第11話 燃える倉庫と、東への逃走

「ひ、ひぃぃぃッ! く、来るなァ!」


 最後に残ったのは、あの商人だった。

 彼は松明を振り回しながら、涙目で後ずさる。


「俺は顔役の直属だぞ! イソラ様が黙っちゃいねぇ! 俺を殺せば、お前ら全員……」

「黙れ」


 ヤエが、商人の目の前に音もなく着地した。

 緋色の瞳が、商人の魂を射抜く。


「貴様が誰の威を借ろうと興味はない。……だが」


 ヤエが一歩踏み出す。

 商人が腰を抜かし、這いずりながら逃げようとする。


「貴様は、私の友を『モノ』として扱った。その罪だけは、万死をもって償わせる」


 ヤエが剣を振り上げた。

 その切っ先に、容赦のない殺意が宿る。

 商人の首を刎ねようとした――その時。


 ガクン。


 唐突に、ヤエの動きが止まった。

 まるで、糸が切れた操り人形のように。


「……む?」


 緋色に輝いていた瞳から、スゥッと光が失われていく。

 直毛に伸びていた髪が、シュルシュルと縮み、元のウェーブヘアへと戻り始めた。


「し、しまった……。この器、魂(き)の喰らい方が……激しすぎ……」


 ヤエが焦ったような声を漏らした瞬間。

 彼女の体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。


「おいッ!」


 俺は慌てて駆け寄り、倒れる寸前の彼女を受け止めた。

 腕の中の少女は、完全に意識を失っている。髪も瞳も、いつものニライに戻っていた。

 手には、奪い取った錆びた剣が握られたままだ。


「……マジかよ。ここで時間切れか」


 霊力枯渇。

 人間離れした身体能力を発揮した代償だ。ニライの体力も、ヤエの魂の力も、限界を超えて使い果たしてしまったらしい。


「へ、へへっ……! 止まりやがった!」


 九死に一生を得た商人が、狂喜の笑みを浮かべて立ち上がった。

 手にはまだ、松明が握られている。


「神風だ! やっぱり俺はツイてる! 死ねぇぇ、悪魔共ぉッ!」


 商人は叫びと共に、燃え盛る松明を、積み上げられた木箱の山へと放り投げた。

 中に入っていたのは大量の油だ。


 ドォォォォン!!


 爆音と共に、倉庫が一瞬で炎に包まれた。

 乾燥した木材と絹の絨毯が、最高の燃料となって火勢を広げる。


「燃えろ燃えろぉ! 俺の夢ごと灰になっちまえ!」


 商人は高笑いしながら、炎の壁の向こう側――裏口へと逃げていく。

 俺は舌打ちをした。追っている余裕はない。


「くそっ、熱気が……!」


 火の回りが早すぎる。

 俺は気絶したニライを背負い上げ、床に落ちていたヤエ人形を拾って懐にねじ込んだ。


「……なんて重い『国宝』だ、まったく!」


 背中には、ずっしりと重い少女の重み。

 前には、燃え盛る炎の壁。

 そして外からは、騒ぎを聞きつけた衛兵たちの鐘の音が聞こえてくる。


 退路はない。

 残された道は一つだけ。


「……上等だ。地獄の夜散歩(ナイトウォーク)と洒落込もうじゃねぇか」


 俺は炎を睨み据え、唯一、風が流れている方向――山側の壁に空いた亀裂へと走り出した。


***


「……はぁ、はぁ、はぁ……ッ!」


 肺が焼けるようだ。

 背中には気絶したニライの重み。懐には木彫りの人形。

 そして背後には、夜空を焦がす紅蓮の炎。


 俺は獣道すらない生駒(イコマ)の急斜面を、這うようにして登っていた。


「……くそッ、なんて重さだ……! これなら米俵を担いだ方がマシだぜ……!」


 俺は泥と煤(すす)にまみれた顔で悪態をついた。

 ニライは小柄だが、その身には「野生の筋肉」が詰まっている。脱力した人間の重さは、鉛の塊のように俺の腰と足に食い込んだ。


 下界からは、半鐘(はんしょう)の音と怒号が微かに風に乗って聞こえてくる。

 街は大騒ぎだ。倉庫の火災は、密集するスラム街に燃え広がるかもしれない。

 当然、犯人である「南の島の娘と男」を探すために、街道には検問が敷かれるだろう。


「……正規ルートは全滅。裏道も封鎖。……残るは、この道なき道だけか」


 俺は岩肌に指をかけ、爪が剥がれそうな痛みこらえて体を引き上げた。

 地図はない。

 この暗闇の中で、方角などわかるはずもない。


 だが、俺には「コンパス」があった。


「……チッ。こっちかよ」


 俺は左腕をさすった。

 包帯の下の刺青が、まるで火種を押し付けられたように熱い。

 痛い方へ。

 熱い方へ。

 俺の体に刻まれた呪いが、不快な警告音と共に「毒の発生源」を指し示している。


 俺はその不快感だけを頼りに、ひたすらに足を動かした。


 ***


 どれくらい登っただろうか。

 背後の喧騒も、火災の熱気も、いつしか遠ざかっていた。

 

 世界から音が消えた。

 聞こえるのは、俺の荒い息遣いと、早鐘を打つ心臓の音。そして、背中で眠るニライの規則正しい寝息だけ。

 木々の隙間を抜ける風が、汗ばんだ肌を冷やしていく。


「……はぁ、はぁ。……ここなら、文句はないだろ」


 俺は最後の岩場に足をかけ、峠の頂上へとよじ登った。

 視界が開ける。

 そこには、俺の言葉を失わせる光景が広がっていた。


「……こいつは」


 眼下に広がっていたのは、闇を切り裂く一本の光の道だった。


 『ヤマト(大和)』。

 山々に囲まれた巨大な盆地は、深い闇に沈んでいる。

 だが、俺たちが目指していた関所のあたりから、定規で引いたように真っ直ぐな「松明(たいまつ)の列」が、盆地の奥へと伸びていた。

 

 揺らぎも、淀みもない。

 徹底して整備されたその人工的な光のラインは、スラムの無秩序な灯火とは対極にある「規律」を象徴していた。


 その光の道が指し示す先。

 闇の最奥に鎮座するであろう場所――『纏向(マキムク)』。


 ジリジリジリ……!


 刺青が、かつてないほどの熱を持って脈打つ。

 痛い。熱い。

 あの光の道の向こう側から、とてつもない「毒」が漂ってくる。

 イソラなど比較にならないほどの、強大で、古く、そして底知れない何か。


「……ハク」


 懐から、ヤエ人形が顔を出した。

 彼女もまた、眼下の光の道を見つめている。


「あれが、ヤマトか」

「ああ。……あんたの仇敵であり、この国の中心だ」


 ヤエは黙って光を見つめていたが、やがて小さく鼻を鳴らした。


「……整いすぎている。まるで、巨大な墓標のようだな」

「違いない」


 俺は苦笑し、背中のニライを背負い直した。

 この光の道の先へ、飛び込んでいくのか。

 お尋ね者の俺と、歩く国宝と、西の女王の幽霊を連れて。


(……親父。あんたが大陸で俺を育て、『決して海を渡るな』『大陸で自由に生きろ』と言い聞かせた理由……今ならわかる気がするよ)


 この島には、触れてはいけない闇がある。

 親父は俺をそこから遠ざけるために、大陸へ留め置こうとしたんだ。

 だが、俺はその言いつけを破り、禁忌の島へと足を踏み入れてしまった。


 もう戻れない。

 退路は燃やした。前へ進むしかないのだ。


「行くぞ、ヤエ、ニライ。……これからが本番だ」


 俺は盆地へと続く下り坂を見据え、一歩を踏み出した。


「歓迎は期待できそうにないがな」


 俺たちの姿が、闇の向こうへと飲み込まれていく。

 左腕の熱は、もはや痛みを超えて、体の一部になりつつあった。



**(第2章 境編 完)**

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木彫りの女王と、流浪の運び屋 駆出伍長 @BootCorporal

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