第10話 緋色の女王と、紅蓮の舞

「……あ……」


 俺の胸元で、ヤエ人形がカタカタと震え出した。

 それは恐怖による震えではない。

 記憶の底から噴き出した、どす黒い情念の共鳴。


 ――燃える。

 都が、燃える。

 民の悲鳴。焼け落ちる柱。そして、炎の中で自分を逃がすために盾となった、数多の同胞たちの断末魔。

 

 (逃げてください、ヤエ様……!)

 (どうか、生きて……!)


 かつてツクシを襲った「大戦」の地獄絵図が、商人の松明と重なった。


「……嫌だ」


 人形の口から、掠れた声が漏れる。


「殺せッ! 挽肉にしろぉッ!」


 ゴロツキの一人が、縛られたままのニライに近づき、無造作にその髪を掴み上げた。

 錆びた剣が、彼女の細い首筋に当てられる。

 ニライが涙目で俺を見る。

 その光景が、ヤエの記憶の中の「死にゆく友」の姿と完全に重なった。


「……させぬ」


 俺は、手に持った竹竿を構えようとした。

 だが、それより早く――俺の懐から、爆発的な熱量が弾けた。


「二度と……私の目の前で……」


 ヤエ人形が、俺の手を離れて宙を舞う。

 その木彫りの瞳には、かつて戦場を支配した女王の、凄絶な憤怒が宿っていた。


「私の友(とも)を……奪わせはせぬぅぅッ!!」


 瞬間。

 視界が赤く染まった。

 それは比喩ではない。

 ニライの体を包んでいた空気が歪み、燃え盛る炎のような緋色(ひいろ)のオーラが噴出したのだ。


 ドクン!!


 心臓の鼓動のような衝撃音が、倉庫全体を揺らした。


「あぁ? なんだこいつ、熱ぅッ!?」


 ニライの髪を掴んでいた男が、火傷したように手を引っ込める。

 

「……無礼者」


 その声は、ニライのものではなかった。

 南国の太陽のような明るさは消え失せ、代わりに地獄の底から這い上がってきたような、氷と炎が同居する声色。


 するり、と。

 ニライのウェーブのかかった栗色の髪が、まるで墨を流したように漆黒へと染まり、直毛へと伸びていく。

 縛られていたはずの荒縄が、内側からの気迫だけで弾け飛び、バラバラと床に落ちた。


 ゆっくりと上げられた顔。

 その瞳は、燃え盛る戦火を映したような緋色に輝いていた。


◇◇◇


 空気が、歪んでいた。

 倉庫の中に充満していたカビと腐敗の臭いが消し飛び、代わりに肌を刺すような、ピリピリとした静電気が満ちている。


「な、なんだ……? 髪が……」


 ニライを取り囲んでいた男の一人が、腰を抜かして後ずさった。

 無理もない。

 目の前の少女は、物理的に「変質」していた。


 南国の風を思わせる奔放なウェーブヘアは、見えない重力に引かれたように、切っ先鋭い直毛(ストレート)へと変貌し、腰まで伸びている。

 小麦色の肌はそのままに、その瞳だけが、暗闇で獲物を狙う夜行獣のように緋色に発光していた。


「……身の程を知れ、下郎」


 少女の唇から紡がれたのは、氷の刃のような宣告だった。


「ひ、ひぃッ! や、やっちまえ!」


 恐怖に駆られた男が、錆びた直刀を振り上げた。

 少女の細い首を狙った、力任せの一撃。


 だが、その刃が届くことはなかった。


 ヒュン。


 風を切る音すらしなかった。

 少女が半歩、スッと体を沈めたかと思うと、男の懐に滑り込んでいた。

 

 「南方のしなやかな肉体(うつわ)」×「戦巫女(いくさみこ)の戦術眼」。

 

 それは、この世で最も危険な「混ざりもの」の誕生だった。


「遅い」


 少女――いや、ヤエは、男の手首を軽く叩いた。

 ただそれだけで、男の手から剣が弾き飛び、クルクルと空を舞う。

 ヤエはその剣を空中で無造作に掴み取ると、返す刀で一閃した。


 ズォッ!!


「がはっ……!?」


 男が鮮血を吹き出し、『イソラ』が敷かせた純白の絨毯の上に崩れ落ちる。

 白い絹に、鮮烈な赤が花のように咲いた。


「……ふん。なまくらだな」


 ヤエは奪った剣を一瞥し、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 その立ち姿には、一点の隙もない。

 重心は低く、しかし羽毛のように軽い。ニライの身体能力を、ヤエの武術が極限まで引き出している。


「ば、化け物かこいつ……!」

「囲め! 一斉にかかれ!」


 残った十数人のゴロツキたちが、雄叫びを上げて殺到する。

 俺は竹竿を構えて加勢しようとしたが――その必要はなかった。


「退いておれ、ハク」


 ヤエが低く呟いた瞬間、彼女の姿が掻き消えた。


 タンッ!


 倉庫の壁、梁、積み上げられた荷物。

 彼女は三次元的な機動で空間を跳ね回った。それは重力を無視した猿(ニライ)の動きでありながら、放たれる斬撃は神速の剣技(ヤエ)だった。


 右の男の顎を柄頭(つかがしら)で砕き、その反動で宙返りし、背後の男の鎖骨を断つ。

 着地と同時に足を払い、転んだ男の眉間を的確に貫く。


 舞だ。

 これは戦闘ではない。一方的な蹂躙であり、残酷で美しい演武だった。


「つ、強い……なんてレベルじゃねぇぞ……」


 俺は呆然と呟いた。

 俺の知る本来のヤエは、自ら剣を振るうよりも後方で采配を振るう「指揮官」としての知性が勝るタイプだったはずだ。

 だが、今のこいつは違う。

 ニライという規格外の「野生の器」を得たことで、彼女の剣技が肉体の枷(かせ)から解き放たれた状態で発揮されている。


「こいつが……『憑依(オーバーライド)』……!」


 次々と男たちが沈んでいく。

 イソラが何よりも嫌った「汚れ(血と泥)」が、彼の愛した白き聖域を埋め尽くしていく。

 それは、あの潔癖症の支配者に対する、これ以上ない強烈な「汚染」であり、復讐だった。

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