第11話 二面作戦(ダブル・フロント)

 白瀬結月の死まで、残り五時間。


「いい、空森君。これが私たちが勝つための『二面作戦ダブル・フロント』よ」


 九条法律事務所。ホワイトボードにはブライト社の組織図と、結月が軟禁されているマンションの図面が並んでいた。九条の知力は95。その瞳には一切の迷いがない。


「作戦其の一。私が他の被害者の代理人としてブライト・プロモーションの本部へ直接乗り込む。すでに湊の観測で見つけた警察内部の協力者には根回しを済ませたわ。私が証拠を突きつけると同時に、家宅捜索を開始させる。奴らの注意を私に釘付けにするわ」


 九条は湊を真っ直ぐに見据えた。


「作戦其の二。あなたが、結月さんの救出に向かう。事務所が私の対応でパニックに陥っている今なら、警備は手薄なはずよ。……でも、忘れないで。法律は箱を壊せるけど、中身の心までは救えない。彼女の呪いを解くのは、これはあなたの……王子様の仕事よ」


 九条は湊をビシッと指さし、キメ顔で言った。ちょっと満足げだ。


「……分かりました。僕にしかできないことを、やってきます」(九条さん……カッコイイ!)



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 午後八時。都心の古いマンションの前に、湊は立っていた。

 九条からの合鍵を握りしめ、湊は階段を駆け上がる。心臓の鼓動が耳元でうるさい。402号室の扉を開けると、そこは不気味なほど静まり返っていた。


「……白瀬さん!」


 結月は窓際の椅子に腰掛け、街の灯りを見つめていた。驚くほど綺麗に片付けられた部屋が、彼女の整理された心を象徴しているようで、湊は背筋が寒くなった。

 湊は、彼女の最新のステータスを観測する。


【名前:白瀬 結月】

【状態:空っぽ(全感情の消失)、無、完全なる諦念】

【異常:呪い(残り4時間後に死亡)】


(嘘だろ……絶望も、怒りも、何もない……残り4時間、日付が変わるまでがリミット!)


 以前のどす黒い霧は消えていた。だが、そこにあるのは光のない透明な虚無。魂がすでに現世との繋がりを断ち切った、真っ白な器。


「……空森君? どうして」


 振り返る結月の声は、感情の起伏がない機械のようだった。


「助けに来たんだ! 全部終わるんだよ、白瀬さん!」

「……そうね。もうすぐ全部、終わるわ。私が消えれば、みんな幸せになれるの」


 絶望さえ感じさせない微笑み。その無の奥底に、湊は米粒ほどの小さな光を見つけた。


【支配感情(0.1%):自分で死を選びたいという、唯一の自由への渇望】


 空っぽになった心の中、わずかに残った最後の自分自身の意思は、


「自分で死を選びたいという、唯一の自由への渇望」

 だけだった。


 この「無」の状態こそが、彼女にとっての救いになってしまっている。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 一方、同時刻。叡川市の雑居ビル。

 パトカーの赤色灯が夜の街を不気味に染める中、九条怜は事務所のドアをヒールで蹴破った。


「夜分に失礼。九条法律事務所の九条よ。……あ、動かないで。外にはすでに本物の警察が待機しているわ。大人しくして」


 驚愕するスカウトたち。九条はこの2日間、湊にとにかく観測を続けさせた。湊が鼻血を垂れ流しながら集めたブライト・プロモーションの関係者、そのステータスから、たどり着いたフロント企業、風俗店、警察署等々……これらに出入りする人物のステータス、100人以上……

 空森の空っぽな頭では、小さな点に過ぎないが、九条自身が集めた3ヶ月の調査結果と徹夜の分析結果により、ブライト・プロモーションに関連する犯罪の全貌は掴んでいた。

 それだけではない。100人以上の小さな犯罪や表に出したくない個人情報もある。これらの情報をもとに九条は、関係者を強請、場合によっては賄賂を渡し、犯罪の証拠と証言を集めきっていた。徹夜のせいで目つきはいつも以上に鋭いが……


「代表の佐藤を出しなさい。それと、佐々木刑事。あなたもそこに座りなさい。不倫旅行の領収書、全部持ってきたわよ」


 九条のステータスには、純白の正義と漆黒の憤怒が美しく渦巻いている。彼女は不敵に笑うが、その時、裏口から一人の男が飛び出した。担当スカウトの田中(仮)だ。白瀬に強い執着をもったスカウト。その手には、履歴書と書類の束。履歴書には、儚げな白瀬結月の写真が貼られている。


「あいつ、マンションに向かった! 空森君、ここからあのマンションまでは車で10分よ! すぐに連れ出しなさい!」


(まだ時間はある。空森君、うまく逃げろよ)


 九条は携帯で湊に伝えた。まだ、逃げる時間はある……大丈夫だ……だが、九条は胸騒ぎを抑えられなかった。




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