開ける音が、やけに大きく響く。
雲の奥で、雷が鳴った。
「嫌な天気」
「いつもだろ」
「今日は、特に」
彼女は空を見上げた。
空は、何も答えない。
そのとき、音が変わった。
エンジン音。重くて、乱暴なやつ。
ライデンが振り向く前に、マリーダが一歩前に出る。
「……ライデン」
声が低い。
警告だった。
黒いバイクが二台、レストエリアに滑り込んでくる。
背中の紋章。蛇。口を開いた毒蛇。
ヴェノム。
ライデンは左腕に手を伸ばした。
だが、マリーダがそれを止める。
「ここじゃない」
「下がれ」
「私が決める」
短いやり取り。
その隙は、十分だった。
乾いた音が一つだけ鳴った。
雷よりも、ずっと小さい音。
マリーダの体が、前に崩れる。
時間が、少しだけ遅れた。
ライデンは彼女を受け止める。
ジャケットが、急に重くなる。温度が、移る。
「……ばか」
マリーダの声は、息みたいだった。
「撃つなら……あんたを——」
最後までは、届かない。
遠くで、誰かが笑った。
エンジン音が、遠ざかる。
雷が落ちる。
それを合図にしたみたいに、雨が降り出す。
ライデンは、その場に膝をついた。
マリーダを離さない。
救急ドローンの音が、遅れて聞こえる。
青い光。機械的な声。
彼は、何も言わなかった。
ただ、空を見上げる。
曇天は、どこにも行かなかった。
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