第16話 観測者の座標
白瀬結月の死まで、残り十分。
肺が焼けるような熱さを堪え、湊は夜の街を走り続けた。
残り七分。記憶の深層、あの「小さな座標」だけを頼りにして。
残り三分。辿り着いたのは、高級住宅街から少し離れた、開発から取り残された古い児童公園だった。錆びた滑り台と、月明かりに照らされた石造りの小さなステージ。
そこに、彼女はいた。
「……どうしてここが分かったの? お父さんもお母さんも、もう忘れてしまった場所なのに」
結月はステージの上に座り、静かに湊を見つめた。
「言っただろ。僕は 観測者 だ。君が心の中に大切に隠し持っていた景色を、見逃すはずがない」
湊は、残された最後の力を振り絞って彼女に歩み寄る。視界の端では、赤い数字が非情に刻まれている。
【異常:呪い(残り1分後に死亡)】
「空森君、もういいの。私はお父さんたちの期待を裏切って、家を捨てた。……私にはもう、どこにも行く場所がない」
結月のステータスが、再び 空っぽ に戻ろうとしている。拠り所を失った魂が、自ら消滅を選ぼうとしている。
「……場所なら、ある」
湊は結月の冷たい手を、両手で包み込んだ。
「僕の視界だ。君が今日何を食べたか、何に笑ったか、何に傷ついたか。親も、学校も、世界中の誰もが見ていなくても――僕が一生、君を観測し続ける。だから、勝手に消えるな!」
カウントダウンが「00:05」を切る。
「……空森君……」
湊は彼女を強く抱きしめた。
その瞬間、結月のステータスから強烈な光が溢れ出した。湊の 空っぽ な心の奥底に、彼女の熱い鼓動と生きたいという叫びが流れ込んでくる。
時計の針が重なり――。
パリン、とガラスが割れるような音が脳内に響いた。
氷のように冷たかった彼女の指先に、一気に熱が宿る。世界を縛り付けていた不吉なノイズが消え、感じるのは、ただ彼女の規則正しい鼓動だけだ。
【異常:呪い(消滅)】
【状態:生存確定(白瀬結月として)】
湊の腕の中で、結月の体が確かな温もりを持って震えていた。夜空には、彼女の新しい物語の始まりを祝うように静かな星々が瞬いていた。
深夜の叡川市の町は、とても静かだ。明かりが付いている家、寝静まった家、遠くにはタワーマンションのまばらに灯った部屋の明かりが見える。観測者は、目に映るすべてを観測する。今夜の叡川市の町並みは、いつもより優しい色に見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
あれから、数日が過ぎた。
白瀬家との問題は、九条怜の 法的更地化 によって一応の決着を見た。そして、結月は九条の支援を受けながら、一人暮らしの準備を始めている。
「空森君、今日の私の心、何色に見える?」
放課後の屋上で、結月がいたずらっぽく微笑む。湊は、少しだけ目を細めた。
「……透き通った白、かな。これからどんな色にでも染まれる、綺麗な色だよ」
湊の視界には、相変わらず他人の感情がステータスとして流れ込み続けている。
九条からは「次の獲物を見つけた」と強引な招集がかかり、佐伯先生からは「ストロング系酎ハイを買わないようにするにはどうしたら?」と泣きつかれ、日野からは「空腹(120%)」という眩しすぎるオーラで焼肉に誘われる。
そんな賑やかな喧騒の中、湊は一人、自分の家に帰り着いた。
玄関を開ければ、茶々丸が全力で尻尾を振って出迎えてくれる。
「ただいま、茶々丸」
湊はソファに深く沈み込み、鏡に映る自分を 観測 しようとした。
だが、そこには何も映らない。
結月の白、九条の漆黒、日野のこんがり色……他人の鮮やかな感情ばかりがこびりついて、自分自身の色だけが、どうしても見当たらない。
(……ああ。やっぱり、僕は空っぽなんだな)
けれど、以前のような寂しさはなかった。
この空っぽな空間があるからこそ、誰かの痛みも、喜びも、そのまま受け止めることができる。
湊は茶々丸の温もりを感じながら、瞳を閉じた。
湊は足元で丸まる茶々丸に視線を落とす。そこには変わらない【状態:幸せ(最大)】の文字。それを見て、湊の口角がわずかに上がった。
「……さて。明日は誰の心で、僕の空っぽを埋めようか」
湊の瞳の奥で、静かに、だが鮮明に。
世界を観測し続けるための 」が、再び灯った。
(完)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ヒロイン達の最後の設定紹介をもって、物語の幕を閉じさせていただきます。
いつかまた、このヒロイン達の物語を執筆できればなーと思っております。
ではでは。
設定紹介
白瀬 結月・・・一人暮らしの準備、夢に向かう為、アルバイトもしようと検討中。合唱部で歌う姿は、自然な笑顔にあふれ、部活の見学者が急増中。やっぱり、学校のアイドルである。時折、湊と九条が訪ねてくるが、二人の距離感が近く、裏の世界を二人だけで共有している「二人だけの世界」を見せつけられ、いつもモヤモヤしている。
日野 陽葵・・・いつも「お腹ペコペコだよ!」のスポーティ少女。私立叡華高等学校へはスポーツ特待生枠で入学。陸上部エースとして中距離走を得意としていたが、湊のアドバイスにしたがい長距離走も始めて好成績を残している。「長距離はお腹が減るんだよね」と湊に食べ物をねだる。度々見つめてくる湊(湊は自分のステータスの浄化をしているだけ)を意識してステータスが変化した。
【異常:空腹 90%(また焼き肉いきたい) 気になる 10%(湊は私のことをいつも見ている何でかな?)】
家庭環境は、母(シングルマザー)、小学生の弟が二人)。陽葵同様に底抜けに明るい家族だが、自由に完食できるほどの金銭的余裕はない。いつもおごってくれる湊のことが10%だけ気になり出した。
佐伯 志保・・・【状態:慈愛(大)】含めて、いろいろ大きい担任教師。いろいろ漏らしてしまう残念な特性もある。依存性が高い性格なのに依存する相手がおらず、相変わらすアルコールと悩みを聞いてくれた湊(情報漏洩しただけ……)に依存しそうになっている。
「ストロング系酎ハイを買わないようにするにはどうしたら」と夜な夜な相談の電話を湊にかけるが(教師失格……)、湊があまり電話に出てくれないことで、依存したい感情が消化できず溜まっていく。大丈夫、湊は一番身近で、大きな大人の女性である佐伯先生が大好き!湊は大人の魅力にドギマギしちゃう、冷たくしちゃうシャイボーイなのだ。
九条 怜・・・あいかわらず、悪人を法廷で、あるいは社会的に抹殺することに忙しい。正義の為の悪徳「法による断罪者」。あまり外見は気にしていなかったが、ステータス:魅力が結月にわずかに負けていると聞き、魅力アップの為、エステに行ってみた。気持ちよくてハマリそう。茶々丸の写真を見てから、実際に撫で回したい衝動に駆られていが、一人暮らしの男子高校生の家に行くのは抵抗があり、今は我慢している。しかし、写真を見る度に【知力:95 → 3】大幅な知力低下に見舞われ、アホな状態のまま言ってしまうかも知れないと葛藤しているダークヒーロー。
ステータス観測者(オブザーバー)、余命168時間の少女を救うまで~他人の心が見える少年と冷徹な弁護士が、歪んだ善意に殺される少女を救う異能サスペンス~ 千夜もぐり @nyaron
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