お笑いとあいつ

「母さん! 俺さ! 友達がいるんだ。赤井っていうやつでさ」

「知ってるわよ。光くんでしょ? 頭が良くてすごいわよねぇ」

「なんで知っているの?」

「え? ……ああ、この前、小学校のPTAの集まりあったでしょ? そこで教えてもらったのよ」

「そっか!」

「光くんはすごいわよねぇ」

「うん! 赤井はすごいんだ。何でも知っているし、頭もすげーきれるんだ!」

「……そんな下品な言葉を使っちゃダメ。『すげー』ではなく『すごく』でしょ?」

「ご、ごめんなさい」

「まぁいいわ。この事は父さんに言わないでおいてあげる。それで? 光くんの頭が、どのように優れていると思うの?」

「え? あの、なんとなく……」

「なんとなくじゃダメ。きちんと自分の意見を持ちなさい。そんなんじゃ、社会で認められないわ。あなたは、常に自分の意見を持つ立派な教師になってもらわないと困るんだから。我が家は代々教師なのよ? しっかりして」

「ごめんなさい……」

「謝るだけじゃなくて、自分のどこが悪かったのか、ちゃんと説明して。理由や根拠がない謝罪は、謝っているとは言わないわ」

「はい……。あの、えっと」

「しっかり言うまで、夕食は出しません。ちゃんと意見にするのよ。父さんも言っているでしょ? 『自分の意見が無い人間は必要とされない』って。母さん、久英がそんな子どもだなんて嫌よ」


 パピン!

「……ん」

 机でうたた寝をしていたところ、腕に巻いているウィズウォッチからの受信音で目が覚めた。

 小学校の頃の夢を見ていたのを覚えている。母さんに怒られる夢だ。そういえば、ここ最近母さんや父さんは忙しくて、顔もろくに見ていないな、と思い出す。本当は、しっかりと俺の将来について話し合いたいのだが、そんなことができる気配はないようだ。

 今日は自習日なので、登校はしていない。まだ頭の中にもやがかかっている。目をこすりながらウィズウォッチの通知画面をタップし、メールの件名を見る。


[【高校生お笑いグランプリ】 書類選考通過のお知らせ]


 その文字列が目の中に入った瞬間、体の表面に熱が走るのを感じた。一週間前、書類選考のためにエントリー情報とネタ台本を二本書いてメールを送信したが、はっきりいって手ごたえがあったわけではない。Geniusジーニアスに頼ったネタと、独自に書いたネタのどちらが評価されたのだろう。

 すぐにスマートノートをアクティブ状態にさせる。ウィズウォッチとスマートノートはマイアカウントで連動しているので、通知はウィズウォッチから、通知の詳細はスマートノートから見ることができるのだ。

 

――[【高校生お笑いグランプリ】 書類選考通過のお知らせ]――


 改めて、その文字列を見る。なぜか光輝いているように見えるのは、おそらく窓から差し込んでくる夕日のせいだと思う。文字列をタップし、メールの文面を確認する。


――[書類選考が通過しましたことをお知らせします。]――


 スマートノートのディスプレイを指でなぞり、画面をスクロールさせる。

「あー……。ネタの評価は無しかぁ」

 残念ながら、ネタについて評価点を解説している文章はなかった。しかし、言葉とは裏腹にどこか安堵している自分がいる。

「二次選考はネタ披露……。――再来週の日曜日⁉」

 つまり、再来週までに実践で通用するネタを考えなければいけない――?

「やばい、やばいやばい! やばい!」

 手から汗がどっと噴き出す。再来週? マイアカウント内のスケジュールを参照しながら、焦る思考を冷静にしようと巡らした。十二月二十四日には全国統一試験のプレゼン科目がある。先生や両親に言ってある大学の受験には、この全国統一試験は必ずパスしなければならない。――どっちを取るべきか?

 誰かに話したい。相談したい。でも話せる相手は?――小学校から見慣れた顔を思い出す。

 震える手で、クロスコードアプリのアイコンをタップ。眼鏡のアイコンを更にタップ。コール音、一回目。

「あああ……! 赤井、早く出てくれよ!」

 コール音、二回目。――赤井はお笑いに進むことを反対している。既に謝罪済みだが、話していいものか?

 一瞬迷いが出る。だが、あいつは俺の将来を真剣に考えてくれた。今度も、きっと人生へ有益になるアドバイスをしてくれるだろう。

『はい。――やあ、久英。ごめんよ、自己定義を修正していたんだ』

 やっと、いつもの顔が映る。血色の悪い顔で、眼鏡をかけた顔。

 自己定義云々という言葉は、おそらくGeniusジーニアスに模擬人格を与えるための質問プロンプトを考えていた、ということだろう。

「赤井、あの、俺さ。書類選考に通った! あの、お笑いの!」

『ああ、確か一週間前に言っていたやつだね。そうか、よかったねぇ』

 穏やかそうな笑顔がディスプレイに映る。その顔は、馴染み深いものだったが、お笑いの話題が絡む会話では見られない表情だった。

「うん、良かっ、た」

 思わず、拍子抜ける。張りつめた精神がゆるんだ。

『そっか。僕もね、あれからお笑いのことちょっと気になってさ。【高校生お笑いグランプリ】だよね? ずっと続いているコンテストみたいで、このコンテストで優勝した著名なお笑い芸人もたくさんいるんだね。』

 唐突な言葉が、ゆるんでいた精神に雷を落とした。今までこいつにはさんざんお笑いのことを話したが、決して『興味を持った』と言ってくれることはなかったからだ。

「うん、そう、うん」

『で、書類選考に通ったっていうことは、次は二次選考、実戦でネタ披露ということだね』

 なんだ、この態度の豹変は。今までこんなことなかった。俺がMeMe動画で少し徹夜したときに怒るくらい、赤井は四角四面な考えを持っている。悪くいえば良い子ちゃん。

「うん、でも、ほら。だから俺はお前に相談したくて」

『ネタのことだよね?』

「え? ――あの、ほら。面接の日は全国統一試験のプレゼンがあって」

『うん、そうだね。でも、久英はお笑いの道を進むんだろう?』

 穏やかな笑みで、赤井は俺の希望進路を肯定した。

 ――なぜ? どうして?

 あれだけさんざんやかましく、お笑いを否定していたじゃないか。なぜ急変したんだ?

『二次選考のネタ、どんなやつを考えているの?』

 返事を出せないまま、赤井は聞いてきた。

「ああの、そうだな。えーっと、やっぱり、Geniusジーニアスに相談しながら……」

 止まっている頭をなんとか動かして出た言葉には、聞き慣れて、使い慣れた名詞が出てくる。Geniusジーニアス。質問次第で、なんでもアイディアを出力してくれる便利なツール。

 だが、その名詞が口から出た途端、赤井は顔を下に傾けながら、睨みつけるように見つめてきたのだ。

「え? だ、だから。Geniusジーニアスとアイディアを練ってさ。決めようかなーって」

『本気なの? 自分の人生をかけているんじゃないの? だから全国統一試験のプレゼンを放って、【高校生お笑いグランプリ】のほうに行くんでしょ? なのに、元データを調べないで、Geniusジーニアスを利用するだけ? あまりにもコストと見合っていない。もしかして、学業から逃げるためにお笑い志望だなんて言っていたの?』

 冷ややかなな声が、首に掛けたボーンコンダクターから聞こえてくる。まるで心臓をつららで刺されたかのようだ。

「本気、だけどさ。まずはやっぱGeniusジーニアスに聞いて……」

『じゃあ本気でデータ漁ろうよ。確かにGeniusジーニアスは便利な生成AIで、世界中のあらゆるデータを集めて、しかも欲しい表現やデータを欲しい形式でくれる。でも、お笑いのネタまでGeniusジーニアスに頼り切りなのは情けないと思わない? 自分にはアイディアも意見もありません、って言っているようなものだよ?』

 赤井の言葉が、あられのように心に降り注ぐ。自己表現できずに怒られている生徒を思い出した。――『何も言えない。ということは、イコールで存在していないことですよ!』と。

 母さんに怒られている夢を思い出した。

「――」

『なんで何も言わないの? まさか、お笑いの元データを調べていないの? 本気で目指しているんじゃないの?』

 心臓の鼓動が早くなるのを感じた。父さんと母さんに責められたときのことを思い出す。まるで拷問みたいな、自己表現の時間。

『ねぇ久英。今は人生の転換期なんだよ? 本気で人生が変わるのがこの時期だっていうことは、ソースをあげることが不必要なほどわかっているはずだよね? それなのに、何の意見も考えもなく、ただお笑いをしたい、と? ねぇ、君の決定を応援しているからこそ、僕はこうして君を注意しているんだ』

 注意?

「……なんで、なんで、そんなこと言うんだよ。俺は、ただ」

『うん、世の中を笑顔にしたいんだよね。でも、それにしては君は――』

 体のなかで、心臓が爆発した。

「なんでそんな! お、俺は本気だ! 俺は頑張っているんだ! 本気で頑張っている人を責めるなんて! お前、そんなこと!」

 唇が震えるのを感じる。スマートノートをひっつかみ、ベッドに叩きつけた。ぼふん、と情けない音が聞こえる。ディスプレイの向こうの表情は変わらない。俺を睨みつけている。

「頑張っている人を責めちゃいけないんだよ――!!」

 叫びながら、クロスコードアプリの通話停止ボタンを押した。

 心臓がバクバク波打っている。くらくらする。こんな激しい動悸は経験したことがない。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 スマートノートのディスプレイをじっと見下ろす。だんだん、腹が立ってきた。

「――ちくしょう。やってやるよ……!」

 スマートノートをひっつかみ、叩きつけるように机に置いた。乱暴に椅子に座る。

「みてろよ、赤井のやつ!」

 スマートノートのディスプレイにある、MeMe動画のアイコンをタップする。

 ――MeMe動画にアップされている、お笑い動画を片っ端から見るつもりだ。徹底的に元データを漁って分析してやろうじゃないか。分析して、性質・構造・傾向を調べて、そこに俺のお笑いセンスを投入して。

「俺だけのネタ、作ってやる」


***


 十二月二十四日。電車はクリスマスカラーで彩られている。赤井に怒られてから、ひたすらMeMe動画のお笑いネタを視聴し、構造を把握し、傾向を分析した。分析が終わったのは一昨日で、高校生という若さを活かすネタを組み立てが終わったのが、昨日の深夜……、というか今朝の3時頃である。

 眠い目をこすりながら、大阪往きの電車に乗っている。これまでなら、今日は全国統一試験の会場に向かう電車に乗っていただろう。父さんと母さんの希望を初めて裏切ってしまった、という点について、負い目は感じていた。しかし、俺の人生は自分で決めたいという想いが、負い目に打ち勝っている。

「!」

 ふいに、手首に軽い振動を感じた。ウィズウォッチからの通知である。見ると、赤井からのチャットだ。

――[立派な高校生になったね]――

 大学受験ではなくお笑いの道へ進もうとすることを、赤井も褒めてくれているようだ。思わず笑顔になり、チャットを返そうとする。

――[教育庁からテスト終了指示が出た。君への支援はこれで終わりだ。クロスコードのアカウントはご両親に譲渡、君のマイアカウントとの同期も終了する。]――

「は?」

 『支援は終わり』? どういう意味だ? まさか、赤井は俺のことを負担に思っていたのだろうか。頭の中で、MeMe動画の【かけ間違い】というコントのネタが浮かんだ。『お前、相手を間違えているんじゃないか?』というチャットを返そうと思ったが、指が動かない。

 チャットは続く。

――[君への支援は知っての通り、小学生の頃から行っている。君が健やかに育つようにコーチングしてきた。]――

「は?」

 思わず、大きな声が出てしまう。満員の電車なので、周りからの視線を集めた。周囲の視線なんてどうでもいい。大切なのはこのチャットだ。

[赤井、チャット先間違えてないか?]

 明らかに何かと間違えている。おおかた、Geniusジーニアスへの質問プロンプトをミスってこちらに送ってきているのだろう。

――[いや、久英に送っているよ。続きを書くね]――

「えっ」

 またも声を挙げる。間違えて、ない?

――[僕は、君を理想の高校生にするようにアドバイスを重ねてきた。理想の高校生とは、社会の中で自分らしく生きようとする探究者のことだ。さらに、避けるべき高校生の定義を決めた。自主性が無く、周りに流されて生きる高校生になってはいけない。]――

 冬なのに、汗が止まらない。額から、冷ややかな汗がダラダラと流れていくのを感じる。

――[このまま周囲に流されて有名大学進学を選択するのか、それとも自分の夢であるお笑いに挑戦し、社会の中で自分らしく生きる道を選択するのか。僕は考えたんだ。そして、こう結論づけた。『久英君は、自分らしくお笑いの道を生きるべきで、それが理想の高校生だ』とね。今の君は、理想の高校生そのものだ!]――

 ちょっと待って。待ってくれ。震える指で、チャットを返す。

[わけわからん。お前、具合悪いのか?]

 チャットが返ってくる。

――[悪くないよ? それよりも、久英が心配だ。バイタルが乱れているよ。ああ、【高校生お笑いグランプリ】の面接への武者震いかな?]――

 電車のドアが開いた。大阪駅だ。ここで降りなくてはいけない。

「お、降ります」

 汗を含んだコートが重く感じる。人をかき分けながら、ホームに出る。

 ホームの電子掲示板では、ニュースを流していた。音声がここまで届く。

『政府は、教育支援型次世代AI、『ひかり』の実地テストの終了見込みを発表しました。実地テストは当該児童が成人年齢である十八歳を迎えるにあたって終了するものであり……』

「――」

 赤井の説明臭い口調を思い出す。それに、名前。『ひかる』、『ひかり』……。

 俺の今までの選択は? 今まであいつに相談したことは?

「――そんな、そんな」

 たまらなくなって、クロスコードアプリの通話を選択する。眼鏡のアイコンをタップ。声が漏れていようと構うものか。

 コール音、一回目。

「ふざけんな。今までワンコールで出ていただろ」

 コール音、二回目。

 出ない。

「……おい! 今までチャットしていただろこの野郎!」

 コール音、三回目。

 プチ、という音。やっと出た!

「おい赤井! どういうこと……」

『久英! 今どこだ? ちゃんと全国統一試験の会場についているだろうな!?』

「父、さん?」

『これはのアカウントだ。ええと、話は後だ! まずは試験に集中しなさい。帰ってから、きちんと説明するから! まったくなぜ国は保護者をないがしろにして報道したんだ……!』

「父さん、どういうこと?」

『すまない! とにかく今は試験に集中し……』

 ――クロスコードアプリをシャットダウンする。

 周りが、とてもうるさく感じる。

「俺、どうしよう」

 頭の中は白いままだが、俺は改札口へ歩を進めた。

 赤井が言うことに間違いはない。それに、俺の夢を支持してくれたんだ。

「……そうだ。俺の夢だ」

 たとえ赤井がAIでも。俺の夢は俺の人生から生まれたものだ。

 俺だけの人生を歩むきっかけを、赤井AIはくれたんだ。

「……ありがとう、赤井」

 発した小さな言葉は、駅の騒音に消えていく。

 父さんと母さんには後で説明しよう。どうせ赤井のことで話をする機会があるんだ。

 今日披露するネタを思い出す。笑顔を作った。

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お笑いと、きみ 柊ひらき @hiiragi_hiraki

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