第4話 貝の宴と、呪いの予感
海賊たちは蜘蛛の子を散らすように海へ逃げ去ったが、村にはまだ、怯えきった村人たちが残されている。
略奪こそ未遂に終わったが、働き手の男たちを失い、彼らは途方に暮れていた。
「おい、ハク。筆を持て」
「……筆なんて上等なものはありませんよ。あるのは、あんたがくれたこの鉄(ナイフ)と木っ端だけです」
「それで構わぬ。我が命を刻め」
ヤエの指示に従い、俺は海賊船の残骸から手頃な板切れを拾い上げた。
腰の鉄ナイフを抜く。
俺は刃を板に突き立てると、大陸仕込みの「保存モード」で文字を刻み始めた。
カリ、カリ、と硬質な音が響く。
鉄の切れ味は鋭く、白木に深く美しい文字が浮かび上がっていく。
仕上げに、腰の小袋から焚き火の消し炭を取り出す。それを彫り込んだ溝に擦り込み、表面をナイフで軽く一削りして余分な黒を落とした。
白木に、くっきりとした黒い文字が浮かび上がる。
「『この村は西の女王ヤエの庇護下にあり。侵す者には鉄の裁きが下る』……っと。これでいいですか?」
「うむ。誤字はないな?」
「失敬な。俺の文字は、そこらの役人より正確ですよ」
俺が彫り上がった木簡を差し出すと、ヤエは満足げに頷いた。
そして、コト、と自らの首元に手をやった。
小さな手刀で、自らを飾る「紫の飾り紐」の余り部分を断ち切る。
「これを結べ。……文字が読めぬ愚か者でも、この『色』の意味くらいはわかるだろう」
紫。
染料の希少さ故に、高貴な身分しか纏うことを許されない禁色。
俺は言われた通り、木簡にその紐を結びつけ、村長に手渡した。
「こいつを持って、近くのツクシの詰め所へ行け。……正規軍が動くはずだ」
「あ、ありがたや……! 女王様、ありがたや……!」
「礼には及ばぬ。……民を飢えさせるな。仕事を与えよ」
「は、はいぃぃ!」
平伏する村長を見下ろしながら、ヤエは小さく鼻を鳴らした。
その横顔には、ただの傲慢さだけではない、為政者としての責任感が滲んでいた。
「……ま、ただの人形だけどな」
「聞こえているぞ、荷物持ち」
俺は聞こえないフリをして、足早に砂浜の方へ戻った。
「おーい! 獲ったさねー!」
海の方から、底抜けに明るい声が響いた。
見れば、ずぶ濡れのニライが、抱えきれないほどの貝を山のように積んで戻ってきたところだった。
「ニライ……お前、その量は……」
「すごいの見つけたさね! 浅瀬で群れてたから一網打尽さね!」
彼女がドサリと砂浜に広げたのは、大人の拳ほどもある巨大な巻貝の山。
どう見ても、俺たち三人(実質二人)で食い切れる量じゃない。
「……まったく。お前の胃袋は底なし沼か」
俺は呆れて注意しようとしたが、ふと視線を感じて口をつぐんだ。
物陰から、村の子供たちが、その貝をじっと見つめている。
大人たちも同様だ。海賊に食料を奪われ、彼らは今日食べるものにも困っていたのだ。
俺は一つため息をつき、火を起こすよう村人たちに告げた。
だが、その手元を見て、俺は思わず眉をひそめた。
「待った、ニライ。……その貝、まだ泥混じりの砂から上げたばかりだろ。砂抜きもしないで焼いたって、ジャリジャリして食えたもんじゃないぞ」
俺が常識を説くと、ニライは「はぁ?」と大げさに首を傾げた。
それどころか、周りで見ていた村の子供たちまでが、クスクスと笑い始めたではないか。
「ハクは頭がいいのに、肝心なところが抜けてるさね」
「え?」
「あのねー、お兄ちゃん知らないのー?」
子供の一人が、ニヤニヤしながら俺の袖を引いた。
ニライは拾ってきたばかりのアカニシを一つ手に取り、その「口」を俺に見せつけた。
「見てハク。この口、泥を吸う形じゃないさね。……さっき、こいつらが他の貝を襲って食べてるのを見たさね。こいつらは肉食(シシグい)さね! だからお腹の中に砂なんて入ってないんだ!」
俺が目を丸くすると、ニライがドヤ顔で胸を張った。
「焼けばそのまま極上の肉ってわけさね!」
……なるほど。
書物の知識だけじゃわからない、現場での観察眼か。
知識で武装していたつもりが、子供にまで一本取られるとはな。
「……参りましたよ、先生方」
俺が大げさに兜を脱ぐと、子供たちはワッと歓声を上げた。
こうして始まった「振る舞い」の宴は、静かな村に久しぶりの熱気をもたらした。
調理法は単純にして豪快だ。
裏返した殻の中に海水を垂らし、そのまま焚き火に放り込むだけ。
やがて、グツグツと沸騰する音と共に、焦げた磯の香りと、濃厚な湯気が立ち上る。
「熱ッ! ……うまい!」
熱々の身を頬張ると、凝縮された貝の甘みと、煮詰まった海水の塩気が口いっぱいに広がった。
空腹の子供たちも、涙目になりながら夢中でかぶりついている。
ふと見ると、俺の腰のヤエ人形が、じーっと俺の手元を見つめていた。
その視線は、明らかに俺が噛み締めている貝に向けられている。
「……なんですか。人形じゃ食べられないでしょう」
「たわけ。誰が食べたいなどと言った」
ヤエはふんと顔を背けたが、すぐにまた視線を戻してきた。
「……報告の義務だ」
「はい?」
「私はこの国の王として、民が何を食い、どんな味に舌鼓を打っているのかを知る義務がある。……さあ、その味を詳細に述べよ。食感は? 甘みは? 早う言え」
「へいへい。……お望みとあらば」
俺は苦笑しながら、食レポという名の「焦らし」を開始した。
パチパチと爆ぜる火の粉。子供たちの笑い声。そして、文句を言いながらも満足げな小さな女王。
冷え切っていた村に、確かな生きた心地が戻っていた。
◇◇◇
宴もたけなわとなり、腹がいっぱいになったニライが、俺の隣で幸せそうに焚き火にあたっていた。
揺らめく炎の光が、彼女の右腕にある真っ白な輪を照らし出している。
「そういえば、その腕輪。……素朴な感じだけど綺麗なもんだな。ただの貝殻か?」
俺が何気なく尋ねると、ニライは愛おしそうにその表面を撫でた。
宝石のような煌びやかさはない。だが、素朴な乳白色の肌は、磨き抜かれた陶器のような温かみを持っていた。
「これはね、婆ちゃんが作ってくれたさね。……私の島はね、たまに『空が怒る日』があるさね。風がゴーゴー鳴って、家が吹き飛びそうになる怖い日さね」
「台風か」
「うん。そういう日は、村のみんなで大きな岩の洞窟(ガマ)に隠れるの。……小さかった私は、外の音が怖くて泣いてた」
ニライは遠くを見るような目をした。揺れる炎の中に、故郷の嵐を見ているのかもしれない。
「そしたら婆ちゃんが、隣でこの貝を削ってくれたさね。ただの石で、ゴリ、ゴリ……って。その音がずっと響いてて……不思議と怖くなくなったさね」
「……へぇ」
「何回も何回も、嵐が来るたびに少しずつ削って……私がこのくらいの大きさになった頃に、やっと腕に通せるようになったの。……だからこれ、婆ちゃんの匂いがする気がするさね」
いい話だ。
俺が少し感動して、「いいお守りだな」と言おうとした、その時だった。
「中身は刺し身にして食べたさね! 婆ちゃんの獲る貝は最高に美味しいさね!」
「……ぶち壊しかよ」
俺はガクッとなった。
まあ、食い物の恨みか、祈りか……婆ちゃんの愛がこもった良い品なのは間違いない。
「……たわけ!!」
突然、腰のヤエ人形がガタガタと震え出した。
感動的な話(オチあり)に水を差す怒号だ。
「な、なんですか急に。情緒がないですね」
「貴様ら……その腕にあるのが何かわかっているのか!? それは『ゴホウラ』だぞ!」
「ゴホウラ?」
「南の海の深淵にしか住まぬ幻の巻貝……。本来ならば、王族や最高位の巫女しか身につけることを許されぬ、至高の宝具だ!」
ヤエの声には、明らかな戦慄が混じっていた。
「しかも、鉄も使わず、ただの石でそこまでの真円を削り出しただと……!? どれだけの『時』を費やしたのだ……。人の手による執念、いや、狂気すら感じるわ……」
「……へぇ。そんなに高いもんなんですか」
「価値の話ではない! 『重み』の話だ!」
ヤエは鋭い視線をニライ――の腕に向けた。
「よいか。……警告しておくぞ。『力』あるものは、それに見合う『欲』を引き寄せる」
「欲?」
「そうだ。この先、人が多い場所へ行くなら、その腕を不用意に見せるな。……災いを招くぞ」
ヤエの言葉は、まるで古代の呪言のように重く響いた。
……やれやれ。
霊的なアイテムだか何だか知らないが、呪いだの祟りだのを心配するとは、古代人は迷信深くて困る。
「はいはい。お守りとして大事に隠しておきますよ」
俺は適当に相槌を打った。
この時の俺は、ヤエの言う「欲」の意味を、物理的な「人間の強欲(金銭トラブル)」のことだとは露ほども疑っていなかったのだ。
(……やれやれ。思ったよりも、騒がしい旅になりそうだ)
翌朝。
俺たちは村人たちに見送られ、再び海へと漕ぎ出した。
目指すは東。
ヤマトの玄関口、様々な文化が交わる混沌の闇市、『境(サカイ)』へ。
俺は櫓を握り直すと、東の空を見上げた。
左腕の刺青が、またチリチリと疼く。
この先に待つのは、故郷の温かい布団か、それとも――。
(……親父。あんたが俺を大陸へ留めておきたかった理由も、案外、この辺にあるのかもな)
俺は一つため息をつくと、静かに櫓を漕ぎ出した。
(瀬戸内(セトウチ)編 完)
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