第9話 天窓の粉砕と、白き来訪者

 ドゴォォォォン!!


 盛大な破砕音と共に、俺の体は重力に引かれて倉庫の床へと叩きつけられた。

 天窓の木枠と和紙が紙吹雪のように舞い散り、もうもうと土煙が上がる。


「……げほっ! げほっ!」


 俺は咳き込みながら、痛む腰をさすって身を起こした。

 竹竿のクッションがなければ、今頃足の骨が砕けていただろう。

 懐のヤエ人形が無事か確認しようと視線を落とし――俺は動きを止めた。


「……あ?」


 俺が座り込んでいる場所。

 そこは、この薄汚い倉庫にはあまりにも不釣り合いな場所だった。


 白だ。

 雪のように白く、滑らかな光沢を放つ『絹の絨毯』が、倉庫の中央を一直線に貫いている。

 そして、その純白の聖域には今――俺のドブ泥にまみれた革靴によって、どす黒く醜い「足跡」が刻まれていた。


 (……やべぇ。これ、洗濯しても落ちないやつだ)


 俺が場違いな焦りを感じた、その時だった。


 『ザッ、ザッ、ザッ、ザッ!!』


 無数の足音と共に、薄暗かった倉庫内が一気に、目が眩むほどの明るさに包まれた。

 南側の入り口から、数十人もの従者たちが雪崩れ込んできたのだ。

 彼らは手に手に赤々と燃える『松明(たいまつ)』を掲げ、倉庫の闇を暴力的なまでの光量で塗り潰していく。


 カビ臭い空気の中に、松脂の焦げる匂いが充満する。

 過剰な光は、倉庫の隅に溜まった埃や、俺たちの衣服についた泥汚れを、嫌というほど鮮明に浮き彫りにした。


 その光の洪水の中。


「……臭うな」


 静寂を切り裂くように、鈴を転がすような、しかし絶対零度の響きを持つ声が降ってきた。

 俺はハッとして顔を上げた。


 光に照らされた絹の道の先。

 一段高くなった祭壇のような場所に、それはあった。

 黒塗りの豪奢な輿(こし)だ。

 四人の屈強な従者がその棒を肩に担ぎ、地面から浮かせている。

 その御簾(みす)がゆっくりと上げられ、中から一人の男が姿を現した。


 真っ白な狩衣(かりぎぬ)に身を包んだ、細身の男。

 だが、その顔は見えない。

 顔面を覆っているのは、無数のフジツボが密集したような、見るもおぞましい質感の『異形の仮面』だった。


「……なんだ、あいつは」


 俺の本能が警鐘を鳴らす。

 あの仮面から漂ってくるのは、先ほどまで追っていた『白檀(ビャクダン)』の香り。

 だが、それだけじゃない。

 俺の左腕の刺青が、まるで火傷したようにジリジリと熱を発している。

 目の前にいるのは人間じゃない。「災厄」そのものだ。


「お、お待ちしておりました……! イソラ様!」


 物陰から、あのニライをさらった商人が転がり出てきた。

 彼は額を床に擦り付けんばかりに平伏している。


「こ、これは手違いでして! すぐにこのドブネズミを排除いたしますので! どうか、どうか取引の続きを……!」

「黙れ」


 仮面の男――『イソラ』が、扇子で口元を覆う仕草をした。


「……不愉快だ。私の庭に野良犬を入れるな」


 彼は俺を見た。

 いや、正確には俺を見ていない。

 彼が見ているのは、過剰な光に照らされてより一層醜く見える、俺の靴が汚した「絹のシミ」だ。

 俺という人間に興味はない。ただ、自分の視界に映り込んだ「汚れ」だけを嫌悪している。


「穢(けが)らわしい。……帰るぞ」

「はっ!」


 イソラが短く命じると、従者たちが即座に輿の向きを変えた。

 一歩も地面に足を下ろすことなく、彼は来た道を引き返そうとする。

 数十人の松明持ちもそれに続き、光の波が引いていく。


「お、お待ちくださいイソラ様! 『商品(こいつ)』は!? この最高級のゴホウラは如何なさいますか!?」


 商人が慌てて、部屋の隅に転がされていた麻袋を引きずり出した。

 袋の口から、猿ぐつわを噛まされたニライの顔と、あの白い貝輪が覗く。


「んーッ! んーッ!」


 ニライが俺を見て目を見開く。無事だ。

 だが、イソラは振り返りもしない。


「興味が失せた。……その貝輪も、薄汚い猿が身につけていた時点で価値はない」


 冷淡な宣告。

 彼は肩越しに、ゴミを見るような視線を俺たちに投げた。


「全て燃やせ。この倉庫ごとだ。……私の残り香に、腐臭が混じるのは我慢ならん」


 それだけ言い残し、白き来訪者は従者たちと共に闇の奥へと消えていった。

 後に残されたのは、圧倒的な「拒絶」の余韻だけ。


「……な、なんてこった……」


 取り残された商人が、ガクリと膝をついた。

 彼の手はわなわなと震え、赤黒い発疹が怒りで脈打っているように見える。


「俺の……俺の黄金が……! 小国(クニ)が買えるほどの商談が……!」


 商人はゆっくりと顔を上げ、充血した目で俺を睨みつけた。


「てめぇ……! よくも俺の夢をブチ壊しやがったなァァッ!」


 商人の絶叫に呼応するように、倉庫の陰から十数人のゴロツキたちが湧き出てきた。

 全員、手に抜き身の剣や斧を持っている。

 先ほどの路地裏とは数が違う。完全に「殺し」に来ている目だ。

 その中の一人が持っていた松明を、商人が引ったくるように奪い取る。

 従者たちが持ち込んだ「過剰な光」の残滓が、今は明確な殺意の炎となって揺らめいていた。


「おい! 殺せッ! 証拠を残すな!」


 商人が松明(たいまつ)を掲げ、狂ったように叫んだ。


「そのガキも、人形も、侵入者も……この倉庫ごと焼き払えぇッ!!」


 「焼き払え」。

 その言葉が、俺の懐にいた小さな人形にとって、どれほどの猛毒(トリガー)になるかなど、誰も知る由もなかった。

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