第8話 奪われた宝と、空翔ける棒術
「……くそっ! ニライの奴、どこに行きやがった!」
俺は血相を変えて、腐臭漂う路地裏を走っていた。
市場で聞き込みをしていた俺の耳に、「南の島の小娘が、派手な着物の怪しい商人に連れて行かれた」という噂が飛び込んできたのは、つい先刻のことだ。
嫌な予感が的中した。
俺は忠告したはずだ。「その腕輪(こっかよさん)を見せるな」と。
「おい! 誰かここを通らなかったか! 女の子と、派手な着物の男だ!」
誰も答えない。
スラムの連中は、他人の不幸とトラブルには関わらないのが鉄則だ。俺の焦燥をあざ笑うように、ただ冷たい視線だけが返ってくる。
その時だった。
泥濘(ぬかる)んだ地面の水たまりに、見覚えのある「木片」が転がっているのが目に入った。
そしてその横には――泥にまみれた白い布が、無惨に捨てられていた。
「……あ」
俺は急停止し、震える手でそれを拾い上げた。
ニライが「ハクとお揃いだ」とあんなに喜んでいた、あの包帯だ。
そして木片は、泥まみれになった小さな木彫りの人形。
間違いない。ヤエだ。
「おい、ヤエ! 無事か!?」
俺が泥を拭うと、人形がガバリと顔を上げた(ような気がした)。
「……遅い」
地を這うような低い声。
だが次の瞬間、その声は烈火のごとき怒声へと変わった。
「遅いぞ、荷物持ち! 貴様が油を売っている間に、ニライが連れ去られたではないか!」
「やっぱ連れて行かれたか! どっちだ!? 相手は!?」
「東だ! 薄笑いを浮かべた男と、ゴロツキ共……。ニライを袋詰めにして、あっちへ運びおったわ!」
ヤエの小さな手が、入り組んだスラムの路地を越えた先の富裕街――関所(ゲート)のある方角を指差す。
海とは反対側。ヤマトへと続く山側だ。
だが、そこへ至る道は迷路のように入り組んだスラム街だ。闇雲に追っても間に合わない。
「くそっ、手掛かりはねぇのか! どこの手の者だとか、特徴とか……」
「……臭いだ」
「は?」
「奴らから、妙な臭いがした。この辺りの腐った魚や泥の臭いではない……もっと高貴で、鼻につく甘い香りだ」
俺は耳を疑った。
人形に嗅覚?
「あんた、人形だろ? 鼻なんか利くのかよ」
「たわけ! 旅の楽しみといえば食事だろうが! 貴様らが美味そうな物を食っている時、私だけ味がわからぬのは癪(しゃく)だからな。……昨夜、霊術で『嗅覚』を付与したのだ!」
……なんて食い意地の張った、無駄な改良だ。
だが、その食い意地が、今まさに命綱になろうとしている。
「で、何の臭いだ?」
「わからぬ。だが、私の記憶にある……そう、大陸からの使者が好むような……」
「大陸の香木……まさか、白檀(ビャクダン)か?」
俺の中で線が繋がった。
白檀は、この国には自生しない。全て大陸からの輸入品であり、倭国でも王族や一部の特権階級しか手に入れられない最高級の香木だ。
こんな泥と汚物にまみれたスラムの住人が、身につけているはずがない。
「……大陸の使者が好む香りだ。まったく、気取った匂いよ」
ヤエが忌々しげに吐き捨てる。
彼女にとってその香りは、未開の地の女王を威圧しにくる「面倒な外交官」や「スカした高官」の記憶とセットなのだろう。
「へぇ、女王様はイイご身分だな。俺にとっちゃ、『運んだだけで一生遊んで暮らせる値打ちモノ』の匂いだ」
俺は苦々しく笑った。
昔、大陸の帯方郡(たいほうぐん)で商人の護衛をした時に、嫌というほど嗅がされた匂いだ。『絶対に落とすな、中身はお前の命より高い』と脅された箱から、この甘ったるい匂いが漏れていた。おかげで一週間、服から匂いが取れなくて往生したもんだ。
「……どうりで、このスラムに似合わねぇわけだ! 決まりだ、犯人は『上』の連中だ」
俺は顔を上げ、東の空を見上げた。
スラムの向こう側。一段高い丘の上に、立派な板葺きの倉庫群が見える。
持ち主は決まっている。この界隈を牛耳る「顔役」だ。
「あそこか……!」
だが、道は人で溢れかえっている。
この人混みをかき分けて走れば、到着する頃にはニライは塩漬けにされて箱詰めだろう。
最短距離で行くには――道(ルート)を変えるしかない。
「……おい、女王様。しっかり捕まって、舌を噛むなよ」
「たわけ! 人形に舌など……は?」
俺は近くの民家の軒先に干してあった『竹竿(物干し竿)』をひったくった。
まだ湿った褌(ふんどし)が掛かっていたが、構ってはいられない。
「ちょっと借りるぞ!」
「ああっ!? 俺の勝負褌が!」
俺は褌竿を手首でクルリと回転させて重心を確認してから、何回か竹のしなり具合を確かめる。
(……悪くない長さとしなりだ。耐久性に不安があるが、『この得物の目的は打撃じゃない』……行ける!!)
住人の怒号を無視し、俺はその竹竿を地面に突き立てた。
ヤエ人形を懐にねじ込み、助走をつける。
「おい、何をする気だ貴様!?」
「空を飛ぶんだよ!」
俺は全体重をかけて竹竿をしならせ、その反発力を利用して跳躍した。
ミシミシッ……!
手の中で、竹の繊維が悲鳴を上げる音が聞こえた。
限界ギリギリのしなりが、熱となって指先に伝わってくる。
(折れるか……!? いや、耐えろ!)
バヂィン! と竹が弾ける音が響く。
俺の体は重力を無視して宙に浮き、一瞬で民家の屋根と同じ高さまで到達した。
「うわあああ!? 高い! 高いぞ馬鹿者!」
「景色がいいだろ! ……行くぞ!」
眼下には、腐った草屋根や、水路に浮かぶ不安定な筏(いかだ)が広がっている。
まともに走れば足を踏み抜いて転落だ。
だから、足場にはしない。
俺は空中で竹竿を振り回し、屋根の梁(はり)や、水路から突き出した杭の先端――強度が保証された「点」だけを狙って竿を突き立てた。
「そらよっ!」
竹のしなりが、俺の体を前方へと弾き飛ばす。
着地と同時に再び竿を突き、次のポイントへ。
走るのではない。棒高跳びの連続だ。
ビュンッ! ビュンッ!
風を切る音と共に、眼下の汚い路地と、驚いて見上げる群衆が、高速で後ろへ流れていく。
「揺れる! 酔う! 雑に扱うな! 私は王だぞ!」
「文句はその白檀野郎に言え! ……見えてきた!」
スラムエリアを抜けた瞬間、世界が変わった。
鼻を突くドブや腐敗の臭いが、ナイフで断ち切られたように消えたのだ。
代わりに肺を満たしたのは、澄んだ空気と――あの「甘い香り」。
ここからは「顔役」の敷地。屋根はしっかりとした板葺きだ。
「ここなら走れる!」
俺は着地と同時に、竹竿を平衡棒(バランサー)にして、屋根の上を全力疾走した。
ここ数日過ごした揺れる船の上に比べれば、固定された大地(屋根)の上なんて、俺にとっては舗装された大通りも同然だ。
「走りやすくて涙が出るぜ!」
俺は風になった。
正面に、一際大きな倉庫が見える。
あそこから、濃厚な「甘い香り」が漂ってくる。
いや、ヤエの言う通りだ。俺の鼻じゃわからないが、俺の刺青(アンテナ)が告げている。
あの中に、ニライがいる。
「ヤエ! 捕まってろ! 突っ込むぞ!」
「どこへだ!? 入り口は下だぞ!」
「玄関からお邪魔するほど、俺は礼儀正しくないんでね!」
俺は屋根の勾配を駆け下り、倉庫の明かり取り――天窓に向けて、竹竿を構えた。
そのまま槍のように突き出し、全体重を乗せてダイブする。
「おらあああああっ!!」
ガシャァァァン!!
薄い木の格子と和紙だけの天窓が、俺の突撃によって粉々に砕け散った。
木片と共に、俺とヤエは倉庫の中へと落下していく。
眼下には、場違いなほど美しい『純白の絨毯』が広がっていた。
悪いな、洗濯はしてないんだ。
俺は泥だらけの靴のまま、その白き聖域へと着地した。
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