【第20話】さよならの時間。

薄いカーテン越しに、朝の光が滲んでいた。



私たちは、殆ど一睡もしなかった。



まだ隣に残る体温が、

数時間前の出来事を鮮明に思い出させる。




——あぁ、朝が来てしまった。




そう思っただけで、

胸の奥がきゅっと音を立てて痛んだ。



京介の寮の点呼まで、もうあまり時間は残っていない。



それが分かっているから、

私たちは最後の最後まで、言葉少なに体を寄せ合っていた。



何かを話せば、きっと決意が揺らいでしまう。



何かを言われれば、きっと離れられなくなる。



——京介との、視線が交わる。



逃げ場のないほど、あまりにも優しい視線だった。


一瞬。勘違いしてしまいそうになる。



このまま一緒にいられるんじゃないか。

これからも、当たり前みたいに会えるんじゃないか。



そんな眩しい未来が、一瞬だけ頭をよぎる。



でも、


——違う。



私は、ここで終わらせると決めてきた。



胸の奥で何度も呪文のように繰り返して、

ようやく辿り着いた答えだった。



私は、そっと身を起こす。



『京介』


名前を呼ぶ声が、自分でも驚くほど震えた。



京介が、私の顔を見て微笑む。


「どした?」



その笑顔が、何気ない一言が、

鋭い破片のように胸に刺さる。



『……これ』



私は、バッグの底に忍ばせていた封筒を取り出した。


『明日、読んでほしい』



今この瞬間に読まれたら、

きっと私は、立っていられなくなると思ったから。



この温度の中で言葉を渡してしまったら、すべてが曖昧になって、またあの日々へ引き返してしまう気がして。



それに、今日、これからの時間は、


まだ京介のこの熱を感じていたいから。



京介にも、同じように


今日だけは今日のことを考えてほしかったから。



「明日」という指定は、


私の最後のワガママだった。



京介は一瞬だけ驚いた顔をして、

それから、静かに受け取った。



「……分かった、ありがとう」



その声が、たまらなく優しくて、そして残酷だった。



私は必死に、平然を装った。



悟られないように。涙が溢れ出さないように。


最後まで、“いつもの私”でいられるように。



『そろそろ、行かないとね』



笑顔を作るのに、思ったよりずっと時間がかかった。



「帆波…」



近づく距離に、何が起こるのかすぐに分かった。


受け入れる以外、選択肢なんて無い。



長いような、短いような、永遠のような。



——最後の、キス。


心が、彼が好きだと叫んでいる。



もう、どこが痛いのかも、

何が悲しいのかも分からなかった。



ドアの前で、一度だけ深く、肺が痛くなるほど空気を吸い込んで。



『ありがとう。じゃあ、いこっか』



「おう、こちらこそ、ありがとな」



——これは、さよならの時間。



私が選んだ、私自身を守るための、


そして彼を汚さないための終わり。




そう自分に言い聞かせながら、

私たちは、朝の冷たい空気の中を静かに歩き出した。



「またな」



その京介の言葉に、私は精一杯の嘘をつく。



『うん、またね。ありがとう』



京介が寮に帰る姿を、最後まで見守る。


その背中を、目に焼き付ける。 





——ありがとう。大好きだよ。





届かない言葉を口にした瞬間、

我慢していたものが一気に溢れ出した。



始発に乗り、家に帰り着くまで泣き続けた。 



親友に


「体調悪くて学校休む😭ごめん🙏」


とメールを送り


この日、私は初めて講義も部活も休んだ。



一つの恋が、想いが、


こんなにも自分を壊すなんて、知らなかった。


知りたくなかった。



この選択が正しかったのか、

間違っていたのかは、今も分からない。


ただ、確かなことは。



私が選んだこの道は、私の人生を静かに変えていく。



この恋は、「忘れられない恋」として、


私の心にずっと棲みつくことになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

もう一度、愛した理由。 - あなたを忘れるために - chi. @chi_onceagain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画