006 『投げたブローチは彼女には届かない』
「お前、パン買いすぎだろ」
石畳の道沿い、店先の軒下で腕を組んで待っていると、革袋をぱんぱんに膨らませた一人の女が店から顔を出した。
袋の口からは焼きたての匂いが溢れ、歩くたびに中でパン同士がぶつかり合っているのがわかる。
白金に輝く髪は後ろで一つに束ねられ、風に揺れるたびきらりと光を反射する。
濃い青の瞳は相変わらず無駄に力強い。
数か月前まで、そこにあったはずの「姫様」の面影はもうない。
今や彼女は、ただの――いや、かなり度の過ぎた大食らいへと見事に変貌していた。
「ここのパンは美味しいからね。ほら。アデルの好きなシュトーレンも買ったし」
「シュトーレンは保存食にいいだけで好きじゃねーよ」
「えー。他の保存食食べる時より美味しそうに食べてるのに?」
「あ? 俺は干し肉のが好きだね」
「ふふーん。それもちゃんと買いましたよ」
「それもパンじゃねーかよ」
得意げに差し出された“干し肉”は、どう見てもベーコンエピだった。
無駄に艶のある焼き色と、主張の激しい硬さを誇るやつだ。
一つ千切って渡され、仕方なく口に運ぶ。
噛めばいつも通り、パンは固く、ベーコンも固い。
ダンジョンの外まで出て、わざわざこんな歯を酷使する食い物を食べる理由は本来ない。
だが、袋を抱えて嬉しそうにしている彼女の顔を見てしまえば、文句を言う気も失せる。
俺は小さく舌打ちして、黙って噛み続けた。
「ほら、美味しいでしょ?」
「舌打ち聞いて、何をどうとらえたら、美味しいって感想になるんだよ」
「にししっ」
姫様――いや、もうそう呼ぶのもどうかと思うが――彼女は悪戯っぽく笑い、パンを一口かじりながら視線を通りの先へ向けた。
「どうした?」
「え? あー、みてみて! あれ!」
「あ?」
視線の先には、店先に飾られた分厚い鎧。
装飾過多で無駄に角ばっており、如何にも“強そう”を詰め込んだ代物だ。
「あの鎧なんか凄く厳つくてかっこいい!!!」
「あれ動きにくいだろ」
「動きにくくてもかっこいいからいいんです!!」
「それで死んでたら意味ないだろ」
「えー」
相変わらず、見た目重視の価値観は健在らしい。
「それよりお前は、こっちのがいいんじゃねーの?」
「ブローチ? まあ、針先なら武器になるかもしれないけれど、あんまり実用性ないと思う」
「そういうんじゃなくて」
……言葉にする前に、妙に気恥ずかしくなって視線を逸らす。
「あー、その。こういう奴のほうがお前に……、あ?」
隣にいたはずの女はどこにもいなく、辺りを見渡すと串肉の売っている出店の店主と話している。
「おじさん! これ一つ!!! あ、一つじゃない二つ!」
「嬢ちゃん一人で食うんかい?」
「うん!」
「食いっぷりいい……っ」
俺が後頭部めがけて投げたはずのブローチは、空中で姫様に避けられ、
そのまま――素手で掴まれた。
肉屋の店主は目を丸くし、ブローチと姫様、そして俺を順番に見比べている。
「ちょっと! アデル! 人に物は投げるのだめなんだから!」
ぷんぷんと怒るその姿は、まるで年相応の少女のようで。
数か月前まで王城にいた人間とは、とても思えない。
後ろからの攻撃も、言いかけた意図さえも容易く躱され、俺は小さく舌打ちした。
――登場人物――
パンを沢山買った側:ソフィア
ブローチを投げた側:アデル
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