第四話 老魔道師
「
明らかな嫌味。頭を下げている
さらにもう一度、燕該曜が錫杖を地に強く突き立て、ガシャンと金属の輪がうるさく打ち鳴った。「色情めいた女」と称された四阿の二人の美女はさすがに青ざめて立って敬礼に移ろうとするが、
袖から取り出した閉じられた扇子の頭を、もう一方の手掌へポンポンと叩きながら、薫鳳は一歩二歩と四阿の階段を降りていく。
「これはこれは、
薫鳳が燕該曜の前に立とうとすると、燕該曜の後方にいた大柄の魔道士が進み出て、杖の先を薫鳳の肩へ押し当てて歩みを止めさせた。
「調子に乗るな、薫鳳どの。老師様はどこぞの異分子の異臭が気に掛かって、その非常識を見に足を向けられただけだ」
「そうかい。相変わらずでけぇな。
「あの下級の女官どもに段上から老師様を見下ろさせるとは、どういう了見なんだ、おぬし」
曹牙陵と呼ばれた男は長身の薫鳳よりもさらに大きい。齢は四十前後。きっちり撫でつけられた黒髪。姿勢正しく動作に乱れがない。燕該曜の副官を務める忠誠厚き魔道師で、がっしりとした体格は武官かと思うほどの只ならぬ威圧感がある。
だが薫鳳は全く動じない。
「女が上から男を見ちゃいけないってのは、どの法律の第何条に記載されていたっけか」
「当然の礼儀であろう。我が国の身分制度をなんだと心得ておる」
「だからその礼儀とやらが、どこの規則のどのあたりに明文化されてるのかって聞いてんだよ。伝わらねえ堅物だな」
「何だと」
「何だよ。堅物魔道師に堅物と言ったらいけないという決まりも法律に明文化されてるって言うのか。第何条の第何項なんだ」
予想外の方向からの反論で、曹牙陵は口が止まる。
「この野郎。我らは魔術府の人間だぞ、無礼すぎだろ!」
横に立つ若い茶髪の魔術師が、侮辱に腹を立てて薫鳳に飛びかかろうとしたが、曹牙陵は長い手で若者の前進を制止する。
薫鳳はさらに畳み掛ける。
「特級
匠官とは宮廷に出入りする職人のことである。市井の職人と言えども宮廷に立ち入るには官位が要る。大工や画家などあらゆる職位が対象で、魔術師たちも然り。一般的には親方的な一級匠官とその弟子たちの二級匠官とがあるが、その技術の高さが認められ皇宮内の駐在を特別に認められた者が特級匠官である。
職人技術に深い敬意を払うこの国では、特級匠官には大きな権限が付与され、皇族に対して以外は特には礼儀を問われない。燕該曜の家格がいかに高くても、特級匠官同士の燕該曜と訓薫鳳はここでは同列である。曹牙陵が無礼な新参の薫鳳を「薫鳳どの」と敬称付けで呼ぶのも、曹牙陵は制度上では特級匠官より下の一級匠官の魔道師だからである。
「老師様の燕家は六卿。侮辱罪に問うてもよいのだぞ」
「だったら追放するよう、皇太后様に告げ口でもすりゃあいいだろ。オレは別に構わない。だがな、オレを帝国から追い出せば、この国の来期の輸出総額の四割は消し飛ぶぜ」
薫鳳は鼻で嗤い、曹牙陵は反論を止める。
もともと民間での香水の販売で大儲けしていた訓薫鳳は、特に皇太后に気に入られて特級匠官の地位を与えられた。香水が生む利益を国家が抱え込みたい、そして皇太后が薫鳳を近くに置いておきたい、そんな思惑での決定である。薫鳳は皇太后の絶大な寵愛に護られている。
薫鳳の反論は止まらない。
「それに牙陵どの。先ほど、異分子の異臭が気に掛かったといったな。この今のオレや彼女たちに漂う芳香を異臭と呼ぶとは、よっぽど文化的感性が低いと見える。そりゃそうだよな。あんたら古参の魔道師の一派は長年、皮膚の毛穴から疫病の菌が侵入するから入浴は忌むべき行為と言って、皇族にまで浴場に入らない習慣を植え付けてきたもんな。牙陵どのも律儀に入浴を禁じた生活してんだろ」
「当然のことであろう。健康を害することを奨励はできん」
「異臭はそれなんだよ。香料で誤魔化しているつもりだろうが、オレはさっきすぐに気づいたぜ。背後の遠くから、風呂に入らない老人とその取り巻き臭い玉集団が近づいてきてるってな」
「なんたる暴言……」
「ああ、それに先ほど該曜どのは、下賤の男ども、とも言ってたな。才媛の女性が男にしか見えないとは、よほど見る目も嗅ぐ鼻も退化してんな」
薫鳳のふざけた皮肉に、燕該曜は「どの女性のことを言ってるのだ」とばかりにギョロギョロとあたりを見回している。
頭を下げながら一連の様子を目の当たりにしていた玻璃は、どことなく痛快な気持ちになっている。訓薫鳳という男には嫌悪感しかないが、そのぶっ飛んでいる彼の考えをもっと知ってみたいという興味が膨張してきた。
(つづく)
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