小説を書かなくなった頃、相対性理論の似合う彼女と出会った。

第1話

 要するに、個性的な子だと思った。

 そこに好意やらやましい気持ちがあったわけではなく。


 ただ普通に、似合いそうだなって。



 初めて会ったのは大阪は梅田。

 急な季節な変化に温かい上着を買った帰りの電車だった。


 いつも通り阪急の梅田駅まで人混みに流されながら歩いて、宝塚本線に乗る。

 ここに引っ越してもう半年以上経った。最初は戸惑ったが今じゃ造作もない。


 そうやって。


 変に背伸びしちゃった日に限ってだ。

 残りわずか1分も満たない電車の到着に騙された。


 阪急神戸線。「ちょっと」というには数四十分の遠回り。

 はっとした頃には扉は表情もなく閉じ、無慈悲に目的地から軌道をズレていく。


 諦めて扉を後目に開いた席に座る。

 隣に座っていたのがその彼女だった。


 聖子ちゃんカット。黄色いセーターに白のシャツ。隣に座った俺なんて気にもせず小説を読み耽って、あまりにも静か過ぎるさまは風景と同化していた。


 かわいい。ジーっと見るのもままならない。

 視線の置き場に困って、目を瞑ってページをめくる音だけを聞いた。


「あ、いつぞやはどうもありがとうございました」 


 その声は隣から、彼女と目が合っていた。

 そのとき、俺は数日前の移動図書館を思い出した。


 *


 大学の夏休みは長い。実家に帰って尚更ひどく感じた。

 永遠とも感じる夏。私は帰省先で移動図書館のバイトに励んでいた。


「っうわ」


 車が乗りあげる急な段差に変な声が出てしまう。


「っは~油断してたかにゃ?」 


 独特の語尾が窓の先を見る私の耳を霞める。

 キャップから一つ括りにした髪が良く跳ねる、女の先輩だ。

 

 私たちが今向かっているのは直島なおしまという瀬戸内海にある小さな島だ。

 移動図書館でフェリーに乗り込み、島民の方に本を貸し出す。そんなバイト。

 

「海を見てました」


「はは~まだ面白か」


「思います。あそこで本を読めるなんて羨ましいって」


 宇野港から20分弱で着く小さな島。

 浜辺まで歩いてすぐの空き地に止まる。


 ここは波の音が、屈託のない日差しが、静かな空間がとても読書の相性といい。

 無限の夏休みに無限の時間があるように思えて、つい眠たくなってしまうもの。


「じゃ、棚出しちゃってー」

 

 車の壁部分をハッチのように持ち上げ、頭上で固定させる。

 ガチガチに積まれた本棚が露出し、私は詰まれたパイプ椅子を出して本を読む。


 そこでだった。

 車椅子を引く彼の姿があった。


 ただ、その車椅子に人は乗っていなくて、でもそこには、まるで私には見えない人が乗っているかのように優しく扱っていた。


「……観光で来たんです。来たかったらしくて」


 異様な光景に凝視していたからか、話かけられてしまった。

 それと同時に、私は今バイト中だということを思い出す。


「よければ見て行ってください。観光なら本の貸し借りは難しそうですが」


「いや、すません。友達が待ってるんで」


 車椅子に乗るはずの誰かなのだろうか。人と車椅子が別々なことに違和感はあったが、そもそもの前提が分からない以上何も思わなかった。


「本、好きですか?」


「まぁ」

 

 なにを言い出したか。そんな穿った顔をしているのだろうか?

 そんなことを考えていると私の胸に一冊の本が手向けられていた。


 「友達が書いた作品なんですけど、どうやら世界に一つしかないらしくて」


 胸まで伸ばされた一冊の本。

 手中に収まるそれを握りしめ、題名を……読めない。


翻車魚まんぼうですって。暇なときにでも読んでみてください」


 立場が逆転していた。

 彼は清々したような、来た時よりも軽快な足取りでどこかに行ってしまう。


 私は半ば押し付けられたこの本に向かって「へぇ~」なんて。

 正直、彼の姿にかっこいいと思ってしまっていた。


 *


 その作品は、お世辞にも面白いとは思わなかった。

 オチも微妙だしストーリーの構成もバラバラ。殴りつけたような文章だった。


 主人公の上をマンボウが漂う。日常が非日常に変わる瞬間だ。彼はそれを見た瞬間、すでに何かを諦めているよう――彼の放つ文章は言い訳で染められていた。


 そんな言葉に耳も貸さずマンボウは彼を見続ける。

 真っ赤に充血した目だ。


 日を重ね主人公は衰弱した。視界は夢を見ているかのように半透明で、耳元から鈍い重機のような重い音が永遠と聞こえる。ノイズが耳を通過して食欲も失せていた。


 現実と幻覚の区別が付かなくなって。

 脳の中で反響する重い音に頭をなんども殴っていた。


 主人公は、最初から分かっていた。

 だから逃げて、言い訳を重ねて、

 それでもマンボウはずっとそこにいた。


 マンボウは彼を見続ける。その目は「まだ許してない」と訴えていた。

 マンボウは殺してしまった女の子だと言うのだから。


 

 そう。そういう終わり方だ。


 *


「正直、私の好みではなかったです」


 彼と二度も会話が出来ると思わなかった。


 不思議な雰囲気になぜか居心地を感じてしまって……。

 最寄りの塚口駅で呼び止めてしまった。


 彼は「まぁ、そうだよね」と歯切れの悪い相槌を打つ。

「中途半端な人間には刺さるって誰かも言ってたけど」


 色んな人に勧めているのか、長々と渡され続けたのか。

 いい加減な返事は、半円を描いたキャッチボールのようだった。



 空白を虫の音が埋めてくれる。 

 ……せっかく呼び止めたのに、何も話が出来なかった。

 

「そういえば、名前は?」

 

 空白を破ったのは彼からだった。


「あ、えっと小淵沢こぶちざわです」


「えーと小淵沢さん、それ貰っちゃっていいから。じゃ」

 

 どうしてそんな急いでいるのか、階段を駆ける姿だけが先行する。

 私のことが厄介そうだ。



 翌日。テレビを付けた途端に全ての理由が分かった気がした。

 足のない死体が海岸沖で見つかったという。


 場所は……直島の浜辺。


 

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マンボウはストレスで死ぬ @aljhmseoijasefoij

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