【第15話】初めての気持ち。

大会が終わるまでは、

不思議なくらい何も考えずに過ごすことができた。



目の前の試合、

チームのこと、

自分の役割。


他を考える余白なんて、どこにもなかった。



だからきっと、

あの夜のことも、あの温度も、胸の奥にしまい込めていたんだと思う。



京介と交わしたキスのことも、

互いに何も触れることはなかった。



触れなければ、

なかったことにできる気がして。

今までの二人のまま過ごせる気がしていたから。



大会が終わり、日常が静かに戻ってきた。



大学の講義を受けながら、

何気なくスマホを手に取る。



通知に気づいたその瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。



理由は、分かりきっていた。




これが恋なのか。



それとも、一度触れてしまったせいで生まれた錯覚なのか。




考えないようにすればするほど、

その気持ちは、はっきりと形を持ち始めていた。




――こんな気持ち、初めてだった。



二十歳にして、

どう扱えばいいのかも、

どう手放せばいいのかも、


まだ何一つ分からない。



ただひとつだけ確かなのは、私の心は

もうあの夜の前には戻れない、ということだけだった。



壊れないでほしいと願うこの関係の守り方を、

私は必死に探していた。



けれど――答えはどこにもなかった。



自分の中だけで抱え続けるには、

この気持ちは少し重すぎる。







講義が終わったあと、

空き時間に親友とカフェでお茶をしていた。



他愛もない話をしながら、

私は何度も言葉を飲み込んだ。



「……帆波?」



ふいに、名前を呼ばれる。



「なんかあったやろ?」



ドキリとした。



『んー……』


言いかけて、言葉が止まった。



「いつも電話しよる京介くんのことやろ?」



コップを持つ手が、わずかに震えるのが分かった。



『……うん』


私は視線を落としたまま言った。



『好きってさ、こんなに苦しいもんなん?』



親友は一瞬驚いた顔をして、

それから何も言わずに私の話を待ってくれた。



『ずっと気持ちが落ち着かん。


考えんようにしようとしても、

気づいたら考えとるし、怖い。


失いたくないのに、逃げたくなるし


今の私、経験値ゼロって感じ。』



堰を切ったみたいに溢れ出した私の言葉を、

親友は静かに受け止めてくれた。



「それ本気の恋やね。本当の意味で初恋」



その一言が、胸の真ん中にすとんと落ちた。



「初めてやから、

どうしていいか分からんのも当たり前やん。

苦しいのも、守りたくなるのも、全部セットやと思うよ」



『……本気の恋かぁ。

私さ、今なら恋で泣く子の気持ちが初めて分かるかもしれん。』



親友は小さく笑った。



「一番不器用で、一番しんどいよ。


逃げるか、向き合うか。どっちにしても、ちゃんと“自分の気持ち”と向き合いなね」



その言葉が、胸の奥に深く沈んでいった。







その日の夜。



部屋の明かりを落としてベッドに横になる。



――逃げるか、向き合うか。



心の中で小さく呟く。



ゴンゾーがカゴの中でゴソゴソと動く。



『ゴンゾー? 君の名付け親は、今何を思っとるんやろうか?』


気づけば、そんなことを口にしていた。



向き合うって、多分答えを出すことじゃない。


今はまだ、答えなんて出せない。



ただ、この気持ちを無かったことにはしない。


それだけでいいのかもしれない。



その瞬間、スマホが震えた。



心臓が跳ねる。



——————————————————


木村 京介

件名:なし


帆波っちお疲れー✌🏻🌟

今風呂、飯終わった🤭


盛り上げコンビブラス部入部しよかね🤭

なら俺がタンバリンで帆波がマラカスで

決定たいね!!!やらかすなよ?(笑)


——————————————————



いつもと変わらない温度感。


これがまた心地よくて、


失いたくないよ。

と心が叫ぶ。



私のこの気持ちを知ったら、

京介はどう思うんだろうか。


伝える勇気なんて無いくせに

そんなことをぼやっと考えた。


——————————————————


From:帆波

件名:なし


お疲れ様😌♫私も帰宅🏠

今日の夜ご飯何だった?🍚


盛り上げコンビついに

ブラス入部か(゚Д゚) ✨笑


大学と野球とブラス両立大変やけど

頑張ろうね?✊🏻笑っ


——————————————————



思いを隠すようにいつも通り返信すると、



すぐに違うバイブ音が鳴り響いた。



電話の始まりを意味する、京介からの着信。



高鳴る胸を落ち着かせて、

通話ボタンを押す。



「もしもし」



『もしもし』



電話越しの声は、いつもと変わらない。



それなのに、胸の奥だけが忙しい。


優しい声が私を刺激して、

これは恋だと突きつけられるようだった。



「大会終わってから、一気に疲れきてる感じやー」



『分かる。気抜けるよね』



「帆波は? ちゃんと休めとる?」



『うん。……たぶん』



「たぶんって(笑)」



京介が笑う。



「そういえば、」


少し間を置いてから、京介が言った。



「俺、もうすぐOFFあるんよ」



心臓が、小さく跳ねた。



『おぉ、ゆっくりできるね』



「帆波ちゃんの手料理、また食べたいなー(笑)」



胸の奥が、きゅっと鳴った。



『……え、じゃあ、うち来る?(笑)』



言ってから、少しだけ後悔する。


でも。


「行こうかな?」



その一言で、全部どうでもよくなった。



「ゴンゾーにも会いたいし(笑)」



『……ゴンゾー目当てかい』



二人で笑い合う。



ふたりは、何ひとつ変わらない。



変わったのは――きっと私の心だけ。




壊したくなくて、失いたくない。



それでも、もう戻れない。



初めて知ってしまったこの気持ちを、隠しながら。



何も変わらないふりをして、



初めて抱くこの気持ちと共に

京介との日常を続けていく。



それが、今の私にできる

精一杯の向き合い方だった。


——それが、いちばん苦しいと知るのはもう少し先。

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