第15話 自分を、生きる。

 白瀬家の重厚な門扉の前に、黒いGT-Rが(できるだけ)静かに止まった。

 白瀬結月の死まで、残り五十五分。


「私はここまでよ」


 九条はエンジンを切らず、助手席の湊に一通の厚い封筒を差し出した。


「中身は 親権停止の申立予告書 と、ブライト社の違法契約に関する陳述書。それから、私が一時的に結月さんを保護する法的根拠を記した書面よ。……理屈が通じない時のための 盾 として使いなさい」


 九条はバックミラー越しに、後部座席の結月を見つめた。


「いい、結月さん。ここからは法律でも、私の仕事でもない。あなたの人生を、あなた自身で勝ち取る戦いよ」


「……はい。ありがとうございます、九条さん」


 結月が車を降りる。湊もその隣に並んだ。GT-Rの重低音が遠ざかり、高級住宅街特有の、耳が痛くなるような静寂が二人を包み込んだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 インターホンを鳴らすと、すぐに扉が開いた。

 そこには、完璧な身だしなみを整えた結月の両親が、鬼のような形相で立っていた。


「結月! 一体どこをほっつき歩いていたの! ……それに、その男は誰!」


 父親の一馬が怒号を飛ばす。湊は、即座に観測を開始した。


【名前:白瀬 一馬】

【状態:憤怒、保身(世間体への焦り:90%)】

【思考:警察沙汰になれば銀行での地位が危うい。早く家に入れろ】


【名前:白瀬 香織】

【状態:執着、不安(自分の教育の失敗への恐怖:85%)】

【思考:私の育て方が間違っていたなんて認めない。あの子は私の誇りじゃなきゃいけない】


 湊は結月の耳元で、静かに囁いた。


「……白瀬さん、大丈夫。二人が怒っているのは君のせいじゃない。自分たちのプライドが傷つくのが怖いだけだ。君を愛しているんじゃなくて、君という作品を愛しているだけなんだ」


 結月の肩の震えが止まった。彼女は深く息を吸い、両親を真っ直ぐに見据えた。


「……お父さん、お母さん。話があるの!」


「話なんて後よ! 早く中に入りなさい。あの事務所のことはお父さんが解決してあげたわ。だから、明日からはまた――」


「解決なんてしてない!」


 結月の叫びが、夜の空気に響いた。


「お父さんたちは、私の苦しみなんて見てなかった。お金で解決して、私の叫びを『なかったこと』にしたかっただけでしょう? ……私は、もうお父さんたちの人形には戻りません」

「何を言っているの! あなたのために、どれだけ私たちが――」


 母親の香織が詰め寄る。湊は無言で、九条から預かった封筒を父親に突きつけた。


「これは、九条弁護士からの正式な書類です。これ以上、白瀬さんの意志を無視して拘束し続けるなら、法的に親権停止の手続きに入ります。……あなたたちが愛だと言い張るその 善意 が、彼女を殺しかけている証拠も全部揃っています」


 一馬が書類をひったくり、顔色を変える。


「なっ……なんだ、これは! 弁護士だと? こんな不当な……!」

「不当なのはどっちだ!」


 湊の声に、一馬がたじろぐ。


「彼女は、死のうとしていたんだ。あなたたちの理想という檻の中で、窒息しそうになりながら、自分の命を消すことでしか自由になれないと思い詰めていたんだ!」


 沈黙が流れる。だが、湊が見た両親のステータスは、変わらなかった。

 反省ではなく、さらに強固な【自己正当化】の色が強まっていく。


「……違うわ。結月は、私たちが守らなきゃいけないの。あの子は一人じゃ何もできないのよ」


【名前:白瀬 香織】

【支配感情:自分(母)がいないと価値がない存在であってほしい】


 結月の両親を観測し続ける湊は、善意と悪意が混濁し、自分勝手な善意、悪意を自己正当化で善意の色に見せかける、濁りきった感情にめまいを覚えた。


 その言葉を聞いた瞬間、結月の瞳から、最後に残っていた期待の光が消えた。


「……やっぱり、分かってくれないんですね。私の心なんて、最初から一秒も見ていなかったんだ」


 結月は、湊の手をぎゅっと握りしめた。


「……さようなら。私は、私を生きるために、この家を出ます」


【異常:呪い(残り10分後に死亡)】


「白瀬さん!待って、呪いはまだ解けていない!」


 結月は、湊の手を振り払い、脱兎のごとく夜の闇へと駆け出した。

 一馬と香織の叫びが遠ざかる。湊は必死にその後を追ったが、高級住宅街の複雑な路地の先で、彼女の姿を見失ってしまった。


「白瀬さん! ……っ、クソ、どっちだ!」

 冬の夜気が肺を刺す。湊は立ち止まり、全神経を 観測 に集中させた。

 しかし、対象を視界に納めない限り、能力は発動しない。


「こんな時に……僕の能力は、役に立たないのか……何の為の観測者だ!」


 残り時間は、あと何分だ。もう、時間がない!

 彼女はどこへ行った? 家から逃げるなら、大通りへ向かうはずだ。だけど、もしここで間違えたら、間に合わない!


(考えろ、考えるんだ!僕は、観測者だ。僕は、世界を魂を観測する観測者だ!)


 湊は、結月の観測を始めた。視界に結月はいない、能力は発動しない……

 湊は、自分記憶の中の結月を観測する。去年の学園祭で歌う歌姫みたいな結月、クラスメイトからいじめられても諦めた表情が変わらない結月、保健室の前で僕を心配して待っていてくれた心配性の結月、両親に自分の考えを伝えた少し自分を取り戻した結月、ブライトのマンションで虚ろに微笑む空っぽな結月、田中(仮)に殴られ倒れた僕を膝枕してくれた結月……


 湊は自分の中の結月を観測する。深く深く……


 記憶の中に覚えがない映像が浮かぶ。それは、僕の瞳に焼き付いた、彼女の残像(エコー)だ。


 小さな児童公園で家族とコンサートを行う、幸せそうな結月……

 たくさんの記憶の中の結月。だけど、本当に心から笑った、幸せそうな結月はこのシーンしかいない。

 これは、結月からあふれ出した、心から望んだ純粋な願い。

 心に蓋をして、必死に押さえ込んでいた思いが、湊の田中(仮)から自分を守るため必死に倒れても倒れても戦う姿を見て、願ってしまった。「助けてと」。

 声に出せず、心の中で小さくつぶやいた願いは……


 この願いは、観測者に届いていた。


 声にならない悲鳴。心に蓋をして押し込めていた彼女の『本当の居場所』が、観測者の瞳に鮮やかな座標として浮かび上がる。




 ――見つけた。そこが、君の止まった時間が動き出す場所だ」



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