007 『絵を描かない二人の画家』

 薪のはぜる音が、静かな部屋に小さくはじける。

 私は湯気の立つ紅茶に口をつけ、網掛けのマフラーを膝に置く。

 その隣では、ミカがあみぐるみの糸を絡ませながら、頬を膨らませていた。


「何をやっているんだね、ミカ」

「え? あ、なんかなぁ、糸が絡まって」

「全く」


 私は溜息を吐き、ミカからあみぐるみを取り、糸を解く。

 「ありがとう」と、どこか抑揚の歪んだ感謝を口にする、左目は翡翠の色、右目は琥珀と青灰色のダイクロックアイをもって生まれた、欠けた人間。

 ミカは、あみぐるみを受け取りながらへらりと笑う。


「……君は、もう、絵は描かないのかね?」

「えぇ? んぅー……。俺が絵ぇ描いてたんは、マスタァに近づきたくてだし」

「君の絵は、誰もを魅了する絵だというのに?」

「俺の絵は、不気味だから目を引くんよ」


 これ以上その話はしたくないとでも言うように、あみぐるみの続きを縫い始める。 


「おっきくて、真っ白な紙に黒ともう一色で死骸描けば皆見るし……」


 話をしているのに、ミカは一度もこちらをを見ることなく、ティーカップに目を落とす。


「マスタァこそ、なんで、絵描かないん? ルゥ君に侮辱されたって言ってたけれど、勘違いやったんやろ」


 ルゥ君――神サルティファスの生まれ変わりである人間の名を出され、口を閉ざす。

 芸術にも精通しているはずの存在。生まれ変わりなら、自分の絵を理解し、称えてくれると信じていた。

 だが、帰ってきた言葉は賞賛でも酷評でもなく「なんかすげぇけど、全然わからねえ」という一言だった。

 他人にとってはなんでもない感想でも、千年以上も待ち望んだ言葉がそれであったことに失望した。


 だが、再び言葉を交わした時、彼は「全然わからねぇけど、この絵は好きだ」と言った。

 以前と大して変わらぬ言葉なのに、なぜかその一言に涙が零れた。

 それを隠すように「芸術が分からない愚か者」と罵ったが、彼はただ笑い「それなら教えてよ」とあっけらかんという。

 その瞬間、胸の奥にずっとあった何かが落ちていった。

 千年以上ものあいだ、神を崇め続けた自分が、途方もなく馬鹿らしく思えた。


「そういえば、なんでそんなルゥ君にあんな固執? してたん? 神様の生まれ変わりって言ってたけれど、ただのクソガキやん」

「口が悪いよ、ミカ」

「だってぇ……」


 ミカは頬を膨らませ、紅茶を一口すすった。


「ルゥ君のことは好きだけど。マスタァ傷つけたことは俺、許してないもん」


 その言葉に思わず息を漏らすと、ミカはふいに膝の上のあみぐるみを編み始める。

 動きがやけに早くて、怒っているのか照れているのか分からないが、その不器用な真っ直ぐさに小さく笑う。


「既に“アレ”とは何もないよ。ただ私が絵を描きたくないだけだよ」

「なんでぇ?」


 ミカの問いに答えず私は立ち上がり、暖炉の空気弁を閉じる。

 火の勢いが和らぎ、部屋に静けさが戻る。

 振り向くと、ミカがあみぐるみを抱いたまま、どこか眠たげに瞬きをしていた。

 その目の下に、薄く隈が滲んでいて、指先でそれをなぞる。

 

「マスタァ?」


 なぞられた側の瞳を閉じ、琥珀色の瞳だけがこちらを見上げる。 


「今日は寝ようか、ミカ」


 指先が離れると、翡翠の瞳はゆっくりと私を映した。


「えぇ。まだ話し終わってないよ?」

「夜はもう遅いからね。それに君。最近あみぐるみにハマっているかは知らないけれど。身体を壊してまで作るもんじゃないよ」

「それは分かってるよぉ。だから、ちゃんとご飯食べてるし……」


 口を尖らせ、あみぐるみからは手を離さない。

 暖炉の火が落ち、部屋にわずかな冷気が満ちていき。蝋燭の灯だけが、ふたりの影を静かに揺らした。


「ほら、寝るよ」

「むぅ……」


 ミカに手を差し出すと、彼は渋々その手を取る。

 画家特有のタコは残ってはいるが、かつてより薄く、それは自分自身も同じだった。

 この数年、ほとんど画材には触れていない。今手にするのは、布と針だけ。


 それでも――自分が筆を置いたからといって、ミカまで同じようになってほしいとは思わない。


 あの日、不気味な笑みを浮かべながら、心から楽しそうに絵を描くミカを、もう一度見たいと願うのは――


 傲慢なのだろうか。



――登場人物――

筆を置いた画家:アメディオ

それを追いかける青年:ミカ

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