【第10話】チャイム音とシャッター音。
午前練習を終えて、家に帰る。
シャワーを浴びて、髪を乾かし、着替えて、軽く化粧をしていく。
バタバタと準備をしながらも、手先が少し震えているのがわかった。
二人は、そろそろ着く頃だろう。
心の準備をする間もなく、
——ピンポーン。
チャイムの音が、静まり返った部屋に響く。
一瞬にして、心臓が大きく跳ねた。
『はーい』
深呼吸をひとつして、私は玄関へ向かう。
ドアを開けると、そこには二人の影。
「よう!」
大地の声。
『いらっしゃい』
そう言いながら、
視線の端に、もう一人の姿を捉える。
「お邪魔しまーす」
聞き慣れていたはずの声が、
今は、目の前の空気を通って、ダイレクトに耳に届く。
距離も、重なり合う気配も、
昨日までの受話器越しとは全部が違った。
『ご飯作るには早すぎるけん、
とりあえず入って寛いでね』
「はーい」
大地はいつも通りだけど、
京介は少しだけ静かに感じる。
私の部屋に足を踏み入れたからなのか。
それとも、彼も私と同じように、
初めて会う私に戸惑っているのか。
正解はわからない。
でも、少し間を埋めたくて、
『京介、ゴンゾーそこにおるよ』と指をさす。
「おっ、
あー、やっぱ可愛いな。触っていい?」
『ん、いいよ』
ケージの前に屈んだ京介が、ふと顔を上げる。
その瞬間、初めて、目が合った。
胸が、トクンと一つ、大きく鳴る。
「ゴンゾーくん? 名付け親が会いにきましたよー?」
京介がケージの中を覗き込み、
ゴンゾーがくるりと身体を動かす。
その無邪気な様子が可笑しくて、
私は思わず笑ってしまった。
胸の奥がじんわりと、溶けるように温かくなる。
それからは、三人で他愛もない話をした。
寮でのくだらない出来事。
お互いの大学のこと。
大地と私の高校時代の話。
私と京介の長電話の話。
三人の生活の中心にある野球の話。
笑って、相槌を打って。
窓の外が夕方の色に染まるまで、
時間は瞬く間に流れていった。
「あ、そろそろ作ろうかな。」
そう言って立ち上がると、
二人は同時に「ありがとう」と返事をした。
『何か手伝うことある?』
京介が声をかけてくれる。
「ありがとう。でも大丈夫。
ゆっくりしとって」
——背中越しに聞こえてくる二人の笑い声、包丁がまな板を叩く音。
初めて会ったはずなのに、
ずっと前からこうなることが決まっていたみたいに、この時間が自然にここにある。
それが少し嬉しくて、そして、形のないものに心を奪われていく自分に、少しだけ恐怖を感じていた。
「「いただきます」」
明太クリームパスタ、オムライス、唐揚げ、サラダ。
驚くほどの速さで皿を空にしていく二人。
「うますぎたー!」
「ごちそうさま!」
厳しい寮生活を送る彼らにとって、
誰かの手料理を囲む時間は、きっとささやかな贅沢だ。
それが、今の私にできる精一杯のおもてなしだった。
後片付けを率先してやってくれる二人の背中を見ながら、私は「ありがとう」と甘えることにした。
夜が深くなっても、話は尽きない。
——この時間が、ずっと続けばいいのに。
そんな祈りに似た願いが胸をかすめた時、
大地がふいに言った。
「なぁ、二人並んで」
大地が取り出したスマートフォン。
その意味を察して、私たちは自然とソファーに並んで座る。
「はい、じゃあ、撮るよ?
ハイ、チーズ」
———カシャ。
その音は、思っていたよりもずっと軽くて、一瞬で部屋の空気に溶けていった。
ただの記念写真。それだけのはずなのに。
ふとした拍子に肩が触れ、私は反射的に息を止めた。
隣にいる彼の体温、気配が、やけに鮮明に肌に焼き付く。
画面の中では、
私と京介が、並んで笑っている。
この写真が、この先どれほど残酷で、どれほど大切な意味を持つようになるのか。
この時の私は、まだ何も知らない。
ただ——。
シャッターが切られたその一瞬。
確かに「今日」という日が、
私と京介のあいだに、形として刻まれた瞬間だった。
それは、音よりも静かで、
どんな言葉よりも確かに、
——私の人生に入り込んだ「始まり」だった。
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