第6話 拒絶の関所と、別行動の罠

 『境(サカイ)』の構造は、そのままこの世界の縮図だった。


 鼻が曲がりそうな腐臭と湿気に満ちた、海沿いのスラム街。そこには掘っ立て小屋や、筵(むしろ)を張っただけの粗末な天幕がカビのように密集している。

 だが、内陸に向かってなだらかな坂を登るにつれ、景色はあからさまに変化していく。


 足元の泥道は、踏み固められた乾いた土へ。

 腐った藁(わら)葺きの屋根は、整然と並ぶ板葺きの屋根へ。

 周囲を行き交う人間も、薄汚れた労働者から、小綺麗な身なりの商人や、木簡を抱えて忙しなく走る使いの者へと変わっていく。


「……わかりやすい階層社会だこと」


 俺は皮肉っぽく口角を上げた。

 この「板葺きエリア」は、いわゆる富裕層の街だ。スラムの連中が吸い上げられた富が、ここに集まっているというわけだ。

 そして、その豊かな街並みを登りきった最奥。

 スラムと富裕層、その全てを見下ろす高台に、その巨大な「壁」は鎮座していた。


 関所(ゲート)だ。


「……へぇ。こいつはまた、徹底したもんだ」


 俺は思わず足を止めて見上げた。

 丸太を幾重にも組み上げた堅牢な防壁。だが、ただの丸太ではない。

 一本一本の皮がきれいに剥がされ、表面が磨き上げられている。それらが狂いなく組み合わされ、針の隙間すら存在しない。

 風も、視線も、呼吸すらも通さない。

 それは「守る」ための壁というより、物理的に世界を「分断」するための拒絶の壁だった。


 壁の向こうからは、さらに立派な建物の屋根と、手入れされた松の木々が見える。

 手前の街が「人間の欲望の坩堝」なら、向こう側は塵一つない「掃き清められた神域」といったところか。


 門の前には、既に長蛇の列ができている。

 荷車を引いた商人、着飾った貴族崩れ、そして一攫千金を夢見る労働者たち。彼らは皆、門番による厳重な「選別」を受けていた。


「次。……よし、通れ」

「次。……貴様、咳をしているな? 病持ちは規定外だ。失せろ」

「ひ、ひぃっ! ただの風邪です! お慈悲をぉぉ!」


 咳き込んだ男が、問答無用で槍の柄で突き飛ばされ、泥の中に転がる。

 門番たちは皆、大陸風の革鎧ではなく、ヤマト特有の「板鎧(短甲)」を身につけている。その装備は一様に新しく、手入れが行き届いている。

 だが、何かがおかしい。

 海賊のような粗暴さがないのだ。彼らの動きには無駄がなく、そして――感情が見えない。


「……おい、荷物持ち。ここを通るのか?」


 竹籠の上から、ヤエ人形が不満げに声を潜めた。


「空気が張り詰めている。……あの門番たち、ただの兵ではないぞ。微弱だが、何らかの『加護(呪い)』を受けている」

「お察しの通りですよ。……ま、正面突破は博打ですがね」


 俺は左腕の包帯をきつく巻き直し、袖を伸ばして隠した。

 ニライには、例の「国宝級の貝輪」を布で完全に覆わせている。


「ニライ、いいか。余計なことは喋るなよ。ニコニコ笑って立ってればいい」

「わかってるさね! 愛想笑いは得意さね!」


 ニライがニカッと太陽のような笑顔を作る。

 ……うん、これなら怪しまれないだろう。多分。


 俺たちは列に並び、順番を待った。

 やがて、俺たちの番が回ってきた。


「次。……む?」


 門番の男が、俺たちを一瞥した。

 俺の顔、ニライの南国風の容姿、そして荷物(ヤエ人形が入った籠)。

 その視線は、人間を観察する目ではなかった。

 網からぶちまけられた大量の魚の中から、売り物にならない雑魚(ざこ)を無造作に弾くような――冷徹で事務的な目だ。


「見ない顔だな。……出身は?」

「西の……ツクシの方から参りました。珍しい薬草と、工芸品を売りに」


 俺は愛想よく頭を下げ、懐から賄賂代わりの鉄楔(ミニ和釘)を取り出そうとした。

 だが、兵士の目は、俺の手元ではなく「顔」に向けられていた。


「……貴様。その髪の色」

「は?」

「真っ黒ではないな。陽に透けて赤茶けている。……大陸の血か?」


 鋭い指摘に、俺は一瞬息を止めた。

 この時代、異人の血は珍しい。


「ええ、まあ。父がそちらの出身でして」

「ふん。……肌を見せろ」

「はい?」

「大陸帰りのゴロツキは、妙な病や呪いを持ち込むことが多い。……袖をまくれ。両腕だ」


 兵士が槍の穂先を、俺の鼻先に突きつけた。

 ……最悪だ。

 俺はこめかみに冷や汗が伝うのを感じながら、必死に言葉を継いだ。


「いやぁ、お役人様。あいにくと俺は肌が弱くてですね、直射日光に当てると……」

「問答無用」


 バッ!

 兵士が強引に俺の左腕を掴み、袖をまくり上げた。

 そして、包帯の隙間から――あの幾何学模様の『縄文刺青』が、露わになった。


 その瞬間。

 兵士の目の色が、スッと変わった。

 驚きでも、怒りでもない。

 「処理対象(エラー)」を見つけた時の、無機質な反応。


「……見つけたぞ」


 兵士が、パッと俺の手を離し、まるで汚染物質に触れたかのように自分の手を拭った。


「黥面(げいめん)……。罪人の焼き印か」

「いや、違います! これは東国の風習で、精霊の……」

「黙れ。規定により排除する」


 兵士の声には、一片の情動もなかった。ただのマニュアルの読み上げだ。


「肌に墨を入れるなど、重罪人の証拠。しかもその不気味な文様……呪術の類か。神聖な大和の土に入れるわけにはいかん」


 周囲の兵士たちが一斉に槍を構え、殺気立った。

 それは人間が人間に向ける敵意というより、清掃員がゴミを掃き出すための作業手順に見えた。

 列に並んでいた商人たちも、「うわぁ、罪人だ」「関わるな」と蜘蛛の子を散らすように距離を取る。


 (……やれやれ。これだから「文明人」って奴は)


 俺は心の中で毒づいた。

 親父の故郷である東国(縄文圏)では、この刺青は「自然と共に生きる勇者の証」だ。

 だが、大陸の法を取り入れたここ西国(弥生圏)では、刺青は「額や腕に入れられる刑罰の印」でしかない。


 同じ「墨」なのに、場所が変われば「誇り」が「罪」になる。

 そして、この門番たちのように、思考停止したシステムの一部として処理される。

 文化の違いってのは、時にナイフよりも残酷だ。


「失せろ。次にその顔を見せたら、首を刎ねて浄化する」

「……へいへい。わかりましたよ、退散します」


 俺は両手を上げて降参のポーズを取り、ジリジリと後退した。

 ここで暴れれば、ヤエやニライまで「処理対象」として手配書に載る。それだけは避けたかった。


「……ハク」


 背後で、ニライが心配そうに俺の服を掴んだ。

 彼女には、俺がなぜ罵倒されているのか理解できていないようだ。


「……行くぞ、ニライ。ここは俺たちの通る道じゃない」


 俺たちは兵士たちの冷ややかな視線を背に受けながら、すごすごとスラム街へと戻った。


◇◇◇


 関所から離れた、船着き場の陰。

 俺は竹籠を下ろし、大きなため息をついた。


「……面目ない。門前払いでした」

「ふん。……あの兵たちの目、気に入らぬな」


 ヤエ人形が、籠の中から不機嫌そうに顔を出した。


「人の価値を、肌の色や墨の有無だけで決めつけるとは。……それに、あの虚ろな目。まるで人形ではないか」

「全くだ。……だが、これでハッキリした。正規ルートは使えない」


 俺は腰のナイフを抜き、地面に簡単な地図を描いた。


「正面がダメなら、裏口を探すしかない。……この街には、必ず『帳簿に載らないルート』があるはずだ」

「裏口?」

「ああ。ヤマトにだって、俺たちみたいな訳ありの人間や、表に出せない物資を運び込む連中がいる。……そいつらの通り道を見つけ出す」


 俺は顔を上げ、二人を見た。


「手分けしよう。俺は管理棟のゴミ捨て場でも漁って、裏帳簿の切れ端でも探してくる」

「ならば、私は?」

「ニライは市場で聞き込みだ。……ただし!」


 俺はニライの鼻先を指差して釘を刺した。


「絶対に、その『貝輪(おたから)』を見せるなよ。いいな?」

「わかってるさね! 子供じゃないさね!」

「……不安だ」


 俺が本音を漏らすと、竹籠の中から「やれやれ」という呆れた気配が漂った。


「仕方あるまい。……おい、荷物持ち。私をあの野生猿の頭に乗せよ」

「はい?」

「私が目付役として同行してやると言っているのだ。……あの娘一人では、光るものを追ってどこへ消えるかわからんからな」


 ……なるほど。それは助かる。

 俺は感謝しつつ、ヤエ人形をつまみ上げると、ニライの頭の上にちょこんと乗せた。

 ニライのウェーブのかかったボリュームのある髪が、丁度いい鳥の巣(クッション)になっている。


「わーい! 女王様と一緒さね!」

「騒ぐな、落ちるだろうが! ……よいかハク。吉報を待て」


 小さな女王が、頭の上で器用にバランスを取りながらふんぞり返る。

 その姿はシュールだが、不思議と頼もしかった。これなら安心だ。……少なくとも、ニライが暴走した時のブレーキにはなるだろう。


 俺たちは頷き合い、二手に分かれた。

 

 この時の俺は、まだ甘かったのだ。

 この街の欲望が、俺の想像を遥かに超えて「飢えている」ということを。

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