肆:勇気、一歩分
人通りの多い大通りから続く小道に入ると、その先には、一件の店が佇んでいる。
飲食店から僅かに料理の匂いが広がる頃、窓からほんのりと明かりが漏れているその店──『小間物屋ゆうつづ』の前に、制服を纏った十代半ば頃に見える少女が立っていた。
少女は、扉の取っ手に手をかけたものの、顔を俯かせたまま暫く動きを止める。その後で、周囲へ素早く視線を巡らせてから、意を決したように扉を開いた。
何の引っかかりもなく、ゆっくりと開かれた扉は、まだどこか迷っているように見える少女よりも先に、優しく風を迎え入れる。
「いらっしゃい」
柔らかく声をかけたのは、深い赤色の着物を纏い、白い薄手のショールを肩にかけた女だった。穏やかに見える微笑みを浮かべる店主に、少女の肩から自然と力が抜けたように感じる。
整然と並んだ棚には、綺麗に商品が並べられていた。アクセサリーからインテリア雑貨まで、幅広く置いてあるのが窺える。だが、彼女の視線はそれらを一瞬だけ見たあと、すぐに店主へと向けられた。
言いにくそうに、口の中でどうにか言葉を探しているような彼女を、店主は急かさない。ただじっと、言葉を選び終わるまで待っている。
「あ、……あの。このお店に、勇気が出るお守りがあるって聞いたんです。えっと、恋愛の、お守り。それと、その、自分に合うお守りを教えて貰えるから、って……」
「相談事ね。それじゃあ、奥へどうぞ。悩み事に沿って、品物という形でわたしが出せる選択肢を提示しましょう。気を楽にして、話して頂戴」
そう言って、店主はレジ横にある引き戸を、カラカラという軽快な音と共に開いた。背後から追って来る足音を連れて、店の隣にある部屋へと入る。
部屋の中央には、絨毯が敷いてあった。その上に白い丸テーブルが置かれており、対面の位置には一脚ずつ椅子が置かれている。
店主は、奥に座った。「どうぞ、かけて」と向かい合う椅子を彼女に進めてから、丸テーブルの上に置かれていたホットミルクティーへ口をつけた。
促されるまま椅子に座った彼女は、湯気の立つミルクティーの甘く芳醇な香りのお陰か、入店時に比べて表情が柔らかい。
暫くは、無言の時間が続いた。店主から話を振ることはなく、ただゆっくりとミルクティーを味わっているだけだった。
そんな様子に、彼女は困惑した様子だったが、恐る恐るミルクティーへ口をつける。すぐに、その顔に笑みが浮かんだ。
「おいしい……」
「そう。ミルクティーに適した茶葉なの、ミルクと砂糖が入っても、紅茶の味はぼやけていないでしょ?」
「はい、こんなに美味しいミルクティーは初めてです。……あの。相談事なんですけど、いいですか?」
「勿論、どうぞ」
「ありがとうございます。……、わ、私。好きな人が、いるんです。中学校が同じで……あんまり話したことは、ないんですけど。物静かで、本を、よく読んでいて。頭も良いし、私なんかが声かけて良いのかなって思った時とか、偶然だと思うんですけど、彼の方から声をかけてくれたり、してて」
しどろもどろに、頬を赤く染めながら、それでもゆっくりと感情をなぞるように言葉にする。その姿を、店主は時折相槌を打ちながら、ミルクティーを片手に静かに見ていた。
肩が強ばり、真っ直ぐ膝に伸びた腕の先では、スカートを強く握っている。彼女にとって、この相談事を口にするのが簡単なことではないのだと、語っているように感じた。
同じ中学校出身で、高校も二年間同じクラスの男の子が好きなのだと、彼女は店主に言った。優しい人は他にもいる、もっと頭の良い人もいる。話が面白い人も、気が合う人も。
でも、会話の回数は多くなくても、また話したい、思わず目で追ってしまうのは、その男の子だけ。想いが大きくなるほど、心は臆病になった。
店に来たのは、きっかけが欲しいからだと、彼女は言った。必ず叶う恋のお守りが欲しいんじゃない、と遠回しに、付け加えて。
「勿論、恋が叶って欲しいです。恋のおまじないとか、やってみようかなって思ったことも、あります。でも、なんか、違うなって。それは、誠実じゃないから……」
「誠実じゃないって、誰に対して?」
「えっと、多分、私に対してです。おまじないをして、告白して、それでお付き合い出来ても、私が私を嫌いになっちゃいそうなんです。あっ、ちがっ、おまじないが悪いんじゃなくてっ、ただ、ただ私が……!」
「ええ。
「あ……、はい。多分、そうです。友達には、変なのって言われますけど」
「呪いも、選択の一つよ。頼る、頼らないは、自分で決めること」
ティーカップをソーサーへ置き、店主が立ち上がる。それに続こうと腰を浮かせた彼女を手で制して、引き戸の向こうへと姿を消した。
暫くのあと、純白の布が敷かれた木のトレーを持って、元の席へと戻る。丸テーブルの中央に置かれた木のトレーには、便箋が二枚と封筒が一枚入ったレターセットが、値札と共に乗っていた。
薄い桃色のシンプルな便箋と、白地で右下に金色の桜が枝と共に描かれている封筒。封入枚数に対して、値段は少しだけ高く感じる。
彼女は、それをじっと見つめた。時計のない部屋の中では、二人分の息遣いだけがそっと広がっていく。
次に口を開いたのは、店主だった。思考の邪魔をしない、静かな声が、彼女の本へと届けられる。
「貴方にわたしが提示できる選択肢は、二つ。このレタァセットを使うか、使わないか」
「……このレターセットを使ったら、何か、変わりますか?」
「それは、貴方の選択次第。わたしができるのは、これを出すことだけよ」
「そう、ですか……」
レターセットを見つめながら、少し考えるような素振りをした。店主は、目を伏せながらミルクティーにそっと口をつける。
何度か口を開きかけて、また閉じるを何度か繰り返してから、彼女はそっと木のトレーを自分の方へと僅かに引き寄せる。それは、明確な購入の意志に感じた。
「これ、欲しいです」
「そう。それじゃあ、二つ、伝えておくわね。一つ目は、このレタァセットには、貴方の想いだけを書くこと。相手の子とどうなりたいだとか、そうね、付き合ってください、なんて言葉を書いてはダメよ。二つ目は、想いを書いたら、それを直接渡す意思を見せること。受け取りを拒否されても良いわ、でも、ちゃんと自分で差し出すの」
「自分で、差し出す……」
「想いは言葉にした方が伝わるし、真摯さは向かい合ってる時の方が伝わるわ。勿論、絶対にではないけれど」
店主の言葉に、彼女はふふ、と小さく笑った。それから、はっきりと頷く。その表情に、迷いは見つけられなかった。
ふっと微かな緊張感が霧散した部屋の中には、二人分の柔らかな笑い声がそっと広がる。
昨今の女子高校生事情、親に対する愚痴などを、彼女が喋り、店主が相槌と共に聞く形で話していれば、あっという間に窓の外は暗くなる。
夕暮れから夜へと変わったことを店主が囁くと、少女は慌てて会計を済ませて、出入口前で深々と頭を下げてから店を出て行った。
「良き人生を」
とっぷりと日が暮れた頃、店主は二階にある居住区で、ソファへ寝転びながらレモンピールを齧っている。ローテブルの上には、珍しく炭酸水が置かれていた。
行儀の悪いその体勢も、店主が行えば美しい置物のようにも見える。
白い指で摘んだレモンピールを上機嫌に眺める姿は、どこか満足そうだった。
『小間物屋ゆうつづ』 白瀬 いお @mothi
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